第7話 魔法少女になる時――
神社のある頂上へと駆け上がる。
それなりに急な階段で、私自身があまり体力が無いこともあってすぐに息が上がりそうになる。でも急がなくちゃいけないという気持ちから足を止めずに自分が出せる最高速度で走った。
そして階段を登り切った先に見えたのは、鬼と人間だった。
比喩表現でもなんでもなく、真っ赤な肌を露出させて頭に二本の角を生やした正真正銘の――鬼。
普通の人間よりも二倍ぐらい身体が大きくて、ボロ布を腰に巻いただけの姿はまさしく誰もがイメージするような鬼の姿に近かった。
そしてその場にはもう一人、鬼から少し離れたところに倒れている人の姿があった。
黒いスーツに身を包んだ女性、きっとさっきの悲鳴はあの人のものに違いないっ。
幸いなことにスーツの女の人は立ち上がる気力はあるようで、倒れた状態から身体を震わせながらもゆっくりと膝立ちになる。よく見れば口元には血が滲んでいて、スーツもあちこち擦り切れて素肌が見えているところもあった。
黒スーツの人は鬼に睨むような視線を向けようとして――私と目が合った。
最初は目を丸くしただけだったが、すぐにそれは信じられないものをみたような驚愕の表情に変わる。
「な、なんでここに人が!? 結界を張っていたはずなのにっ!?」
「え、あの……」
すると私達のやり取りを見ていた鬼も私の存在に気付き、視線をこちらに向けてきた。その目は昨日遭遇した化け物と同じ、真っ黒な瞳だった。
それを見て確信する。
この鬼は昨日の化け物と同じ類の存在なんだと。
「っ……」
しかも見るからに昨日の化け物よりも強そうで、視線を向けられただけで身体が震えた。まるで何の安全装置も無しにライオンの檻にいれられたみたいな、命の危機を感じる類の震えだった。
声も出すことが出来ず、沈黙が場を支配する。
「――早く逃げてっ!!」
「つ!?」
それを破ったのは黒スーツの人だった。
黒スーツの人は、いつの間にか持っていたお札らしきものを鬼に向かって投げつける。するとお札は空中で発火し、燃え盛る火球となって鬼へと飛来した。
そして鬼に命中した瞬間、火薬でも含まれていたような爆発をして鬼の身体全体が炎を上げて燃え上がる。
「っ……」
「何してるの!! こんな攻撃、あの妖魔には効いて無い!! いいから早く逃げなさいっ!!」
鬼、いや生き物が火炙りにされる光景を目の前で見せられて、得も言われぬ恐怖を感じる。
今、目の前で何が起こっているのか――頭がそれを理解しきれずにパンクしそうだった。
それでも黒スーツの人はの警告だけは何とか聞き取って、近くの大きな木の陰に身を隠す。私に逃げろといった言葉に滲む焦燥を滲ませて、黒スーツの人は一切鬼から目を離さなかった。
でもあんな火達磨になったんだからもう倒したんじゃ……?と思ったが、それが大きな勘違いであることにすぐ気付かされる。
炎が消えると中から出来たのは、身体から煙をあげながらも無傷な鬼の姿だった。
あの炎にそれといって堪えた様子も無く、まるで何事もなかったかのように炎の中からゆらりと姿を現した。その注意は攻撃をしかけた黒スーツの人に戻ってるようで、既に視線は私に向いていなかった。
両者が睨み合う中、私は自分がどうすればいいのか考える。
スーツのお姉さんの状態は明らかに満身創痍だった。もういつ倒れてもおかしくないぐらいに痛々しい姿で、それでも新たに取り出した数枚のお札を手に鬼と対峙している。
対する鬼はほとんど無傷、少なくとも私から見える範囲では傷を負っている様子はなかった。あんな魔法みたいなことが出来るスーツのお姉さんがボロボロになるぐらいだ。きっとすごく強いんだろう。
「応援が来るまで……まだ十分もあるのね。これも自業自得かしら……」
お姉さんの呟くような言葉が聞こえた。
応援が来るまで十分……つまりあと十分、お姉さんは一人で戦い続けなくちゃいけないということ。
そんなことを考えているうちに、鬼がお姉さんに襲い掛かる。
鬼が振るった拳はお姉さんに避けられたことで空振りし地面に激突する。
それは神社へと続く石畳を叩き割り、小規模ながらクレーターを作ってみせた……もしあんな威力で殴られたら人間なんてひとたまりもないだろう。
そこでようやく周辺の惨状に目がいった。
今のような攻防が何度もあったのだろう石畳はあちこちが割れている。本殿に続く道に立てられていた石灯篭や樹木は根本から折れていたり、跡形もないぐらい砕かれたりしている。本殿の建物にこそ被害はないものの、その周りの地面は抉られたり焦げている場所もある。
お姉さんの身体の状態から考えて、ここでかなりの激闘があったのは間違いない。
「……」
……こんな光景を見せられて、私に何が出来るというんだろう?
