血のように赤い

「スラム、ですか?」


「ええ。父親が軍の上層部にいましてね。母親はその家の使用人でしたが、正妻に妊娠がバレ追い出されスラムへと辿り着きました。そこで私を産み育てましたが、私が十の時には亡くなりました。そんな時に父親が迎えを寄越したんです。跡取りになれと」


 スラムとは貧困層が暮らす地帯のことをいうらしい。

 衛生的にも防犯的にも良いとはいえないところで、親子二人で暮らしていたのか、とパトリシアは眉を寄せる。

 この国にも貧困層が暮らす地区があるが、それとは比べ物にならないほど治安が良くないと聞く。


「正妻は私が生まれた後に娘を産んだらしく、難産ゆえその後亡くなりました。次の子が見込めず、私を迎え入れたのです」


「……その娘さんが」


「……? ああ、クライヴ陛下に紹介したのがそうです。腹違いとはいえ妹ですし、父親の横暴さに二人で耐えてきたので仲は良好ですよ」


 やはりそうだったのか。

 クライヴの妻にと望んだのは、彼の腹違いの妹だったのだ。

 彼の言い方的に本当に仲がいいのだろう。

 そんな人をクライヴの元に嫁がせようとするなんて、よほどノーチスはローレランと友好な関係でいたいらしい。


「父の申し出を受け、私はあの男の後継として軍に入り力をつけました。同志を見つけ、共に前王を討ち今に至ります」


「…………なぜ、その話を私に?」


 どうしてそこまで話をしてくるのか。

 なぜパトリシアなのか。

 疑問に思っているところを聞けば、彼はワイングラスをそっとテーブルに置いた。


「ローレランは奴隷を解放したでしょう? その話をシェリーから聞いたんです。パティという友人が尽力したのだと」


「……そうだったのですね」


「私はスラムをなくしたいと思っています。皆が努力をすれば、それだけ豊かな生活を送れるようにしたい。……もちろん、スラムを無くすだけでは終わらないのはわかっていますが」


 その通りだ。

 スラムを無くすといっても、その後の生活まで保証してあげなくてはならない。

 住む場所だけを奪われたら、彼らはまた第二第三のスラムを作るだけである。

 根本的な解決は、貧困の差をなくすことだ。

 ローレランがそれをできたのは、大国だからである。

 彼らに貸し与える土地もあり、資源も豊か。

 さらには仕事を与えることもできた。

 今彼らの仕事は順調に進んでおり、ワインは徐々に話題を集め、宝石も市場に出回り初めている。


「だからあなたと話してみたかった。シェリーの話も、とても興味深いものでしたから」


「……シェリーとはどんなお話を?」


「主には元奴隷の村の話を。いかにして村を豊かにしたのか、とても興味深い話でした。そこからあなたの話をよく聞くようになったのです。だからここで会った時は思わず驚いてしまいました」


 なるほどと納得しつつ、パトリシアはシェリーの凄さに驚いてしまう。

 そういえばアカデミーでもクライヴやハイネに臆することなく接していた。

 それを無礼と捉える人もいるだろうが、きっと彼女はそこらへんを見極める目が鋭いのだろう。

 向こうの心地よい距離感をよく理解しているのだ。


「パティはすごいのだと口癖のように言ってました。御令嬢なのに頭がよく行動力があり、人を惹きつけると」


「大袈裟です。それにそれはシェリーの方ですよ。彼女はすごいのです。私には思い付かないことを思いつくのです。ワインの件もシェリーが教えてくれなければ、私では想像することもなかったですから」


「…………そうですか」


 なぜかくすりと笑われ、彼は今一度ワインを口に含む。

 味わうようにゆっくりと喉へ流すと、じっとグラスを見つめる。


「あなたのような人が我が国にいてくれれば、今よりもっといい国になるんでしょうね」


「そんな……。ノーチスは内乱も数年で鎮圧したと聞きます。国王陛下の手腕が素晴らしいから、戦火を素早く消せたのです」


「私ができるのは血を流すことだけです。内乱を収めたのも、前王派を全て処分したからであり、手腕などではありません」


 その言葉に思わず喉を鳴らしてしまう。

 つまり彼は敵対する全ての者を殺し、場を収めたということだ。

 想像つかないほどの血が流れたのだろうと、そっと目を伏せた。


「しかし時代は変わる。我が国は今よりもっと平和にならなくてはいけない。だからこそ、人を殺すことに長けた私だけではダメなのです」


 ワインの赤が月明かりに照らされて彼の手を染める。

 それが日常であるかのように、なに一つ違和感なく。

 彼はゆるくワインを回しつつ、ふと思いついたように顔をこちらへと向けてきた。


「――私の妃になりませんか?」


「………………………………はい?」


「妃です。我が国にきませんか? あなたの能力を、ノーチスで発揮していただきたい」


「え、あ、え? いえ、あのっ」


「私は妻を娶っていないんです。他に娶るつもりもないですし、悪い条件ではないと思うのですがいかがでしょうか?」


「い、いかがって……」


 突然話が飛躍しすぎてないだろうか。

 パトリシアは慌てて首を振るけれど、ノーチス王はそれを見てくれていない。

 顎に手を当て視線を下げて、考えるようにしている。


「公爵家の御令嬢だと聞いています。クライヴ陛下が我が妹との婚姻を拒否されるのなら、この手もありだと思うのですが……。うん、そうですね」


 パッと顔を上げたノーチス王は、にこりと微笑むと手を差し出してきた。


「私のことはネロとお呼びください」


「――っ、申し訳ございません。……お、お断り……いたします」


 絞り出すように口にしたその言葉に、目の前にいるノーチス王ことネロは、きょとんとした顔をしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る