フローラ・マレーという女性
フローラ・マレー。
アヴァロン王国侯爵家の長女としてこの世に生を受けた彼女は、同じ年齢の女子たちに比べればやけに大人っぽい子供だった。
達観しているというかなんというか。
幼い女子が一度は夢見るであろう素敵な恋物語というものに、一切の興味を示さなかったのだ。
例えば。
隣の子が王子様と結ばれるの、と言えば。
『王妃になるって、想像するよりもずっと大変よ? 少なくとも今から教育を受けなきゃ。お父様に王族とのツテはあるのかしら?』
と答え。
前にいる子が私だけを愛する人と結ばれるの、と言えば。
『この国の男性の半分は愛人を作るって聞くわ。残りの半分も隠れて浮気することがあるみたいだし……。今から徳でも積んでおかないと』
と、答えた。
両親はそんな娘を少し気味が悪いと遠ざけたが、しかしフローラは全くもって気にしなかった。
なぜなら彼女は達観していたから。
たとえ親から可愛がられずとも、生きていける家があればじゅうぶんだったのだ。
だから何一つ気にしていなかった。
あの日では。
「――はい? お父様、今なんと……?」
「喜びなさい。王太子妃候補に選ばれた。明後日王宮に向かいなさい」
「…………も、もう一度いいですか?」
「………………はぁ。とにかく明後日だ。きちんと準備をして行きなさい」
「ちょ、お待ちくださいお父様! 私が王太子妃候補? なにかの間違いでは!?」
「間違いなものか。お前も侯爵家の令嬢なのだから、お声がかかってもおかしくはない。とにかく、選ばれるなんて思ってないが、私に恥をかかせないよう努力くらいはしなさい」
ふん、と鼻を鳴らして出ていった父の背中を、フローラは呆然と見つめる。
父に恥をかかせないよう云々はこの際まるっと無視をするつもりだが、それよりもまずなんでそんなところに行かなくてはならないのだと、引き攣る口元を隠すことができないでいた。
王太子なんて死ぬほど興味がない。
それこそ王太子妃、ひいては王妃にでもなってみろ。
頭の痛い日々を送るに決まっているのだ。
こちらは毎日ゆったりのんびり、あわよくば結婚もせず侯爵家の金食い虫になろうと思っていたのに。
そんな考えを読み取られでもしたのか、まさかこんなことになるなんて。
ぐっと拳を握り締め、いろいろな感情に耐えていると扉の方から声がかかった。
「なんでお姉さまなわけ?」
「…………エリアーナ」
「王太子殿下にお似合いなのはこの私じゃない!?」
鈴を転がすような声とはまさにこのことなのだろう。
愛らしい声に愛らしい見た目。
フローラとは違い爪の先から髪の毛一本にまで気を遣っている彼女は、誰も彼もが可愛い子だと口にするだろう。
そんな妹は不機嫌をあらわにしながら部屋の中に入ってくる。
「見た目も気にしないお姉さまなんて、王太子殿下にふさわしくもないわ。私が行ったほうがぜーったい王太子殿下もお喜びになられるわ!」
「それはまあ……確かにそうだけど…………」
見た目の一切を気にしたこともないフローラより、確かにエリアーナのほうが男なら喜ぶことだろう。
父も本当ならエリアーナを選定式に送り出したかったはずだ。
……しかし。
「でもあなたを選ぶってそれ、王太子がちょっとヤバいやつだって言ってるようなものじゃない。あなたまだ十歳になったばかりなのよ?」
そう、エリアーナはまだ十歳なのだ。
対して王太子は二十歳前後だったはず。
もちろん歳の割には大人びではいるが、しかしまだ子供もいいところ。
側室ならまだしも王太子妃、果ては王妃となると話が変わってくるだろう。
そう思って指摘したのだが、エリアーナはその言葉に顔をカッと赤らめた。
「と、歳は関係ないでしょ!? 若ければ若いほどいいってお母様言ってたもの!」
「限度があるわよ。……まあ王太子の好みなんて知ったことではないから、もしかしたら喜ぶかもだけれど……」
自国の未来の国王がそんな趣味嗜好を持ってるのは嫌だなぁ……と呟けば、エリアーナはその場で地団駄を踏み始める。
「それでも変わり者のお姉さまより私のほうが王太子妃にふさわしいもの!」
キーキー言うエリアーナに、フローラはこくんと頷いた。
「それはそう。だから安心なさい。私なんかが選ばれるわけないんだから」
「…………本当に?」
「本当よ」
「……………………嘘じゃない?」
「もちろん」
選ばれる気なんて爪の先ほどもないと言えば、エリアーナはぐっと下唇を噛む。
そういうところは年相応だなと思っていると、彼女はドレスの裾を強く握り締めた。
「…………じゃあ、ちゃんと帰ってくる?」
「――ええ。帰ってくるわ」
「……まだ、寝る前のお話、終わってないの忘れないでよね」
「わかってる。やっと勇者がドラゴンのところまで行ったんだもの。私も続きが気になってるの」
こくんと頷けば、エリアーナは渋々といった様子で部屋を出ていった。
とりあえず納得はしてくれたらしく、フローラはため息をつくとともにがしがしと頭をかく。
「…………ま、なんとかなるでしょ」
さっさと終わらせて帰ってこようと心に誓う今のフローラは知らない。
まさか未来の己が王太子妃になっているなんて――。
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