第61話 ガレオの矜持
「ルビトン先輩! 退学するってマジですかぁ!」
生徒会執行部二年のガレオがルビトンの教室に怒鳴り込んできた。
ルビトンはガレオが入学した当初から憧れの存在だ。
その彼が教室の席で黙って座っている。
「ガレオか。なに、大した理由じゃない。ただ田舎の家業に専念するってだけだ」
「学園をきっちり卒業して田舎の両親を安心させてやるって言ってたじゃないですか!」
「そう、そうなんだけどな。まぁ学ぶものは学んだ気がした」
ルビトンの煮え切れない態度に苛立ったガレオが机を叩く。
それでもルビトンは机の一点に視線を向けたままだった。
「入学当初、俺はあんたに突っかかった。見事に返り討ちにされた時、あんたはこう言っただろう。『そんなに力が有り余ってるなら生徒会に入れ』ってな」
「そんなこともあったな」
「平民生まれで何かとコケにされてイラついてた俺を救ってくれたのはあんただ! 俺はあんたの卒業を祝いたかった!」
「それは……すまない」
ガレオはルビトンの胸倉を掴んだ。
さすがのこの所業に他のクラスメイト達がざわつく。
「おい、二年。何をしやがる」
「てめぇはルビトン派の人間じゃねえのか! 気に入らねぇならちゃんとキレろよ! なんだよ、その気の抜けた態度はよ!」
「ルビトンさんのことは俺だって残念だよ。だけど俺達はこの人の意思を尊重する」
「ふっざけんじゃねぇ!」
教室にいる生徒達の中にはルビトン派が多い。
ルビトン派が活発だった時は血の気の荒い生徒が多く、ガレオが近づこうものなら取り囲んだ。
ところが今はせいぜいガレオの腕を取るくらいで覇気がまるでなかった。
「ルビトンさん。あんたを負かしたのは俺と同学年のムトーでしょ? 後輩に負けて悔しいのはわかるが、そんなことでヘコむタマじゃねえだろ」
「ガレオ、この際だから言うがあれは人間じゃない」
「あ? どういうことっすか」
「俺だって後輩に負けたくらいで退学なんてしないさ。でもな……怖いんだ」
ガレオがふと見ると、ルビトンの手が震えていた。
「あいつと同じ学園に在籍しているのが怖いんだ。あれは人じゃない。いつか食われる……そんな気がするんだ」
「ル、ルビトンさん。どうしちまったんだよ」
「お前もあいつに関わるのだけはやめておけ。幸いムトー派はまだそこまで過激じゃない。シェムナ派に比べればな……」
「このッ!」
ガレオはルビトンを殴り飛ばしてしまった。
やってしまった瞬間、ガレオは後悔したがルビトンは倒れたまま起き上がろうとしない。
「ル、ルビトンさん! すみませんッ!」
「いいんだ。お前ならこうすると思った」
「ルビトンさん……」
ガレオは目頭が熱くなった。
尊敬していた先輩が弱気になり怯えている。
それは先輩に対する情けなさというよりも、そうまでさせる邪悪を許せないという気持ちが強い。
ガレオが気がつけば土下座していた。
「ルビトンさん、とにかく退学だけは待ってください。お願いします……」
「おい、ガレオ。よせ」
「俺の我儘を聞いてください! 俺にルビトンさんの卒業を祝わせてくださいッ! 頼みますっ!」
「ガレオ……」
ルビトンはいつまでも土下座を続けるガレオに対して何も言えなかった。
後輩にここまでさせて自分は逃げていいのか、自問自答するようになる。
そういう意味ではガレオの訪問も無駄ではなかった。
* * *
「さぁ、ムトー劇団の予行演習も佳境だよん。はいっ! いちっ! にっ!」
放課後、ムトーは劇場の跡地にてムトー派の者達に芸を仕込んでいた。
生来、楽しいことにしか興味がない彼は派閥での勢力拡大などどうでもいい。
こうして芸を磨いて踊って歌い楽しむことが主目的だった。