昨日あの化け物に石を投げたときも、今日悲鳴を聞いてここにやって来たときも。それは自分の意志でやったことじゃない。ただ咄嗟に身体が動いてそれに身を任せてしまっただけだった。
その後、何が待ち構えているのかなんて想像もせずにただ突っ走っただけ。
今日なんて、自分には魔法の杖があるんだから何とかなる!なんて調子に乗ってたんだと思う。でもいざ来てみたら、想像と現実の乖離に隠れて見ていることしか出来ていない。いや、足が竦んでこの場所から動けないだけだ。
「……だめだ。このままじゃ、だめだっ」
このまま何もしないで見ていること、それは……嫌だった。
だから決断しなくちゃいけない。
このままお姉さんを置いて逃げるか、それとも――お姉さんを助けに行くか。
さっきの言葉が本当ならあと十分ぐらいでお姉さんの仲間が応援に来るはずだ。私なんかが割って入りかえって邪魔をするよりも、そっちを待つ方がずっといいに決まっている。
でも、お姉さんが十分も立っていられるのかと言われれば……分からない。
今もお札を使って鬼に攻撃を加えたり、逆に鬼の攻撃を避けたり戦っている姿が見える。でもお姉さんの表情を見れば、あまり余裕が無いということだけは分かる。
「私は……――」
その時だった。
「あぁっ!!!」
一瞬目を話した途端、お姉さんの悲鳴が聞こえた。
再び視線を戻すと、地面に倒れたお姉さんを鬼が踏みつけている姿があった。
何とか立ち上がろうとするも、そんな素振りを見せた途端に鬼が力を強めてお姉さんを地面に縫い留めている。
このままじゃお姉さんが――
そう考えた時、私の手は自然と鞄に触れていた。
それで自分がどうすべきか……いや、どうしたいのかを確信する。
これは状況に流されたのではなく、自分自身の意志で決めたこと。
次の瞬間、私は鞄の中に手を突っこんで杖を取り出し走り出していた。
まさか自分がこんなところで負けるのか、と薄れゆく意識の中でそんなこと考えていた。
確かに自分には退魔師として優れた才能は無かった。だけどそれ故に人一倍努力を重ねてきたつもりだった。その甲斐あって今はこうして退魔師になれているし、それなり以上に力を付けたと自負している。
レベル1の妖魔なら余裕で、レベル2の妖魔でも単独で倒すことが出来る。
でも、レベル3の妖魔は話が違っていた……
本来、レベル3以上の妖魔は退魔師が単独で戦うことは想定されていない。
その理由は至極単純、強過ぎるからだ。
もちろん退魔師の中にはそれすらも単独で撃破してしまうような人の限界を超えた様な連中もいる。でも残念ながら自分はそこまで至ることは出来なかった。いや、もっと時間があれば辿り着くことが出来たのかもしれない。
でも今は、そんなたらればの話をしてもしょうがない。
今その力が無いのであれば何の意味もないのだから。
私を踏みつける鬼には、これまでに私が鍛えてきた技が悉く通用しなかった。でもそれは始めから分かっていたことだ。私には他に突出した力は無く、あくまで凡人だということは。
にも拘らず、私は応援を待たずにコイツに手を出してしまった。
本来であれば外界とここを遮断する結界を張り、応援が来るのを待ってから始末する手はずだった。でも自分なら例えレベル3の妖魔であろうと遅れは取らないと自分の力を過信してコイツに挑んでしまったのだ。
それで死ぬんだから、ほんと自業自得よね……
命令を無視して勝手に戦って、勝手に死ぬ……今更ながらに自分がいつの間にか増長していたことに気が付いた。もう遅いのに。
鬼が私の身体から足をどけた。
私を見逃すため?……違う。それは止めをさすための行動だ。
次の一撃が振り下ろされたとき、私は死ぬ。
――でも、ただでは死んでやらない!
