ぷちっとキレた公爵令嬢は自ら選んだ人生を謳歌することにした

 どきどき、どきどき。

 心臓が高鳴る音が聞こえる。

 まさかこんなに緊張する日がくるなんて、思ってもいなかった。

 そっと己の胸元に手を当てれば、ふわりとしたレースに阻まれる。

 視線を胸元のレースから前に向ければ、そこには全身を映し出す姿見があった。


「…………」


 何度見ても慣れない光景だ。

 パトリシアは今、その身に真っ白なドレスを纏っていた。

 ドレスは肩を出す形で、胸元には薔薇をあしらったレースがつけられている。

 下の方はボリュームがない代わりに宝石が散りばめられ、お尻から下が引きずるほど長い。

 今はこういった形が流行りなのだと、ドレスをお願いしたシャルモンから教えてもらった。

 皇后として時代を作るのはパトリシアなのだからと、相当力を入れて作ってくれたようだ。

 頭のてっぺんからつま先まで、鏡に映る己の姿をじっと見つめる。

 おかしなところはないだろうか?

 髪は乱れたりしていないだろうかと最後の最後まで確認していると、扉がノックされる音が部屋に響いた。

 どうやら時間らしい。

 パトリシアは二度三度と深呼吸をしてから、侍女と共に部屋を出る。

 廊下を歩くパトリシアは高鳴り続ける心臓とは反対に、頭の中が冷静なことに気づく。

 この時をずっと待ち望んでいたのだ。

 五年前……いや、子供の時から。

 雲一つない晴れ渡った空を見上げる。

 その青々とした空を自由に飛ぶ二羽の白い鳥を見つけて、パトリシアはそっと肩から力を抜いた。


「皇后様? いかがなさいました?」


「……いいえ。なんでもありません」


 止まっていた足をすすめる。

 昨日の夜は未来のことを期待して眠れなかったのに、今では頭の中をまるで走馬灯のように過去のことが流れ出す。

 幼き日々の出来事。

 あの頃は自分が皇太子妃になるのだと疑わず、礼儀作法から皇宮所作まであらゆるものを学んでいた。

 でもあれは無駄ではなかったのだと、幼い頃努力し続けた自分に教えてあげたい。

 もちろんその時願った人は今、隣にはいないけれど。


「……」


 もう一度空を見上げる。

 今この青空の下、あなたはなにをしているのだろうか?

 あの人はどこにいるのだろうか?

 彼は笑っているだろうか?

 彼女は楽しんでいるだろうか?

 今この時に、たくさんの人の顔を思い出す。

 

