母の心子知らず

「フレンティア様。皇后陛下がお呼びです」


「――皇后陛下が?」


 仕事で走り回っていたある日のこと。

 パトリシアは見覚えのある侍女に声をかけられていた。

 皇后のそばによくいる子だ。

 この子が呼ぶということは皇后が急ぎ呼んでいるのだろう。

 何かあったのかと立ち上がると、確認が終わっている書類をノアへ渡す。


「皇后陛下の元に参ります。こちら終わっておりますので」


「了解。確認後カーティス様に提出しとく」


 軽く頭を下げてから、パトリシアは侍女について部屋を出る。

 皇宮内を彼女について歩いて行き、皇后の住まう建物へとやってきた。

 いつも華やかではあるが、ここ最近は特に侍女たちもイキイキしているように思える。

 会うたびに端により頭を下げる彼女たちは、すれ違った後きゃいきゃいと話をしていた。

 多分タイミング的にもパトリシアのことなのだろうが、嫌な感じはしなかったので放置している。

 そんな感じで皇后のお気に入りである庭園へとやってきたパトリシアは、鮮やかな花に囲まれながら紅茶を飲む皇后に頭を下げた。


「帝国の月、皇后陛下にご挨拶申し上げます」


「顔を上げて。さあ、座ってちょうだい」


「ありがとうございます」


 言われるがまま彼女の前へと腰を下ろせば、すぐに紅茶が置かれる。

 喉が渇いていたのでありがたいと口に含めば、優しいジャスミンの香りが鼻をくすぐった。


「いい香りですね」


「本当は薔薇にしようと思ったんだけれど、たまには変わり種でもいいかなと思って」


「お心遣い感謝申し上げます」


「あらやだ。そんなに他人行儀にしないでちょうだい」


 くすくすと笑う皇后は軽く手を振り侍女に合図を送る。

 すぐに数人の侍女が現れ、パトリシアの前にさまざまなケーキを置いていく。


「…………あの、これは?」


「仕事ばかりで疲れてるでしょう? 少しは息抜きなさい。痩せたんじゃないの? ちゃんと食べてる?」


「た、食べてます」


 むしろ今までよりも元気いっぱいだ。

 こんなタイミングで倒れてなんていられないと、栄養も考えているし、時間になれば問答無用でノアが食事を食べさせようとしてくるので、そういう意味では以前よりもずっと健康になっている。

 そんなに痩せたかな?

 と頰に手を当てていると、いいから早く食べなさいとケーキの皿が押された。


「もう。二人とも忙しいのはいいけれど、ちゃんと会わなきゃダメよ? 言葉っていうのは大切なの。言葉にするだけで相手にちゃんと伝わるんだから」


「…………二人?」


 一体なんの話だと小首を傾げたその時、侍女に連れられてクライヴがやってくる。

 彼もここにパトリシアがいることは知らなかったのだろう。

 大きく目を見開いてから、全てを悟ったような顔をした。


「母上。俺たちで楽しまないでください」


「あら無理よ。こんなに嬉しいことはないもの。いいからほら、座りなさい」


 ちらりとパトリシアの方へ視線を送ってきたので、こくりと頷いた。

 嫌なら止めるぞと目で訴えてきたが、大丈夫だと返す。

 実際クライヴとは式典以降会えていなかったので、久しぶりの逢瀬は素直に嬉しい。

 皇后に感謝しなければとクライヴに挨拶をしてから椅子に腰を下ろした。


「ほらあなたも食べなさい。侍女から聞いてるわよ。あんまり食べてないって」


「食べてるよ。あとあんまり甘いものは……」


「はいはい。サンドイッチとか持ってきてちょうだい」


「かしこまりました」


 楽しい親子だ。

 思わずにこにこしながら見ていると、ちらりと皇后の視線が向けられた。


「パトリシア、あなたも食べなさい」


「はい!」


 慌ててケーキを食べれば、満足したように微笑まれた。

 クライヴ用のサンドイッチも用意され、それを口に運びながら彼は楽しげな皇后に大きくため息をつく。


「楽しんでるなぁ……」


「ええ、楽しいわ。いろいろな憂いから解放されて最近はすごく調子がいいの」


「息子がこんなに苦労してるのに……」


「昔は私が苦労したのだから。まあ頑張りなさい」


 きっと皇后はパトリシアに想像もできないほど、たくさんの苦労があったのだろう。

 アレックスの母親のこと、アレックスの皇位のこと、クライヴの未来。

 ずっと気を揉んでいたのだろうけれど、それらが解決したのだ。

 皇后が重荷から解放されたと好き勝手するのもわからなくはないなと、パトリシアはチョコレートケーキを口に運びながら思う。


「忙しいのはわかるけれど、やるべきことはやらなきゃダメよ?」


「やるべきこと?」


 一体なんの話だとクライヴが小首を傾げれば、皇后は軽く手を振って使用人たちを全員そばから離す。

 周りに誰もいなくなってきたら、皇后は口を開いた。


「あなたたち、約束があるからって甘んじているのはよくないわよ。人の心は移ろいゆくもの。ちゃんと話してお互いの想いを分かち合いなさい」


 わかってもらえるなんて思うのは甘いわよと小言を口にすると、皇后は立ち上がりしばらく庭園を散歩すると言ってその場を後にした。

 その場にはパトリシアとクライヴのみが残ることとなり、二人は顔を見合わせるとくすりと笑う。


「ごめんね。母上が迷惑かけた」


「いいえ。……むしろありがたいです。クライヴ様とお会いしたかったので」


「……俺も。ちょうどいいから、少し話をしようか」

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