私は最後の力を振り絞って、袖に仕込んでいた霊札に力を込める。私の死をトリガーにした正真正銘、最後の攻撃だ。
……そういえば、あの子は逃げたのだろうか?
いよいよ覚悟を決めると頭に浮かんできたのは、結界を張っていたはずなのにどこから迷い込んできてしまった少女の姿だった。
途中から姿が見えなくなったから逃げた、と思う。さすがに妖魔のような化け物との戦いを見せられて留まろうと思う人間の方が少ないだろう。血気盛んな青年でもあるまいし。
でもあの少女には悪いことをしたと思う。まさかこんなところを見せてしまうなんて、普通の感覚で言えば一生もののトラウマになるかもしれない。ああそうだ、あの子のアフターケアも何とか伝えないと。式神を使えば何とかなるか。
酷く時間が遅く感じられて、その中で普段以上に頭が回ったような気がしていた。
しかしそんな時間も長くは続かず、ついにその時が迫る。
鬼が大きく振りかぶった拳で、私に止めを刺しに来る。
さあ、来るなら来い。例え刺し違えてでも、お前は私が討滅するっ!!
決意を固めて直後――しかし、鬼の拳が私に当たる事は無かった。
「……?」
何故か?
それは私と鬼の間に発生した何かが、鬼の攻撃を受け止めていたから。
まさか応援が間に合ったのか?と思い首だけ動かして周りを見ようとする。次の瞬間聞こえてきたのは、甲高い女の子の声だった。
「お姉さんから、離れろっ!!!!」
「――――ッ!!!?」
「……!?」
信じられないことに、私の上にいた鬼は弾かれたように横に吹き飛ばされる。突然の事態に頭が混乱する中、私に駆け寄って来る人影があった。
「大丈夫ですか!? お姉さんっ!!?」
「あ、なた、は……!」
間違いない。私を覗き込むようにして傍らにやって来たのは、あの迷い込んできてしまった女の子だった。
「今、治しますっ!」
「なにを……?」
女の子が手に持っていた杖を握りしめて念じるように「治れ治れ治れ――」と呟く。そしてその杖を一振りすると、あちこちから感じていた痛みが身体から消えた。
「よし、あとはあの鬼を倒すだけ……!」
「ちょ、ちょっと待って!」
私を治療した女の子はそう言いながら立ち上がって妖魔が吹き飛んで行った方向に歩いて行こうとする。
「あなたが何者か分からないけど、あれを一人で相手にするのは無理よっ! あの妖魔はレベル3、個人がどうにか出来るような強さじゃないわっ! 私も――」
私も協力するから、そう言いかけたときに気付く。
さっきの最後の仕掛けで残っていた力を全て使い果たしていることに。今の私はちょっと身体が丈夫なだけどそこらの一般人と変わりない。退魔師とはいえ、その力の源が枯渇してしまえば……何も出来ないのだ。
「こんなときにっ……!!?」
「大丈夫です! 私に任せてください!」
「あなた、私の話を聞いて無かったの!? あの妖魔は退魔師一人じゃ倒せないのよ! お願いだから逃げてっ! あなたが逃げる時間を稼ぐことぐらい今の私でも出来るから!」
何とか女の子を止めようとするがその最中、ガラガラと瓦礫が崩れる音がして吹き飛ばされた妖魔が立ち上がる。その表情は怒りに満ちており、完全にターゲットを私から女の子の方に移していた。