アルフィス達のところに来たのも、訓練場を使って劇の練習をするためだ。
「だいぶ様になってきたよん……ん?」
夜の闇の中、ムトー達のところへやってくる者がいる。
その主はすでに岩の鎧や爪をまとっていて臨戦態勢だ。
「あれぇ? えっと誰だっけ?」
「生徒会執行部二年のガレオだ。てめぇがムトーだな」
「ガレオ? 二年? オナクラ(同じクラス)じゃないよなぁ」
「こっちだっててめぇなんざ知らねぇよ。同学年にこんな腐れがいたなんてな」
ムトーが指を顔に向けてから変顔をしてガレオをおちょくる。
今のガレオはこの程度で怒るような人間ではない。
「で、要するに何? ムトー劇団への加入希望者?」
「逆だ。このクソ劇団を潰しにきた」
「なんで?」
「てめぇはルビトンさんの尊厳を踏みにじった。今度は俺がお前を踏みつぶす」
ムトーはしばらく考えた後、手を打った。
「あー、あのクソ弱い先輩? そんな名前だったっけ」
「てめぇ……!」
「えっとなんとか派だっけ? 俺、つまらん人間のことはすぐ忘れちゃう性質でさ。ごめんねごめんね~!」
「だったら思い出させてやるよッ!」
ガレオが挑み、ムトー派の生徒達が迎え撃つ。
ガレオの岩の爪で生徒達の二人が斬り飛ばされて、三人目もタックルで吹っ飛ばされた。
更に追加で挑んだ二人もガレオを止められない。
「ぐあぁっ! つ、強すぎる! ムトーさん! 俺達じゃ止められません!」
「あぁ~、マジィ? おい、サモンマスター組でやれよん」
ガレオに立ちはだかった残りの生徒達が構えた。
ガレオは構わず突っ込むが――
「ぐぅっ!」
三人の生徒に集中砲火を受けて止められてしまう。
一人は蜘蛛の糸でガレオを捕えて、一人が巨大な腕で殴る。一人が従えているのは無数の蜂だ。
「な、なんだ、そりゃ……! クソッ!」
「それぞれ優秀な悪魔と契約できた奴らだよん。うちの精鋭ってところかな? トガリ君は抜けちゃったけど、あんなのより強いよん」
「こんなものすぐに……ぐはぁぁッ!」
ガレオが巨大な腕によって殴られてしまった。
口から血を吐いて、一撃で満身創痍となる。
近づいてきたのは巨大な腕を持つ生徒、ブリオットだ。
「が、がはッ……!」
「ガレオ先輩、ここから先は一語一句細心の注意を払って話すことだな。まだ死にたくはないだろう?」
「……せぇ」
「あ?」
「うるせぇ! 悪魔に魂を売ったクソどもに屈するなら死んだほうがマシだっつってんだッ!」
ブリオットが二発目の打撃をガレオに叩き込んだ。
「はっ……あ……」
「あれ、これってあと一発で死んじゃうんじゃない? 自慢の岩もボロボロだしさぁ。ムトーさん、どうしましょ?」
ムトーが蜘蛛の糸で捕えられているガレオの顔に木の枝を近づけた。
それを鼻の穴に突っ込んでガレオがくしゃみをする。
「ねぇ、人間ってこんな状態になってもくしゃみするんだよん」
「アハッ! 新発見ですねぇ!」
「ね、人生って楽しまないと損だよん。下らない正義感にかられて正義か悪でしか物事を判断できない奴らはまさに人生という糸に絡めとられた獲物だよん」
ムトー達の笑い声をガレオは薄れゆく意識の中で聞いた。
ここまでコケにされた経験がないガレオは自然と涙を流す。
ルビトンの言う通り、やめておけばよかった。
正義感にかられて死にかけるくらいなら、大人しくしておけばよかった。
そう思いかけた時だ。
「劇場はここか? ずいぶんと寂れているが?」
浮かれるムトー達に声をかけたのは一人の少年だった。
その傍らにはしっかりと翼を生やした小柄な少女がいる。
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