見知らぬ人、健やかであれ

 そんなこんなでお披露目会当日。

 フローラは顔面蒼白でハイネの隣に立っていた。

 それはもう、本当に、本気で疲れたからだ。

 疲労困憊とはまさにこのこと。

 一応侯爵家の令嬢としてこれまでも、何度かパーティーには参加していたが、ここまで疲れることはなかった。

 デビュタントですらもう少し余力があったというのに、今の彼女にはハイネの隣で引き攣った笑みを浮かべることしかできないでいる。

 どうしてこんなに疲れるんだと考えたが、割とすぐに答えは出た。

 簡単だ。

 こんなに人に注目され、挨拶をされ、誉めそやされ、遠巻きに貶されることはそうそうない。

 さらにはそこに妬みや嫉みの視線まで向けられるとなれば、さすがのフローラもいろいろ思うものがある。

 はぁ、と大きく息を吐いたフローラを、ハイネがチラリと横目で確認した。


「少し息抜きでもするか。おいで」


「……」


 そんな犬猫を呼ぶみたいに、なんて思いながらも見た目のよさからか少しだけキュンとしてしまったのは内緒だ。

 なぜか若干の敗北感を感じつつも差し出された彼の手に応え、フローラはバルコニーへと移動した。


「――っ、疲れたぁ」


「すごかったなー。挨拶が終わらない終わらない……。間違いなく今日の主役は君だ」


「嬉しくないです」


 ほんの少しも嬉しくないと表情で語れば、なぜかハイネはくすくすと笑う。

 こんなに大変だとは思わなかったし、こんなにこの男がモテるとも思っていなかった。

 適齢期のみならず少し年配の女性たちからもそんな嫉妬にまみれた目を向けられるなんて、この男は今までどれだけの女性たちをたぶらかしてきたのだと、訝しんだ視線を向ける。


「え、なにその顔。なんか変なこと考えてない?」


「………………一応言っておくんですけれど、私側室とか嫌ですからね?」


「――………………は?」


 いや本当に急になんだと思われていることだろう。

 だがもし本当にこの人と結婚するとなったら、彼の側室にと望む声は多いはずだ。

 そんなことをふと考えた時、胸に宿ったのは不快感だった。

 別に一生愛されるなんて、そんな甘いことを考えてはいない。

 むしろ人の心は移ろいゆくもの。

 今はよくてもいずれ、彼が本当に愛する人が現れるかもしれない。

 そうなったら自分はどうするのか。

 いくら双方が同意したとしても、簡単には離婚なんてできないだろう。

 だがそうなったらその愛する人はどうするのか。

 きっと彼は側室にするだろう。

 そうなったらフローラは、そんな人を笑顔で迎え入れなくてはならないのだろうか?

 夫の恋人、愛する人を歓迎なんて……できる人、本当にいるのか?

 と、少なくとも己には無理だと察する。

 そこまで懐は深くない。

 そう思ったら、答えは自ずと出ていた。


「本当に申し訳ないんですが、側室ではなく愛人として見えないところで囲っていただけると、こちらの精神面的に助かるんですけど……」


「――いや、いやいやいや! なんの話!?」


「え? いえ、大変オモテになられるようなので、先んじて言っておこうかなと……」


「側室なんてとるつもりないし、愛人もつくるつもりない!」


「…………そうなんですか?」


「そうだよ! びっくりした……。本当になんの話かと思った」


 そうなのか。

 こんなにモテるんだから、よりどりみどりだろうにもったいない。

 フローラがもしハイネだったら、夢のハーレムを作っていた可能性がある。


「そもそもなんでそんな話になったんだ?」


「先ほども申しましたが、オモテになられるので、側室とか欲しいのかなーと」


「…………わけわからないけど、側室も愛人もつくるつもりないです。腹違いの兄弟の大変さは、親友のいざこざで痛いほど身にしみてるし」


「……子供作らなければいいだけの話では?」


「愛人いて欲しいの? 欲しくないの? どっち?」


 確かに今のは失言だったと、そっと己の口を塞いだ。

 どんなフローラを見て、ハイネは大きく肩を落とした。


「なに心配してるのか知らないけど、君に不誠実なことをする気はない。これも親友の兄弟を見て思ったけど、地位のある人ほど迂闊に愛人とかそういった類のものを作ると身を滅ぼすんだ」


「…………親友さん前世とかでなんか大罪でも犯しました?」


「やってるなら兄のほうだと思う」


 そうなのか。

 そんなに悲惨な状態だったのかと、顔も知らぬハイネの親友を憐れむ。

 どうか今後は健やかであれ、と。


「だから君だけだ」


「――……………………おおう」


「なにその反応」


 まさか自分にそんな甘い言葉を口にする人がいるとは思わず、なんだか変な反応をしてしまった。

 きっと赤くなっているであろう耳を両手で隠しつつ、フローラはゆったりと口を開く。


「わ、わかりました……。ひとまずは信じます、はい」


「ひとまずなんだなぁ。……まあいい。態度で示していくから」


 できれば遠慮したいのだが、まあなんとか避けていけばいいだろう。

 ひとまず側室をとるつもりがないことがわかって一安心だと肩から力を抜いたフローラに、ハイネはなぜか意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「そんなことを聞いてくるってことは、結婚を了承したってことでいいんだな?」

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