「――大丈夫です」
「だから何を根拠にっ!?」
鬼の殺気を伴った視線に当てられて尚、女の子の足が止まることは無かった。何を考えているのか分からないけど、きっとあの子は彼我の力の差が理解できていないのだ。さっき吹き飛ばせたのだって不意を突いたからであって、正面切って戦ったら勝ち目はない。
あの子を巻き込んだのは私が張った結界が甘かったせいなのだ。こんなところで死なせる訳にはいかない。そう思い無理矢理にでも下がらせようとしたときだった。
女の子の身体から膨大な魔力が溢れ出し、それが物理的な圧力を伴って辺りに風が吹き抜ける。
女の子の発した魔力の圧力を鬼も感じ取ったようだった。その顔にほんの僅かに怯えの感情を滲ませて、無意識なのか一歩後退りしている。その行動にも納得できるぐらいに、彼女の身から溢れる魔力は途轍もないものだった。
「あの杖……まさかっ!?」
この膨大な魔力、そして術を行使するときに使っていた杖を見てある可能性に思い至った。
でも、もしそれが真実だったとしたら全く知られていないはずはない。退魔師の中では絶対にその情報が共有されるはずだ。だというのに、自分はあの女の子の姿に見覚えは無い。
……ますます、あの子の正体が分からなくなった。
でも、唯一分かることもあった。
「――桜一閃っ!!!」
「――――ッッッ!!?」
あの女の子は退魔師として、未だ私が辿り着くことが出来ない遥か高みにいるんだということ……目の前で塵となって消えていく鬼の姿が、それと何より少女自身が言った「大丈夫」という言葉を証明していた。
その後ろ姿は、かつて私が憧れた退魔師の背中に重なって見えた。
誰かのピンチに駆け付けて、怖い怪物をやっつけてくれるヒーロー……
「な、何とかなった……」
「ねえ、あなた」
「あ、お姉さん大丈夫でしたか!? 人間を治すのは初めてだったんですけど」
「え?――え、ええ。もうすっかり元気よ。本当にありがとう」
「それならよかったです」
私の怪我の具合を聞いてほっと胸を撫でおろしている姿を見ると、ついさっきの勇姿が嘘みたいに思えた。
「一つ聞いていいかしら?」
「はい、何ですか?」
「……あなたは一体何者なの?」
「私ですか? 私は――」
女の子は腕を組んで頭を悩ませているようだった。だけど少しして、ちょっと気恥ずかしそうに頬をほんのり赤く染めて、けれどもはっきりした口調で答えた。
「私は……通りすがりの魔法少女ですっ!」
「まほう、しょうじょ……」
予想外の返答に呆気にとられると、そんな私の姿にみるみる内に顔が真っ赤に染まっていく。
「あの……忘れてください……」
「い、いいのよ!? 魔法少女、女の子みんなの憧れだもの!? 私も小さい頃は玩具のステッキなんか買って振り回してたわ!?」
「~~~……」
昔からフォロー下手だと言われることはあったけど、またやってしまったらしい……
「と、取り合えず、通りすがりの魔法少女さん?」
「っ……!?」
「ちょっとお姉さんとお話、しましょうか?」
まずは退魔師として、所属不明の魔法少女に事情聴取をしなければいけない。
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