【番外編】

【番外編】はじまりはじまり

 心地よい微睡の中、優しい明かりを感じて目を覚ます。

 どうもここ最近は眠気が強くて、気が付いたら深く寝入ってしまっている。

 流石に疲れが溜まっているらしいと、パトリシアはゆっくりと上半身を上げた。


「――クライヴ様?」


 あれ?

 ときょろきょろ辺りを見回す。

 いつもなら隣で寝ているはずの彼がいなくて、そっとシーツに触れれば冷たい。

 どうやら彼が出ていってから時間が経っているようだ。

 仕事に行ってしまったのかと、一緒に食事をとれなかったことを少しだけ寂しく感じていると、部屋に侍女が入ってきた。


「皇后様。おはようございます」


「おはよう。……あの、クライヴ様は?」


「皇帝陛下は来客があるとのことで、二十分ほど前に向かわれました」


「…………そう」


 そういうことならば致し方ないと、パトリシアはベッドから立ち上がりやってくる侍女たちに身支度を任せる。

 どうも頭がうまく働いていないようで、未だ眠さを訴えてくる体に鞭打ってテーブルに腰を下ろした。

 スープやパン新鮮なサラダなどが置かれているそれに手を伸ばし、ゆったりと食べ進めていく。

 ここ最近は食欲もあまりないので、侍女たちも心配している。

 そんな彼女たちを安心させるためになんとか口に運んでいるが、スプーンを持つ手は重い。


「…………皇后様。よろしければフルーツをお持ちいたしましょうか?」


「…………そうね。お願いします」


 ダメだなとため息をつきつつ、背もたれに背中を預ける。

 結局侍女たちを不安にさせてしまった。

 申し訳ないと靄のかかったままの頭を軽く振っていると、扉がノックされ中にセシル卿が入ってくる。


「皇后陛下にご挨拶申し上げます」


「おはようございます、セシル卿」


「……今日はご体調のほうはいかがですか?」


「――悪くありません」


 曖昧な返事をすれば、途端にセシル卿の眉間に皺がよる。

 テーブルの上のほとんど手付かずな食事を見て、彼は静かに首を振った。


「午後にでも医師を呼びましょう。なによりも、皇后様のお体が優先です」


「ですが午後も謁見が……」


「断ります」


「ですが」


「あなた様はこの国の皇后陛下、国母なのです。そのお体を優先させるのは当たり前のことです」


「…………」


 国母。

 その言葉を聞いて、パトリシアはそっと己の腹に手を当てた。


「……そうですね。わかりました。セシル卿の言う通りにします」


「……皇后様」


 クライヴと結婚してもう一年が経つ。

 あっという間の一年だったけれど、それはそれは幸せな日々だった。

 彼はとても優しいし、周りにも恵まれている。

 だからこれ以上を望んではいけないのだが、しかしどうしても願わずにはいられないこともあった。


「…………」


 たった一年。

 けれど元より望みに望まれてやっと迎えられたその一年に、期待するものは多かった。

 結婚して三ヶ月が経ったころからちらほらと聞こえ始めてきたそれは、半年、一年と経つ頃には大きく肥大していき、パトリシアの耳にも嫌というほど入ってきた。


『少しでも早く皇太子を』


 クライヴとパトリシアの仲睦まじさは周知の事実であり、彼が側室をとることを拒否しているのだから、その声が大きくなるのはわかっていた。

 正直な話をすれば、パトリシアもまさか一年も懐妊しないなんて思ってもいなかったのだ。

 もちろん考えが甘いのは重々承知していたが、好きな人と結ばれた喜びに浮かれていたのだろう。

 まだかまだかと急かされるうちに、その言葉は徐々にパトリシアの肩に重くのしかかってくるようになった。

 仕方のないことだ。

 皇太子を産み育てるのはパトリシアの大切なお役目の一つなのだから。

 けれどこれに関しては時の運。

 神の采配でのみ決まるところでもある。

 どれほどパトリシアやクライヴが望もうとも、この薄い腹に命が宿ることはない。

 大きくため息をついたパトリシアを見て、セシル卿がふと思い出したようになにかを懐から取り出した。


「そういえば、皇后陛下にお手紙が届いております」


「――手紙?」


 差し出されたそれはアヴァロンから届いたものだった。

 王室の蝋印を見て、パトリシアはぱっと顔を綻ばせる。


「珍しい。ハイネ様からです」


「侍女がフルーツを用意するのにも少し時間がかかりますから、お読みになられてはいかがですか? 気分転換によろしいかと」


「……そうですね」


 封を開ければ、そこには懐かしいハイネの文字が書かれていた。

 簡単な挨拶もそこそこに、パトリシアの身を心配している内容が書かれていて、思わずくすりと笑ってしまう。


「クライヴ様になにか聞いたみたいですね」


「皇帝陛下のお心は一心に皇后陛下に向けられております」


「……こうして心配してくださる方がいらっしゃるのは、ありがたいことですね」


 ぱらりと手紙を捲れば、そこには見知らぬ文字が書かれていてパトリシアははたと首を傾げる。

 これは誰の字だろうかと考え、しかしすぐに答えにたどり着いた。


「……王太子妃様にも、ご心配をおかけしてしまったみたいです」


 そこには、美しい字でパトリシアの体調を心配する内容と共に、相談なのですが……ととある文面が書かれていた。


「あら、これは……」


「なにが書かれていたんですか?」


「ふふ。王太子妃様からハイネ様への、ラブレターです」


 これは素敵な手紙をもらったなと、パトリシアはゆっくりと文字を目で追うことにした。

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