過去を懐かしむ

「背筋をもっと伸ばして。王族とは常に優雅に、人に見られているのだと意識しなくてはなりません。王宮のご自身の部屋だとて油断はせず、どこに目があるのかわかりませんから」


「………………はい」


「お返事はもっとはっきりと。微笑みながら!」


「はいっ!」


 むりやり上げた口端がひくりと動くのがわかる。

 目の前にいる指導役の御婦人が大きくため息をついたことから、相当ひどい顔なのだろうと理解した。

 だがしかし、わかっていてもどうにもできないこともある。

 王宮にきてはや一週間。

 ほとんど休むことなく王太子妃になるためのあれやこれやを学んでいるのだ。

 しかも本来なら習わなくてもいい、令嬢なら身についているであろう礼儀作法や立ち姿までなっていないと叱られる始末。

 こんな人が未来の王太子妃だなんて紹介されて、この御婦人はどんな気持ちだったのだろうかと想像して泣きそうになった。


「手の角度はこう。わかりますか? こうです!」


「こ、こう……?」


「違います! こうです、ここの角度が大切なのだとなんど……」


「まーまー。とりあえず一旦休んだらどうです? 今詰め込みすぎてもお互いしんどいだけですよ」


「………………」


 なんでここにいるんだと、能天気に紅茶を飲むハイネを睨みつける。

 初日からなにかにつけてはこうして会いにきて、人が必死になっているところで優雅にお茶や読書をするこの王太子に、殺意がわかない人がいるだろうか?

 いやいない。

 ハイネの提案を受け入れて休憩にすると言った婦人に礼をし、フローラはハイネの元へと向かう。


「なぜ今日も来たんですか」


「未来の花嫁の成長を見守りたい夫だから?」


「…………」


「すっごい顔」


 しまった……と己の頰を両手で押さえた。

 ついつい感情を顔に出してしまったが、本来ならこれですら不敬に当たる。

 今目の前にいるのは王太子なのだと今一度理解なくては。

 フローラがハイネの前にある椅子に腰掛けると、侍女たちが慌てて紅茶を用意してくれた。


「どう? やっぱりきつい?」


「まあ……そうですね。でもやりがいもありますよ。まさか王太子妃になる訓練をするとは思ってなかったですけど」


「辞めたい?」


「…………」


 この男は気づいているのだろうか?

 そう聞いてくる己の顔が、どこか不安そうであることに。

 いや、気づいていないのだろう。

 もし仮にわかっていてやってるのなら、この男はとんでもない魔性ということになる。

 己の美しい顔を最大限有効活用するのはいいが、可能ならばその対象者をフローラにしないでほしい。

 なんだかものすごくダメージを負っている気がするので。


「…………正直最初は辞めたいというか辞めてやる気しかなかったですよ。絶対私じゃないほうがいいですもん」


「そう? 俺は君だからいいと思うけど」


「………………ですがまあ、やってみて思ったんですよ。これだけたくさんの人が動いてくださってるのに、教わる本人がそんな考え方でいいのかって」


「…………」


 フローラを王太子妃にするために、本当にたくさんの人が動いてくれている。

 それこそ教えてくれる講師の人たちもそうだが、きっとフローラが知らないところでも数多くの人が手助けしてくれているはずだ。

 フローラが食べるご飯、着る服を作る人、それらを運ぶ人。

 この紅茶を用意してくれる侍女もそうだ。

 彼女たちはフローラが王太子妃となる人だからこそ、こうして使えてくれているのに、その張本人がそんな気がないなんて、そんなことあっていいわけがない。


「なのでやれることは全力でやるつもりです。その上でそちらが合わないと思うのなら綺麗さっぱり、ええそれはもう思い切りご縁をぶった斬ってください」


「…………く、ふふっ、」


 だからなんで笑うのだと、ハイネをじっと見つめる。

 ぷるぷると震え、顔を伏せているハイネはもう無視することにして、フローラは紅茶を一口飲む。


「――美味しい」


「薔薇の紅茶はアヴァロンの名産だけど、これは……俺の友人も絶賛している品なんだ」


 あ、と、フローラはハイネの顔を見て目を見開いた。

 なんというか、とにかく驚いたのだ。

 こんなに優しい顔をする人なんだな、と。

 懐かしむような、それでいてどこか悲しげで、でも優しくて。

 複雑な感情が入り混じった表情をするハイネを、フローラは美しいと思ってしまった。

 本当にこんな人が自分の夫になるのだろうか?


「……お友達、いたんですね」


「すっごい失礼なこと言ってるって自覚ある?」


「まあ、ありますけど」


「そりゃ友人の一人や二人いるだろ。これでもアカデミーに通ってたんだぞ?」


 そういえばそうだったなと過去の記憶を探る。

 確か他国の、それも帝国であるローレランのアカデミーに通っていたはずだ。

 そこでその国の皇太子と仲を深めたと聞く。

 もしやこの紅茶を好きなのは、その皇太子なのだろうか?


「アカデミーか。大変そうだけれど、でも楽しそうですよね」


 そういったところに通ったことがないのでわからないが、はたから見ているぶんには楽しそうに思える。

 フローラの言葉を聞いたハイネは、昔を懐かしむように瞳を細めた。


「楽しいよ、すごく。かけがえのない人たちと出会えたから……」


「…………幸せ、ですか?」


 その表情があまりにも穏やかで、気づいたらそう聞いてしまっていた。

 問われたハイネは驚いたように瞬きを数回繰り返したあと、まるで子供のように屈託のない笑みを向ける。


「幸せだ。あんなにいいやつら、他にはいない!」

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