一緒に。

 その訃報を聞いた時、パトリシアは皇宮にいた。

 いつものように執務室で仕事をしていた時だ。

 見知らぬ侍女がやってくると、急ぎカーティスへとなにかを耳打ちする。

 それを聞いた彼は顔を青ざめさせ、立ち上がるとなにも言わずに部屋を後にした。

 その時なんとなく、わかってしまったのだ。

 こんなに彼が慌てるなんて、滅多なことではない。

 だから、ああ、もしかしたら、なんてその時持っていた書類を強く握りしめた。

 それから少しだけ時間が経ち、日も落ちかけていた時だ。

 皇帝が崩御されたと耳に入ったのは。

 膝から崩れ落ちたのを、隣にいたノアが支えてくれた。

 そんな彼にしがみつきながら、パトリシアはただ呆然と床を眺めていた。

 覚悟はしていたはずなのに、衝撃が凄すぎたのだ。

 こんな時、皇太子妃だったなら。

 あの太陽のように優しい人のそばにいることができたのに。

 何かできなくても、せめて最後を看取ることができたであろうに。

 そんなこと思っても仕方ないのに、涙が止まらなくて目元を手で覆った。

 声を上げることなく泣き続けるパトリシアの背中を、ロイドが優しく摩ってくれる。

 何度もお礼を言いながらも泣き続けるパトリシアを支えてくれる二人。

 そんな執務室に、やがてカーティスが戻ってくる。

 最後に会えたのだろう彼は、いつもは綺麗にセットされている髪を乱し、赤く腫れる目元を隠すこともなく己の席へと深く腰を下ろした。

 呆然としているカーティスの元へノアが駆け寄るが、彼は軽く手を振るだけで下がらせる。


「…………カーティス様」


「………………穏やかに逝かれた。それだけで、じゅうぶんだ」


 ああ、そうか。

 穏やかに逝かれたのか。

 パトリシアはそっと朱色に染まる空を窓越しに見上げた。

 晩年は病気により辛そうだったので、最後を静かに迎えられたのならよかったのかもしれない。

 目元を拭いロイドの手を借りて立ち上がると、パトリシアはカーティスの元へと向かう。


「…………お気を確かに」


「――ふ。後追いなどしないさ。そんなことをしては、向こうで叱られてしまう」


 まだ赤く痛々しい目元を強く拭うと、彼は勢いよく己の頬を叩いた。

 その光景に驚いているパトリシアたちをよそに立ち上がると、いつもの鋭い視線をこちらへと向けてくる。


「陛下の葬儀が終わり、喪が明ければクライヴ殿下の即位式が始まる。悲しんでばかりはいられないな」


「……そうかもしれませんが、今日くらいのんびりなされてもよろしいのでは?」


「いや。正直気を紛らわしたいというのが本音だな。巻き込むことになるが、仕事を始めよう」


「――はい」


 確かに今彼に休みを与えたところで、一人でいろいろ物思いに耽ってしまうだろう。

 それなら一緒にいられるここで仕事をしている方がいいのかもしれない。

 彼からの提案に納得し頷いたパトリシアが書類を手にしようとした時、それをカーティスが止める。


「フレンティア嬢。君は会いに行くといい」


 誰に、と聞く必要はなかった。

 数秒止まったパトリシアは、カーティスへと向き直ると頭を下げて部屋を後にする。

 いつもよりも早く足を進めて向かうのは、クライヴの私室だ。

 護衛の騎士たちに目配せすれば、彼らはすぐに入室の許可を聞いてくれる。

 さすが皇后が選んだ人たちだ、と中から入るようにと声が聞こえてきた。

 開けられた扉をくぐれば、そこにはソファーに座る彼がいる。


「…………クライヴ様」


「ごめんねパティ。いろいろ忙しくてさ。急だったからなにも準備できてなくて」


「……クライヴ様」


「パティも驚いたよね? 大丈夫だった? そっちも忙しくな」


「クライヴ様!」


 もう我慢ならないと、彼の名を呼びながらその頭を抱き抱えた。

 きっと本人も気づいていないのだろう。

 いつも通りにできていると思っているのだろうが、手は震えているし力が入りすぎて書類が折れてしまっている。

 そんな状態で大丈夫なはずがないのに、どうして頼ってくれないのだろうか。

 抱きしめる腕に少しだけ力を込めれば、クライヴは一度だけため息をついた。


「…………パティは大丈夫? 父上のこと、聞いたんでしょ?」


「…………」


 大丈夫じゃないのは自分なのに。

 どうしてこんなにパトリシアのことを思ってくれるのだろうか。

 ゆっくりと離れると、こちらをほんのりと赤く染まる目元で見つめてくる。

 泣きたいのは彼のはずなのに。

 一番辛いのは、彼の方なのに。


「…………一緒に、ですよ」


「…………」


「一緒に、悲しみましょう。一緒に……です」


「――、」


 ぽろり、と彼の目元から涙が一つこぼれ落ちた。

 それをパトリシアが目視した瞬間、立ち上がった彼に勢いよく抱きしめられる。

 よろけそうになるのを足に力を込めて耐えると、彼はパトリシアを抱きしめながら小さく嗚咽を上げた。


「パティはずるいな。我慢しようとしたのに……っ」


「……はい」


「覚悟なんて、できてたはずなのにっ」


「…………はい」


「こんなに悲しいなんて、思わなかった……っ」


「………………はいっ」


 どちらからともなく涙がこぼれ、互いの服を濡らしていく。

 止まることを知らない涙は、それだけ皇帝の存在が大きかったことを思い知らせてくる。

 ぽろぽろと溢れ出るそれを、二人はただ静かに流し続けた。


「…………一緒に、です」


「…………うん。一緒に、だね」


 一人では崩れ落ちそうなほど辛いことでも、二人でなら乗り越えられる。

 抱きしめ合う腕に力を込めて。

 一緒に居続けたいと強く願う。

 二人の命尽きる、その時まで。

 

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