君の名前を見た

 ノーチス一行が帰ってから少しだけ時は経ち。

 パトリシアは元に戻った日常を過ごしていた。

 執務室で書類を確認する日々であり、確認した証であるサインをした後、腕を上げて背伸びをする。


「んー……。少し休憩にしましょうか」


「お茶の準備をして参ります」


 ロイドがさっと準備をしてくれ、テーブルの上に紅茶とお菓子のセットが置かれた。

 ありがたく紅茶を飲みながら一息ついていると、パトリシアの前で同じように喉を潤しているロイドが口を開く。


「ご気分を害されたら申し訳ないのですが、言わぬわけにはいかないと思いまして。……よからぬ噂が流れていることはご存知ですか?」


「よからぬ噂、ですか?」


 なんのことだろうかと首を傾げたパトリシアに、ロイドは眉間に皺を寄せた。


「フレンティア様のことです。ネロ陛下とのことが噂になっています」


「あぁ……」


 ネロが最後に口にした言葉。

 たぶんあれとダンスを踊ったことが、噂の発端になったのだろう。

 ネロはパトリシアとバルコニーで話した後会場に戻り、たくさんの令嬢たちから声をかけられたらしい。

 一緒にダンスをとの誘いを全て断り、結局ネロが踊ったのはパトリシアだけだった。

 それとローレランを発つ時に口にしたあの言葉で、パトリシアは色仕掛けで海賊の本拠地を知ったのではないかと噂されているようだ。


「……困ったものですね」


「全くです。失礼極まりない。フレンティア様がどれほど尽力なされているか知りもしないで」


 ぐっと強く拳を握り込むロイドに、パトリシアは穏やかな視線を向ける。

 己のことのように怒ってくれるロイドという存在はありがたいなと思う。


「どれくらい噂は広がっているんですか?」


「皇宮内で噂するものもいるようです」


「…………なるほど」


 パトリシアは紅茶を両手で持ちつつ、そっと顔を伏せた。

 ネロとの件は努力した結果だというのに。

 そんな噂に流されるなんて本当に残念だと、パトリシアはゆっくり顔を上げた。


「――計画通り、ですね」


 ほんのりと口端をあげるパトリシアはきっと悪い顔をしているのだろう。

 それを見たロイドもまた、同じような表情をした。


「ええ、本当に。上手いこといきました。餌を撒けば勝手に食いついてくれるというのは楽でいいですね」


「このタイミングでクライヴ様に謁見を申し出ているものも多いと聞きます。会話内容と共にピックアップしてください」


「もちろんです。噂の出どころと共に流したものも探し出しています」


 優秀な部下だと安心しつつ、用意してくれていたケーキに手を伸ばす。

 生クリームたっぷりのそれをフォークで刺しつつ、パトリシアはすっと瞳を細めた。


「敵を炙り出すには、こちらの弱みを見せるのが一番ですから」


 そう。

 パトリシアとロイドは危惧していた。

 ネロに呼び出されたあの日。

 彼からの好意を感じとった時、ネロの行動によってはよからぬ噂が流れるのではないかと。

 どうしようかと話し合っていた二人は、最終的にとある考えに至った。

 それが敵炙り出し作戦だ。

 ネロの行動は読めず、制限をすることもできない。

 ならいっそ、その行動を使い都合のいいほうに誘導してしまえばいいのだ。

 パトリシアを引きずり落とそうとするものは未だ多い。

 この五年でパトリシアの地位を落とし、己の娘を皇后にしようとするものたちを炙り出すため、ネロとのことは利用させてもらったのだ。


「皇后になられたとて、油断はできません。擦り寄るものの中には、あなた様を引きずり落とそうとするものもいるでしょう。なによりも恐ろしいのは味方のふりをしたものたちです」


「わかっています。だからこそ、今から準備をしておかなくては」


 むしろ皇后になってからのほうが本番だろう。

 権力に擦り寄りつつもいつか引きずり落とそうと画策するものたちから身を守るためにも、今から動いておいて損はない。


「それにしても馬鹿なものたちです。クライヴ陛下は全てをご存じですし、フレンティア様を一番に考えておいでです。噂を信じて自分の娘を皇后になんて話、逆鱗に触れるに決まっています」


「それでよいのです。クライヴ様も敵味方の区別がつきやすいとおっしゃっていましたので。……流れてしまった噂は仕事でカバーします」


「フレンティア様なら大丈夫ですよ。……本当に信用できるものを一人でも多く、ですね。ひとまず噂を流した人物、家、家族、財産は全てまとめておきます」


「ありがとうございます。それと、噂に流されなかった人たちもまとめておいてください。味方となる人は一人でも多い方がいいですから」


「かしこまりました」


 敵だの味方だの最初からなければいいのに。

 そうすればこんなことまでしなくて済むのに、と大きくため息をついた時、大きな足音と共にドアがなかなかの勢いで開かれた。


「パトリシア!」


「廊下は走らない、ドアはノックする、人目があるときはフレンティア宰相と呼ぶこと」


「わ、悪かったって……」


 ロイドからの注意にノアはしゅんっと肩を落とした。

 呼び方はもうどうでもいいと思っているのだが、他者から見たときに下に思われてはいけないとロイドから注意があったのだ。

 扉の前にいた護衛の騎士はなにも言わずドアを閉めてくれたので、あとでお礼の差し入れをすることにした。


「それよりなにかあったのですか?」


「あ! そうだった! 国家試験の結果、でたぞ!」


 書類をぱたぱたと揺らしたノアに、パトリシアとロイドは勢いよく立ち上がり彼の元へと走り寄る。

 心臓がドキドキとうるさく騒ぐ中、パトリシアは合格者の名前が書かれている紙をじっと見つめた。

 今回の試験から女性が参加できるようになったのだ。

 今年の女性参加者は五人。

 何百と試験を受ける人がいる中たったの五人だけしか受けていないのだ。

 まだ先は長いなと感じながらも、確かな一歩を進めているという実感もある。

 そして今日、このたった一枚の紙からローレランはゆっくりと動き出す。

 それがわかる一文が、そこには記載されていた。


「――…………すごいな」


「本当にな。さすがって感じ」


「…………頑張ったんですね」


 最後の最後に記載されていた、合格者の名前。


『シェリー・ロックス』


 パトリシアは嬉しそうに微笑んだ。

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