その先がたとえ地獄でも

「どう? 国支援の学校の件上手くいってる?」


「はい。カーティス様やノアさんに手伝っていただいておりますが、概ね予定通りに進んでおります」


「パティが作った書類見事だったよ。あいつらぐうの音も出ないって感じで、笑っちゃった」


 あの会議は無事終わってよかった。

 実はあの啖呵を切った後、ちょっとだけ手が震えていたのだと言えばクライヴはくすりと笑う。


「でもあれのおかげで流れ変わったし、最高の演技だったよ。パティは才能の塊だね」


「そ、そうでしょうか……?」


 確かにあれから彼らのパトリシアへの接し方は変わったので、実際は成功だったのだろう。

 紅茶を口へ運んだクライヴは、一瞬だけ視線を周りへと向ける。


「…………パティ。少しだけ近くに来て」


「……」


 なんだろうか。

 クライヴの真剣な顔に、パトリシアは上半身を少しだけ横へとずらした。

 彼もまた体を動かして顔を近づけると、パトリシアの耳元で声を小さくして言う。


「思ったよりも父上の病気が悪化している。俺の即位が予定より早いかもしれない」


「――…………」


 いけないと、表情に力を込めて動かないようにした。

 それでも瞳が揺れてしまったからか、クライヴは少しだけ悲しそうな顔をする。


「……ごめんね。パティには辛い話だよね」


「…………はい。ですが私よりもクライヴ様が」


「俺は大丈夫。いろいろ覚悟は持って動いてるから」


 覚悟を持つ。

 パトリシアもできていると思っていた。

 けれど実際その話を聞いて胸を埋め尽くすのは、悲しみの感情だ。

 皇帝との永遠の別れが、少しずつ現実のものとなってきている。


「カーティス宰相は知ってる。毎日のように父上に会いに行ってるからね。彼も覚悟を決めてると思うよ」


「そうだったのですね。私はなにも知らなくて……」


 カーティスの皇帝への忠誠心の高さは知っている。

 そんな彼が、皇帝の体のことを知って普通でいられるはずがないのに。

 そばにいるパトリシアに少しも違和感を持たせないとは、やはり彼はすごい人だと思う。

 けれどそれと同時に少しだけ寂しくもある。

 もう少し頼ってくれてもいいのに、と。


「機密事項だからね。本来なら他言無用だ。カーティス宰相もそれがわかってるから、言わなかったんだと思うよ」


 それもあるだろうけれど、きっと違う。

 これは誰かに言ったところで意味がないと、カーティスはわかっているのだ。

 己の心の問題で、誰に話を聞いてもらっても意味がないことだと。

 パトリシアもそっと己の胸元を押さえる。

 この泣きたいくらい悲しい気持ちも、自分自身で乗り越えなくてはならないのだ。


「……私も、覚悟を決めておきます」


「…………うん」


 この話は一旦終わりだと、クライヴが軽く手を叩いた。

 紅茶で喉を潤すと、体勢を元に戻す。


「だからってわけじゃないけど、今ですら怒涛なのに、これからさらに忙しくなる。俺も、パティも」


「はい、分かっています」


「こうやって会えることも今ですら少ないのに……もっとなくなっちゃうね」


 テーブルの上に置いていた手に、クライヴの手が乗せられる。

 急な触れ合いに少しだけ頰を赤らめれば、彼は嬉しそうに笑う。


「これでも心配してるんだよ? パティ無理するし」


「無理をするのはクライヴ様もですが?」


「俺はいいの」


 よくないと手を引き抜いて、軽く上から叩けば彼はなぜか嬉しそうにする。


「なぜ嬉しそうなんです? 一応怒ってるんですよ?」


「んー? 心配してくれるの嬉しいなって」


 全く、とため息をつくけれど彼は気にした様子もなく、結局また手を重ねられて、パトリシアは視線を横へとずらした。


「それにパティ人気者だから。変なやつについてっちゃダメだよ?」


「……子供だと思われてます?」


「まさか。でもパティ自分が人に好かれてるって自覚ないでしょ?」


「それは…………はい」


 同性からは敵視され、異性からは奇異の目で見られる。

 それが普通だったので、人に好かれているという感覚は一切なかった。


「ほらね。だから危なっかしいんだよ。まあパティのこと信じてるから大丈夫だと思うけど、ふらふらしちゃだめだよ?」


「しません。……それを言うのならクライヴ様の方では? 皇太子になってから、ぜひ娘を皇太子妃にとの手紙が数多く届いていると聞いています」


「全部母上が蹴散らしてるから大丈夫だよ。あの人パティのこと本気で気に入ってるから」


「…………」


 実は別に気にしてはいないのだ。

 彼のことを信用しているし、届く手紙全てを断っていることも知っている。

 だから疑ってはいないのだが、そこまではっきりと言われると対抗手段がなくなってしまう。

 むっと口をつぐんだパトリシアを見て、クライヴは肩を震わせた。


「俺はパティ一筋だから、安心してね」


「…………は、い」


「あの『約束』もあるしね」


「――」


 そうだ。

 あの『約束』も本当になる日が近いのかと、パトリシアは息を呑む。

 あの時は夢のようなことだと思っていたけれど、日が進むに連れて現実のものとなれる可能性が増していた。

 もしそうなれたら、この国は大きく変わる。


「……本当によろしいのですか? クライヴ様の負担が多いのでは?」


「前も言ったけど未来があるから、今大変でも嫌じゃないよ。俺の望んだことだし」


 繋がる手が、ぎゅっと握られる。

 鋭い視線に、パトリシアは真っ向から見つめ返した。


「多分これで、最後の確認になる。いいんだね?」


「……はい。共に参りましょう。その覚悟はできています」


「地獄への道かもしれないよ?」


「――クライヴ様と一緒なら、恐ろしくはありません」


 その道が燃えたぎっていたとしても、彼と一緒なら進むのも怖くはない。

 たとえ共に手をとって向かう先が処刑場であろうとも、胸を張っていけると信じている。

 それを伝えれば、クライヴは静かに瞳を閉じた。


「――うん。俺も、パティと一緒なら怖くないよ」


「共に参りましょう」


 地獄の果てまでも、共に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る