いい話をしよう

「ちょうどいい。ノーチス国王にもこれるようならきてほしいと声をかけてくれ」


「かしこまりました」


 騎士の一人に声をかければ、彼は命令のままに部屋を後にした。

 どうやらこの場にネロを呼ぶらしい。

 突然だなと紅茶を飲みつつもついでとお菓子に手を伸ばしていると、やがて騎士を連れてネロがやってくる。


「お呼びですか?」


「「ノーチス国王陛下にご挨拶申し上げます」」


 パトリシアと公爵が頭を下げれば、まさか二人がいると思っていなかったようで、ネロの目が見開かれた。

 しばしの沈黙ののちゆっくりと表情を元に戻すと、ネロは足を進めソファーへと腰を下ろす。


「どうやら長い話になりそうですね」


「ええ。ワインでもお持ちしましょうか?」


「昼間から飲むほど豪酒ではありません」


「なら葡萄ジュースは?」


「………………いただきましょう」


 侍女に目線を送れば彼女は指示のまま、ネロの前に葡萄ジュースの入ったグラスを置いた。

 見た目はワインそのものなのに、飲んでいるのはジュースだなんて。

 なんだか可愛らしく思えた。


「それで、お話とは?」


「フレンティア宰相」


「かしこまりした」


 クライヴの元まで向かい、彼に渡していた書類を今度はネロに渡す。

 彼は最初の一枚目を見てすぐに反応した。


「――軍事力の貸し出し、ですか」


「はい。ネロ陛下からのご依頼の件、私なりに考えてみたのです」


 ネロはパトリシアの説明を聞きながらも書類に目を通す。

 すらすらと読み続けた彼は、小さなため息と共に書類をテーブルに置いた。


「私には考え付かない案です。その点はさすがだと思います」


「…………ありがとうございます」


 そうは言いながらもネロの表情は晴れない。

 なにか気になるところがあるのだろう。

 次の言葉を待っていると、彼は葡萄ジュースで喉を潤した。


「私としてはとてもありがたいお話です。これで進められるのならば進めたいと思えるほどに。……しかし、この話を進めるには互いの信頼度が足りないと思うのです」


「……言いたいことは分かりますよ。こちらもやはりノーチスの軍を内に入れるのはどうなのだ、という意見がありましたから」


「でしょうね」


 やはりノーチス側もそこを懸念するのか。

 クライヴもわかっていたのか、ネロの言葉に深く頷いている。


「こちらとしてもローレランという大国に軍を渡すというのは怖いものがあります。……彼らとて、ノーチスの大切な市民です。無駄に命を散らさせたくはありません」


「…………」


 今の話を聞いて、パトリシアは確信を持てた。

 ノアならば信用できると。

 彼ならば無駄に戦争なんて起こさずに、ノーチスを平和な国に導けるはずだ。

 パトリシアがちらりとクライヴを見れば、彼はただ穏やかに微笑んでいた。


「…………どうですか? フレンティア公爵」


 え、とパトリシアが公爵の方を見れば、彼もクライヴと似たような顔をしていた。

 楽しげに笑いながら軽く頷いた公爵を見て、クライヴは指を組んでその上に顎を乗せる。


「なら信頼関係を築きましょう」


「…………どうやって?」


 クライヴはまるで悪事が成功した子供のように、屈託のない笑顔を浮かべた。


「ノーチスの姫を娶りましょう」


「――!」


 ひゅっと喉が鳴ったのは、パトリシアだけではない。

 同じようにネロも息を呑むと、一瞬だけ視線をパトリシアへと向けてくるが、そんな彼と目を合わせることは残念ながらできそうになかった。


「…………」


 国のためならば仕方のないことだ。

 確かに彼がノーチスの姫と婚姻を結べば、信頼関係を表向きにでも築くことはできる。

 それはわかっている。

 わかっているのだ。


「――……本気ですか?」


「本気ですよ」


 ネロが言い淀んでいるのがわかる。

 そばにパトリシアがいるから、いろいろ思うところがあるのだろう。

 彼の優しさに感謝しつつも、パトリシアは顔を上げることができないでいた。

 これは仕方のないことだ。

 そう、仕方ない。

 そうは思いながらも強く唇を噛みしめ、服の裾をぎゅっと握りしめたその時、クライヴの指示のもとネロの前に一枚の薄い本のようなものが置かれた。


「…………これは?」


「次期公爵の肖像画です」


「…………え?」


 聞こえた言葉に一瞬頭が回らず、ワンテンポ遅れてからパトリシアは顔を上げた。

 確かにネロの手元には以前彼がクライヴに渡したものと似たものがあり、そこには次期公爵、つまりはパトリシアの弟の肖像画が貼られている。


「残念ながら私は皇后以外を持つつもりはないですし、その皇后も決めています。そして今の皇族にノーチスの姫と結婚できる年齢の者はいない」


「……それで次期公爵を?」


「彼の了承は得ています。ノーチス王にはもしかしたら物足りないと思うかもしれませんが、彼は五年後皇后の親族となります。さらに彼が公爵になり皇后が皇子を成せば、次期皇太子の後ろ盾にもなれるでしょう」


 悪い話ではないはずだというクライヴに、ネロは口を閉ざした。

 確かにクライヴの言う通り、パトリシアが皇后となり子を成せば、その後ろ盾は公爵家になる。

 皇太子の後ろ盾になれれば公爵家も安泰だ。

 それはわかっている。

 わかっているが……。

 一体何がどうなっているのだ。

 パトリシアが慌てて父親を見れば、目があった彼はただ朗らかに笑うだけである。


「…………確かに。悪い話ではないですね」


「そちらの希望である婚姻による友好関係も築けますし、こちらの願いである軍事力も手に入る。悪いどころかいい話かと」


 そう言って笑うクライヴは、即位したばかりとは思えないほどの貫禄があった。

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