第86話 サモン・ネクスト

 足だけじゃなく、手や胴体も感覚がなくなっている気がする。

 腕をめくってみると肌がドス黒く変色して、まるで腐りつつあるようだった。

 これはしてやられたな。


「アルフィス、今頃気づいたかい? 君は攻撃を回避してるつもりだったけど、しっかりと射程内に入っていたんだよ」

「見えないものはどうしようもないな」


 たぶん腐敗の剣ゼーロットソードの攻撃を受けた時だ。

 あれは射程が短い分、威力が格段に高い。

 直接当てられなくてもあれが振るった時に放たれる瘴気のようなものがオレにまぶされていたんだ。


 例えばくしゃみは数メートルほど先まで飛沫が飛ぶという。

 あれと同じでオレはしっかりと腐敗の剣ゼーロットソードの斬撃の残り香みたいなものを受けていた。

 反省点を上げるなら接近戦を受けて立つべきじゃなかったが、初撃の時点で放たれていたからな。

 結果はあまり変わらなかっただろう。


 これは毒みたいにジワジワと浸食するタイプだ。

 気づきにくいだけに性質が悪い。


「ルーシェル、あれをやるぞ」

「うまくいくかなぁ」


 オレはルーシェルの頭に手を置いてから強く念じた。

 オレの体が闇の霧に包まれて辺りにまき散らす。


「おぉ! アルフィスの体が!」

「ア、アルフィス! む、むむむ無理しなくていいのよぉ! お姉ちゃんが後でナデナデして……お、お風呂にっ!」


 学園長達がざわついている。

 一方で姉はお座りしてなんかすごい興奮してるな。

 こんな時までオレが負けることを期待してるのか。キモい。


「その姿は……天使? いや……」


 エリクが驚くのも無理はない。

 全身が影のような漆黒に染まり、背中から広がる合計四枚の翼は天使とも悪魔とも形容できない。

 例えるなら堕天使ってところか。


「サモン・ネクスト」


 オレがそう宣言するとエリクがたじろぐ。

 自分だけの切り札だと思っていただけにショックだろうな。


「な、なんで君がそれを!」

「お前の不完全なそれと一緒にするなよ。こっちは契約内容が違うんでね」

「契約内容!?」

「オレとルーシェルは従属契約を交わしている。ルーシェルは身も心もオレのために生きると誓った。これはお前らじゃまず交わせない契約だ」


 エリクだけじゃなく、学園長達や姉すらも理解が追いついていないようだ。

 そりゃそうだ。召喚魔術の研究をしている段階だからな。


「従属契約……まさか……」

「気づいたか? お前らのそれはあくまで悪魔が力を貸し出すというだけの契約だ。オレとルーシェルは信頼の下で成り立っている完全な主従関係、その辺の悪魔に都合のいいように押し付けられた契約じゃない」

「つ、都合のいい契約だと! そんなはずはない!」

「ムトーはデスエルに寿命を取られていた。シェムナは力の制御ができなくなっていた。お前は乗っ取られつつある。お前らは気づかないうちに不平等な契約を結ばされていたんだよ」


 これが悪魔契約の怖いところだ。

 だから本来、悪魔の性質をしっかりと理解した上で契約を結ばないといけない。

 安易に手を出すと気づかないうちに何かを取られていたり、シェムナみたいに罠にはまることがある。


 オレとルーシェルの契約もある意味で不平等契約だ。

 何せルーシェルに何のメリットもないからな。

 だけどルーシェルは望んで契約を結んだ。


 単純だけどこれは相手に対する忠誠心がないとまず成立しない。

 デスエル、ムーハ、ギュレムが忠誠を誓うような人間なんているか?

