最終章

最終章 そばにいたい

 目まぐるしい日々である。

 クライヴが皇帝となり、パトリシアが宰相の座についてしばらく経ったが、未だ落ち着いたとはいえない状態であった。

 結局クライヴと私的に会えたのは皇后の計らいの場だけで、ここ最近はとんと会えていない。

 会議等で顔を合わせることはあれど、ただそれだけである。


「フレンティア様。こちら確認お願いします」


「ありがとうございます」


「パトリシア、こっちも頼む」


「かしこまりました」


 渡される書類に目を通しつつ、必要なところを訂正していく。

 終わればハンコを押して彼らに返す。

 それを繰り返していると、執務室にカーティスが入ってくる。


「忙しそうだな」


「カーティス様!」


 ノアが立ち上がると走るようにカーティスの元へと向かう。

 それを見ていたロイドがぼそりと、犬ですね、と呟いたのだが、パトリシアは聞こえなかったふりをした。


「どうなされたんですか? もしかしてお暇なんですか!?」


「…………お前のそのまっすぐなところは利点だと思ってはいる」


「ありがとうございます!」


 そのお礼はなんか違う、と心の中で呟きながらもパトリシアは立ち上がると、カーティスの元へと向かう。


「お久しぶりです、カーティス様。日々、いかがお過ごしでしょうか?」


「数十年ぶりの暇というものに、なにをしていいのかわからず困っている」


 ずっと忙しくしていたのだから、そうなっても仕方ないかと思わず笑いながら、彼にソファーへ座るよう案内する。

 ノアがすぐに紅茶やお菓子を用意してくれたので、パトリシアも少し早めの休憩をとることにした。


「ご旅行にでも行かれてはいかがですか?」


「まだしばらくはここにいて、お前たちを見張っていないとな」


 確かにそれはそうだ。

 パトリシアはカーティスの推薦で宰相の座に着いたことになっているため、なにかあれば彼の名前が出されてしまう。

 もちろんもう引退しているわけだから、彼がわざわざ出張る必要はないのだが、性分的にそうもいかないらしい。

 文句があるのなら私を通してもらおう、と彼が凄んでいるところを何度も見てきた。


「しかし暇だ。仕事をしていた時は丸一日なにもしない日が欲しいと切に願っていたのに……。実際そうなると手持ち無沙汰で嫌になる」


「多忙に慣れすぎですよ。趣味とか見つけたらどうです?」


「趣味? ……書類整理?」


「だめだこれ」


 ノアが己の額を抑えながら天を仰ぐ。

 そんな彼に憐れみの視線を向けるロイドとパトリシアを、カーティスは不思議そうに見てくる。

 しばしの沈黙。

 若干気まずさを感じたのか、カーティスはごほんと大きく咳払いをして話を逸らすことにした。


「その後はどうだ? 馬鹿者たちがまたなにか言ってきたりしてないか?」


「大丈夫です。そこらへんは……」


「我々が睨みを効かせていますので」


 胸を張るノアとロイドに、パトリシアもまた頷いた。

 文句を言ってくる人は多い。

 嫌味や妬みを口にする者もいれば、仕事を回してくるのをわざと遅らせてくる者もいた。

 渡された書類をざっと確認する立場にある二人が、明らかにわざとだなとわかる時には、ちくりと一刺ししてくれているらしい。


『この内容なら次回からは一週間早く持ってきてください。宰相様も暇じゃないんです。あなたと違って』


 そういった書類はノアとロイドが率先して持ってきてくれるため、パトリシアの仕事に支障は出ていない。

 悪事を企てても意味がなく、しまいには毎回嫌味を返されるため最終的には諦めたようだ。

 今では滞りなくできているので、彼らの存在はとてもありがたいものとなっている。


「大丈夫そうならよかった。引き続きそういった愚か者には厳しくするといい。法案を通さんぞと脅したってかまわん」


「かしこまりました!」


「それはダメです!」


 その脅しだけはしてはダメだと伝えるが聞いてくれているのかいないのか。

 カーティスは以前よりも柔らかな笑顔を浮かべた後、パトリシアへと視線を向けた。


「しかしのんびりはしていられない。君には五年しかないのだからな」


「――はい。わかっています」


 五年後、パトリシアは皇后になる。

 宰相から皇后へ。

 なんとも凄まじい経歴だ。

 この事実だけを知ることになるかもしれない後世の人間たちは、きっとパトリシアをとんでもない令嬢だと思うだろう。


「あり得ないことをあり得させるのが三つの願いだが……これには皆空いた口が塞がらなかったようだな」


「当たり前ですよ。俺たちも事前に知らされてなかったら、きっと間抜けな顔を晒していたはずですよ」


 あの発表の前に身近な人たちにだけは事前に伝えていた。

 もちろん信用に足る人だけで、ここの三人とパトリシアの父である公爵、そして皇后。

 シェリーやハイネにも秘密にしていたため、手紙で盛大に怒られたのは内緒だ。


「君が未来の皇后であること、それは支えにもなるが同時に重荷にもなるだろう。だが気負いすぎるな。君は皇帝陛下に望まれて皇后となるのだから」

 

「…………はい」


 後五年。

 後五年で彼の皇后になれるのだ。


「…………、」


 ふと己の手元を見る。

 あんなに望んだことなのに。

 この宰相という地位を、己が望んだはずなのに。

 いや、今でもこの場にいられることがどれほど幸福なことなのかは理解している。

 実際パトリシアの心は躍っていた。


 ――だというのに。


 五年が長いなんて、そんなふうに思ってしまう。

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