瞼の裏
まさかこんなことがこの身に起こるなんて、誰が想像しただろうか?
少なくともフローラ自身は、全く持ってこんな展開を予期していなかったし、望んですらいなかった。
だからこそ、侯爵家に帰ってきたフローラの顔は歪みに歪んでいたし、なによりも土気色をしていたことだろう。
そんなフローラを出迎えた侯爵家の面々も、同じような顔をしていたのには笑ってしまったが。
「…………なにをした」
「開口一番それは失礼すぎませんか?」
「王宮から手紙が届いた。おまえが……王太子妃になると」
「いえ、実際は婚約者です」
「代わりはない! おまえが未来の国母となるかもしれないのだぞ!?」
この父親はなぜフローラを王宮に連れて行ったのだろうか?
こうなって欲しかったのではないのかと腕を組み、思考を巡らせてみる。
そして思い出した。
そういえば最初からこの父親はフローラに少しも期待していなかったことを。
王宮に向かわせたのもただ命令だっただけのことで、フローラが王太子妃になるなんて微塵も思っていなかったのだ。
なんだやはりそこらへんは親子なのだなと勝手に納得していると、一人うんうんと頷くフローラを見て、父親はついに額を押さえため息をついた。
「おまえがなにをしたのかはこの際一旦置いておく。王太子殿下の婚約者となったのだから、今まで以上に身の振り方に気をつけなさい。ただでさえ……セシリー嬢の件でみな神経質になっているのだから」
「…………みたいですね」
ある意味そのセシリーのせいで、フローラが王太子の婚約者になったのだが、そこは伏せていたほうがいいだろう。
今はもうこの国にいないらしいセシリーという女性も、下手に話題の種にはなりたくないはずだ。
少なくとも自分ならそうなので、そっとしておくに越したことはないと口をつぐむ。
「これからお前には王族の一員となるための礼儀作法であったり、学ぶことが多い。恐れ多くも王妃様は婚約者になったばかりのお前を、王宮にてご指導してくださるとのこと。三日後には馬車がやってくるから、それまでに荷物をまとめておきなさい」
「……ちなみになんですけど、これって断ること…………」
「おまえはマレー一族を滅ぼしたいのか?」
「ですよね…………」
ちょっとした出来心。
小さな希望にすがってみただけではないか。
さすがにわかっていたことだが、もし叶うのならと口にしただけだというのに、父親は盛大なため息をついて何度も頭を振る。
母は呆然とこちらを見つめ、妹のエリアーナは親の仇かと睨みつけてきた。
なんだこれはと、フローラもまたため息をつく。
「ひとまず部屋に戻りなさい。……さすがのおまえも疲れただろう」
「そうですね……。さすがの私も疲れたので今日は寝ます」
軽く頭を下げたフローラは、そのまま自分の部屋へと向かう。
ドレスを脱ぎたいとか髪を解きたいとかいろいろあるが、もうそのすべてが面倒だとベッドへと倒れ込んだ。
「んあー…………どうなってんの一体」
ごろりと体の向きを変え、天井を見上げる。
見慣れた景色。
これから先もずっとこの景色を見ていくのだと思っていたのに、まさか自分の結婚相手がこんなに早く見つかるなんて。
あわよくば結婚もせず自堕落に侯爵家の甘い蜜だけ吸ってやろうと思っていたのに。
まあ、長女であり男の兄弟がいない時点でほぼ不可能なのは知っていたが。
夢くらいみてもいいじゃないかと、そっと己の手を伸ばす。
「王太子妃、ねえ……」
しょうじき想像もつかない。
いったいなにをするのか。
なにをするべきなのか。
どれほどの重責なのか。
己にそれが務まるのか。
なにひとつ答えはでない。
いや、むしろ無理なのではないかとすら思えてくる。
自分に人の上に立つ資格なんてない。
やはり断るべきだ。
こういうものは、それにふさわしい人がなるべきである。
「……セシリーさんって人は、ふさわしくなかったのかな?」
そもそもふさわしいふさわしくないとはどこを見て決めるのだろうか?
なにをもってして、王族にふさわしい人となるのだろうか?
もちろん血筋は大切だろうが、それだけで決まるならここまで苦労しないはずだ。
だから……。
「あ、もうわけわからなくなってきた。やめた。無駄なことしてる」
そっと目を閉じる。
こういうときは寝てしまうほうがいい。
明日になったらきっと、明日の己がいい案を思いついてくれるはずだ。
……きっと。
「………………そういえば」
なぜかふと、あの王太子の顔が思い浮かんだ。
はちみつ色の髪と瞳を持つ、美しい顔の王子様。
遠巻きにパーティーなどで見たことがあったが、間近で会ったときの破壊力は抜群だった。
思えばあの時そばにいた女性が、もしかしたらセシリーという女性だったのかもしれない。
だとしたらお似合いな美男美女だったのに。
セシリーという女性は一体なにが不満だったのだろうか?
彼女から婚約破棄を申し出たと聞いたが、よほど浮気性とかなのだろうか?
「あの顔だもんね……」
まあどうでもいいかと思考を放棄した。
さっさと寝てしまおうとまぶたの裏、真っ暗なそれをじっと見つめる。
「………………、」
なぜだろうか?
普段ならこれですぐ眠れるのに。
今は、きらきらと光るなにかが、まぶたの裏に焼き付いて離れなかった。
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