 まずいないだろう。


「さて、覚悟しろよ。たぶんオレのほうが遥かに強いからな」

「君の足は使い物にならない! さぁ遠慮なく狩らせてもらうよ!」

「どの足だ?」

「え? そういえば、なんで……」


 オレの足はとっくに完治している。

 アドバンテージがあると思っていたエリクが狼狽した。


「ルーシェルの再生の前じゃすべてが元通りだ」

「さ、再生だって! クソッ! ただの金魚のフンかと思っていたら厄介な女だ!」

「それはわからんでもない」

「だけど勝つのは僕さ! そんな無名の女にギュレムが劣るはずがないからね!」


 ギュレムと一体化して悪魔のような姿になったエリクが二つの腐敗の剣ゼーロットソードを振るった。

 斬撃が放たれて、それが通過した後はグズグズに腐った床が出来上がる。

 それが何発も放たれて滅多斬りにする気だ。


「アハハハッ! さすがにこれで終わ」

「でこぴん」


 オレが数発ほどデコピンをすると斬撃がかき消えた。


「は? な、なんで?」

「別にトリックなんかないぞ。ただの実力差だ」

「ギュ、ギュレムだぞ! こっちは魔界三十二柱最強格のギュレムだぞ!」

「じゃあ、単にルーシェルのほうが遥かに格上だっただけの話だ。それと言い忘れたけど、こんなこともできる」


 オレが片手を動かすと闇のドームが室内に広がって周囲が暗闇に閉ざされる。

 これはダークスフィアだ。

 ルーシェルの力を借りたおかげで普段のオレ以上の魔力を引き出せる。


「何も見えない……!」

「でも腐らせることはできるだろ?」

「どこにいる!」

「ここだよ」


 オレはエリクの目の前にいる。

 それを確認したエリクの息遣いが安堵のものに変わった。


「だったらさっきみたいに腐らせて……あれ? なんで、平気、なんだ?」

「ただ単に腐らせた先から再生しているだけだ」

「ウ、ウソだ、じゃあ、僕の攻撃は……」

「残念ながら無効化ってやつだな」


 オレが魔剣に力を込めるとエリクが軽く悲鳴を上げる。

 ようやく格の違いを理解したか。


「ギュ、ギュレム! なんとかしろ!」


 その途端、エリクから黒マントの男が飛び出してきた。

 その顔に美しさはなく、牙を剥き出しにして目は黄色く濁っている。

 自分の遊び場を荒らされた怒りがよくにじみ出ているな。


「おのれ、矮小な下等生物が……! その小娘、天使族だな! とっくに絶滅したと思っていたものを!」

「天使族を絶滅させたお前のお仲間共々、びびってるんだろ? 自分達を滅ぼしかけた天使族だもんな」

「ならば再び絶やすまでだ! 醜き万物に終わりを告げる! 不楽世界ッ!」


 ギュレムが闇を浸食するようにして剥がしつつある。

 自分の有利なフィールドにしようとしているが、暗闇の中から無数の手が伸びる。

 それがギュレムを拘束して不落世界の浸食が止まった。


「こ、この、この私が止められるだと……」

「闇は形なきもの、このダークスフィア全体がシャドウサーヴァントとなる」

「ぐああぁぁぁーーー!」


 ギュレムが目を潰されて、腕を折られる。

 闇の中で何かに襲われるかのように四肢を破壊されていく。


「こんな、もの、でぇ……」

「無駄だ。形がないと言ってるだろう。引き剥がすことも抵抗もできない」


 ギュレムからは触れられず、闇はギュレムを襲う。

 首を絞められて、いよいよ全身が砕かれつつある。

 ホラー映画でよくある闇の中で何かに襲われるってやつだ。

 あの未知の力と恐怖を再現するとこうなる。


「こ、ぞ、う……」

「ダークネス・スレイブ」


 オレの魔力と破壊の波動を込めた魔剣の最強の一撃だ。

 いくらギュレムといえど、破壊は理論上すべての物質を破壊できる。

 これまで波動を出さなかったのは渾身の一撃にかけるためだ。


 何せ相手は魔界三十二柱の十柱、最強角だからな。

 こいつらは半端にダメージを与えると何をされるかわからない化け物の集まりだ。

 シャドウサーヴァントに絡みつかれたギュレムの瞳に絶望の色が浮かぶ。


「バカな、やめろぉーーーーーーーー!」


 ギュレムは断末魔の叫びと共に巨大な闇の斬撃の中に消えていく。

 破壊の波動を乗せたダークネス・スレイブはギュレムの生命力のすべてを刈り取る。

 ギュレムは肉体と共に魂を破壊された。


「……醜いな」


 残ったギュレムの頭部に張り付いた顔は舌をだらりと出して、なんとも不細工だ。

 だけどそれもすぐに闇の中に消えてしまった。

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