第四章完 それはあり得ない願いを叶えるため
皇帝陛下の葬儀は厳かに行われた。
冷静に人前に立ち続けるクライヴを、パトリシアは離れたところから見つめていた。
彼はもう人の前に、上に立つ存在なのだとその姿を眺めながら思う。
そんな日からまた時は経ち。
今日は、クライヴが皇帝となる日だった。
空は晴天。
雲一つない青々とした天を仰ぎ、神ですら彼を祝福しているように感じた。
喪が明けたローレラン帝国は、お祭り騒ぎになっているらしい。
地方から皇都、さらには皇宮内まで誰も彼もが新たな皇帝の誕生を祝福している。
……と、思いたい。
実際は水面下でいろいろ動いていたようだが、それらはあらかた沈静化させられたはずだ。
表立って異を唱えるものはいなくなったが、腹の中ではまだ策略を巡らせているものもいるだろう。
目を光らせていなくては。
「――始まるな」
鋭い視線を向けているパトリシアへ、隣に立つカーティスが声をかける。
ハッとしたように彼へ視線を向ければ、カーティスは少しだけ口端を上げた。
「祝いの席だ。警戒は騎士や我々老体に任せて、君は素直に喜ぶといい。ほら、新たな時代の始まりだ」
大きなラッパの音が響く。
皆が息を呑み入り口を見つめる中、重厚感のある音を響かせながら開かれた扉から、クライヴが入ってくる。
真っ白な生地に、金色の縁。
歴代の皇帝たちが即位式の際に着ていた物と似たその衣装は、しかし至る所に紫が光り輝いていた。
胸元やカフス、ピアスに至るまで全ての装飾品に紫が散りばめられていて、それを見たカーティスが少しだけ眉を顰めているのに気づき、心の中でだけ謝っておく。
クライヴの頭の上に王冠が乗せられ、ついに彼が皇帝となる。
皆が祝いの言葉を口にしながら拍手を送る中、パトリシアはそっと己の胸に手を置いた。
「…………」
ドキドキがうるさい。
胸の高鳴りが抑えられないでいる。
それは高揚か、緊張か。
立ち上がり自らを祝うためにやってきた者たちを眺めるクライヴの姿を、ただ静かに見つめていた。
「ありがとう。今日より私は、このローレランの皇帝となった。日々学び、この国がより豊かになるよう、民に寄り添う皇帝となることを誓う。今より人々が自由で、今より人々が笑い、今より人々が未来に希望を持てる国にしたい」
「おめでとうございます! クライヴ皇帝陛下!」
「皇帝陛下万歳! ローレランに栄光あれ!」
拍手喝采を浴びながら、彼は軽く手を上げてそれを制する。
ピタッと口を止めた人たちの視線は、彼の一挙手一投足に釘付けだ。
「――この場で私は、三つの願いを宣言する」
ざわりとざわつく人たち。
なにを言うのかと期待に目を輝かせる者。
どんな無理難題を言ってくるのかと訝しむ者。
さまざまな反応を見せる人たちだったが、皆が皆彼の次の言葉に集中しているのがわかる。
クライヴはまるで一人一人の目を見るように見渡し、深く息を吸い込んだ。
「一つ、私は今この時、皇后をとることはしない」
「――…………え?」
どこからともなくそんな声が聞こえた。
その声を皮切りに、いろいろなところから困惑した声が上がる。
皇后をとらないとはどういうことだ、と。
ならば側室をとるのかと皆がざわつく中、彼のそばにいた元皇后、現皇太后が咳払いを一つした。
一瞬で静まり返った室内で、クライヴはもう一度口を開く。
「カーティス宰相前へ!」
カツン、と音を立ててカーティスが足を進める。
歩みを進めた彼は、クライヴがいる玉座の階段下までやってくると膝を折った。
「お祝い申し上げます。陛下の御代が幾久しく続きますように」
「ありがとう」
クライヴへの礼が終わった後、カーティスは立ち上がると周辺を見回した。
「――クライヴ陛下より、私に宰相を継続して欲しいとお言葉を賜った。しかし私は先代皇帝陛下にのみお仕えすると神に誓った」
彼の言葉にざわつくものはいなかった。
カーティスの先代皇帝への忠誠心を疑うものは、この場にいない。
ならばどうするのかと息を呑む者たちへ、カーティスは胸を張り声を張った。
「なので私は宰相の任を断ることに決めた。しかし、その座を空白にしたままにするのは、陛下の御代を安定させるためにもよくないと、お互い認識が一致した」
パトリシアは彼の声を聞きながら、一度だけ深く深呼吸をする。
ゆっくりと瞳を閉じて、そして開けた。
新たな世界を、見つめるために。
「よって、私の後継者にその座を譲渡する。パトリシア・ヴァン・フレンティア、前へ!」
ざわつく中、パトリシアは足を進めた。
驚愕に顔を歪める者たちの横を通りながら、人々の射抜くような視線を感じる。
けれど恐ろしくはない。
胸を張れ。
虚勢を張れ。
誰にも文句を、言わせないために。
「パトリシア・ヴァン・フレンティア」
「まずはお祝い申し上げます。クライヴ皇帝陛下の御代が光り輝く物でありますように」
「――ありがとう。カーティス宰相の申し出を受けるか?」
表立った否定はないけれど、ざわつきの中には戸惑いの声も聞こえてくる。
けれどそれら全てを無視して、パトリシアは膝を折り頭を下げた。
「承りました。精進いたします」
ざわめきは最高潮に達する。
流石に至る所から女を宰相にするなんてあり得ないと声が上がる中、クライヴはその声を覆すほど大きな声を上げた。
「二つ、パトリシア・ヴァン・フレンティアを宰相に任ずる。彼女が宰相となる期限を五年とし、その後の後継を彼女が選ぶものとする」
彼のその言葉に非難の声は少しだけ収まる。
周りは勝手にパトリシアは次代の宰相を選ぶまでの繋ぎでしかないと思ったのだろう。
だがしかし……と口を濁す者たちを一瞥しつつ、クライヴの視線がこちらを向く。
こくりと頷いたパトリシアは、足を進め玉座のある階段を上がる。
彼の隣に立つと、その手をとった。
たくさんの視線を感じる。
痛いくらいのそれは、ほとんどが否定的なものだろう。
けれど怖くはない。
二人を祝福してくれる人たちが、確かにいることを知っているから。
だからもう一度クライヴを見る。
彼もこちらを見ていて、力強く手を握られた。
大丈夫だと、伝えるように。
「三つ! 五年の任期が満了したのち、彼女を私の唯一の皇后とする」
「――な!」
「そんなっ!」
たくさんの人たちが息を呑む。
頭を抱える者、異を唱える者、喜びを表に出す者。
三者三様の様子を見つつも、クライヴはそのどれも見ることはなく、その瞳にはただ未来だけを映していた。
この国は大きく変わる。
良い方へ、みんなが笑顔になれるそんな国に。
これはその第一歩だと、最後に言い放った。
「――これを、私の三つの願いとする!」
第四章 完。
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