求婚をするしない
「なるほど……。クライヴ陛下が皇后にと求めた女性がいることは知っていましたが、あなたのことなのですね」
「自己紹介をすっかり忘れていました……。申し訳ございません」
「いえ。私もあなたのことを知った気でいたので。しかしなるほど……あなたがこの国の宰相なのですね。シェリーからは友人の令嬢のこと、としか聞いておりませんでしたので」
「はい。改めまして、現在ローレランの宰相を勤めております。パトリシア・ヴァン・フレンティアと申します」
求婚を断ってから、パトリシアは己のことをあらためて話した。
ネロがパトリシアのことをよく知っていたため、昔から知っている人のように接してしまった。
自身の身分と共にクライヴとのことをふんわり伝えれば、ネロは三つの願いの内容を薄く理解していたようで軽く頷く。
「よくよく考えればあの場にただの令嬢がいるわけなかったですね。どうやら無自覚にも焦って、頭が回っていなかったようです。……あなたに求婚したことをクライヴ陛下が知られたら、戦争になるでしょうか?」
「そ、そんなことありえません! というより今のは求婚とは少し違うような……」
確かに妃にとは言われたが、甘いものは微塵も感じなかった。
彼のいう通り、パトリシアを国に招待するのならそれ相応の地位をということなのだろう。
それで妃にというのも、中々どうなのだろうかと思うけれど。
渋い顔をしているパトリシアを見て、ネロは軽く首を傾げた。
「今のは求婚ですよ? 私はあなたの有り様を好ましく思います。真っ直ぐに進む姿は見ていて心地よい。シェリーに聞いていた通りの人です」
「…………そ、そうですか?」
「ええ。しかし残念ながら私の妃にはなってくださらないようですが。…………もし仮にクライヴ陛下からの求婚が取り下げられたら、あなたは私の妃になってくださいますか?」
いったいどういう意味だろうか?
クライヴが求婚を取り下げる?
ネロの言いたいことがわからなかったけれど、けれど答えだけは出ていたのでパトリシアははっきりと告げた。
「たとえクライヴ陛下が私を選んでくださらなくても、私はクライヴ様を選びます」
「――」
大きく見開かれた緑色の目が、夜空の明かりに照らされてキラキラと輝く。
そんな瞳にパトリシアを映しつつ、ネロはゆっくりと口を開いた。
「……皇帝を選ぶと、あなたはいうのですか?」
「え? ……あ、いえ! 申し訳ございません。ずいぶんと偉そうなことを口にしてしまいました。あの、えっと……」
確かに知らない人からしてみれば、不敬と捉えられてもおかしくない言葉を口にしてしまった。
どうやって弁明しようかと、あわあわと慌てつつ否定するパトリシアを見て、ネロはパトリシアから視線を離す。
「……クライヴ陛下はあなたのことを大切にしているのですね。今のでわかりました。付け入る隙はなさそうですね」
「………………」
第三者からそんなことを言われると、ちょっとだけくすぐったく感じてしまう。
どう反応すべきか悩んでいると、そんなパトリシアの隣でネロはワインを楽しんでいる。
「しかしならば困りましたね。クライヴ陛下に私の妹を娶ってもらうこともできず、あなたも私の妃にはなってくださらない」
「……ネロ陛下はローレランとノーチスの関係をよくしたいとお思いなのですか?」
「…………正確には違いますね」
ネロはパトリシアの前に置いてあるワインを手で指し示し、飲む様促してきた。
話に夢中になってて気づいていなかったが、確かに口をつけないのも失礼だなと喉を潤す。
あまりお酒は得意ではないのだが、このワインの豊かな香りと舌を通る甘い香りにふと息をつけた。
「ノーチスは強い国です。武力でも金銭面でも負けることはそうそうないでしょう。……しかし小国です。土地は少なく、住む人もローレランほど多くはない」
ノーチスの人口はローレランの半分にも満たないと聞いたことがある。
そのうちの半分以上が軍に所属しており、所属していなくても武器の扱いや戦い方は義務として教え込んでいるらしい。
それほど国全体で軍事力に力を入れているという事だ。
「今は金が豊かですが、そのうち必ずとれなくなります。無限でないことは理解してしますから。そうなった時、我が国では資金源がなくなってしまう。資金がなければ軍を維持することもできなくなってしまいます」
「……難しい問題ですね」
「最近は金を欲しない国も出てきています。宝石やそれに似た装飾品でよいという考えの人もいます」
特に装飾品をつける機会の多い女性たちは、金だけでつけることはほぼしない。
必ず宝石やそれに似た何かをつけるため、金の需要が低くなるのも仕方のないことかもしれない。
彼はそれを危惧している様だ。
「故に大国であるローレランとは、切れぬ縁を結んでおきたいのです。我が国を守るためにも」
なるほどつまり、彼はただの友好国というだけでは足りないと思っているのだ。
それではいつかなにか起こった時、簡単に見捨てられてしまう可能性があるから。
そうならないようにネロの妹をこの国に嫁がせようとしたようだが、クライヴはそれをよしとはしない。
難しい話だなとパトリシアは考えるように瞼を閉じた。
「……しかし婚姻関係を結んだとて、反故にされる可能性もゼロではないかと思います」
「…………その通りです。ですが私にはこの案しか思い浮かばなかった」
歴史的に王妃の祖国を滅ぼした、なんて話を聞いたことがある。
婚姻関係は確かに強固そうに見えるけれど、案外脆いものだったりするのだ。
例えば王の心が王妃になかったり、王が許せぬほどの失態を祖国が行ったり。
理由はさまざまだ。
「私はノーチスをこの国のように豊かにしたいのです」
そう呟いたネロの声は、とても切実だった。
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