「ここで少しだけお待ちください。すぐに皇帝陛下もいらっしゃいます」


「わかりました」


 大きな扉の前で待つ。

 その間にも頭の中は過去のことを、まるで観劇しているかのように流してくる。

 アレックスとの婚約を破棄をしたあの時、本当はとても辛かったのだ。

 もちろん今ではあの出来事も、過去の思い出として振り返ることができるくらいにはなったが。

 アカデミーに行けたのも本当に幸せだった。

 かけがえのない友人たちができたからだ。

 そういえばハイネもシェリーも参列して、お祝いしてくれていたなと二人の顔を思い出す。

 ハイネは隣国の王子として、シェリーはこの国の宰相として、これからも縁は続いていくのだろう。


『アカデミーがかけがえのない場所になる』


 そう学園長は言っていたけれど、本当にその通りだと思った。

 あの学園で出会った人たちは皆、パトリシアの力になってくれている。

 シグルドは伯爵家を継ぎシェリーを養子として迎え、彼女が宰相となるのを手助けしてくれた。

 ロイドはまだうまく仕事のできないシェリーの補佐をしっかりとやってくれているし、クロウは鍛錬の末クライヴの専属騎士となった。


「皇后陛下」


「――セシル卿」


 パトリシアはやってきた自らの専属騎士に微笑みかけると、セシル卿は膝を折り頭を下げる。

 幼い日の約束をやっと果たせたのだと泣いて笑った彼の顔を、永遠に忘れることはないのだろう。

 そんな彼は立ち上がるとそっと横へとずれる。


「――クライヴ様」


 そこに彼はいた。

 パトリシアと同じように真っ白な服を着て、装飾には紫を用いる。

 皇太子となってから彼の装飾は常に紫で、嬉しいやら恥ずかしいやらなんともいえない気持ちで彼の姿を眺めていた。

 そんなふうに見られていると気づいているのかいないのか、クライヴはパトリシアの前に立つと優しく目尻を下げる。


「とても似合ってるよ。パティはなんでも似合うね?」


「……クライヴ様こそ、よくお似合いです」


 どちらからともなく手を握る。

 そのままドアの方を見つめ続ければ、やがてそれはゆっくりと開いていく。

 眩いばかりの光を溢れさせるそれは、まるであの日頭の中に響いた、あのぷちっという音に導かれるがまま開いた未来への扉のようだった。


「――皇帝陛下万歳!」


「皇后陛下万歳!」


「ローレランに栄光あれ――!」


 わっと湧きあがった声たちに、パトリシアは瞬きを繰り返す。

 まさかここまですごいなんてと気圧されていると、クライヴがパトリシアの手をとったままゆっくりと歩き出した。


「お見えになったわ!」


「おめでとうございますー!」


「お幸せにー!」


 わあわあと大きな祝福の声が至る所から降り注ぐ。

 パトリシアたちは手を取り合ったままバルコニーに出て、手すりへと近づく。

 下を見ればたくさんの国民たちがいて、中に入れなかった者たちも外でたくさんの声をかけてくれていた。

 その光景を見て、パトリシアはああ、と納得する。


「――私、本当に皇后になったんですね」


「え、今更?」


 驚いたようにこちらを振り返ったクライヴに、申し訳なさそうな顔をしつつもこくりと頷いた。

 どうしても実感が湧かなかったのだ。

 パトリシアがずっと夢見た場所に、本当にいるのだと。


「パティは皇后だよ。俺の、たった一人の」


「………………夢みたいです」


「夢じゃないよ。……それに、夢見たいっていうなら俺のほうがそうだよ」


 クライヴは集まってくれた国民たちに手を振りながら、パトリシアの方を向く。


「君が今ここにいる。それが――俺にとっては夢みたいな景色なんだ」


 青空を見上げながら言う彼の顔は穏やかで、喜びに溢れていた。


「だからこれから先願い続けるよ。この夢を壊さないために。毎日、毎日、その日が君にとって一番の幸せな日であるようにと。……そうしたら君の未来はずっと幸せでしょ?」


「…………クライヴ様」


「それが俺の願い。パトリシア、君を愛したあの日から、俺の願いはただ君に幸せになって欲しかっただけなんだ」


 どうしてそこまで、と聞きそうになって、しかし口は閉じてゆく。

 それを聞くのは野暮な気がしたからだ。

 だからなにも聞かない。

 そのかわりに、伝えようと思った。


「私は幸せです。……愛する人の隣にいれるのだから」


「……本当?」


「ええ。もちろんです」


「――そっか」


 嬉しそうに笑ったクライヴは、パトリシアと繋がる手を国民たちに見えるように掲げた。

 途端に湧き上がる歓声に、パトリシアもまたもう片方の手を振ることで答える。

 大切な国民たち。

 彼らを守るためにも、パトリシアにはまだまだやるべきことがある。

 皇后として、できることを。


「パトリシア。俺を選んでくれてありがとう」


「――はい。これから末永くよろしくお願いいたします」





 

 こうして、ローレランに一人の皇后が誕生した。

 彼女の経歴を見た未来の者たちはこぞって口にする。


『彼女の存在が、ローレランという国のあり方を変えたのだ』


 と。

 類を見ない皇后は、しかし誰よりも国民に愛され、そして皇帝に愛された。

 愛妻家と噂される彼との間にはたくさんの子供に恵まれ、幸せな日々を送ったらしい。

 彼女の成したこと、その全てがローレランをさらなる繁栄に導いたのだった――。


 


 ぷちっとキレた公爵令嬢は人生を謳歌することにした

 完結

 

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