過去から今へ

 頬には頬紅の代わりに真っ白な粉をつけて、くるりと巻かれていた赤い髪は無造作に一つに結われ、美しく彩られた爪は短く切られ、細くつるりとした指を飾る宝石は一つもない。

 この人は本当に、パトリシアの知る社交界の花、ドレイク夫人なのだろうかと疑ってしまうほどの変わりようだった。

 彼女は抱きついてきた子供を宥めると、ぱたぱたと小走りでパトリシアへと近づいてくる。


「お久しぶりですね。皇都に戻ってきていると聞いていたので、いつかお会いできるかなとは思っていたのですが、まさかこんなところで会うことになるなんて思ってもいなかったですわ」


「…………本当に。まさか、こんなところで……」


「レッドママー! これ次どうしたらいいー?」


「伸ばして形を作るのよ。みんな、好きな形にしていいからね」


「「はーい!」」


 なるほど子供が言っていたレッドママとはドレイク夫人のことだったのか。

 目の前で起こる出来事に困惑していると、そんな様子を見ていた施設長が別室へと案内してくれる。

 遠くから子供たちの楽しそうな声が聞こえる中で、パトリシアたちは応接間にて腰を据えた。


「まさかドレイク夫人がここにいらっしゃるなんて……」


「数年前では想像もできませんでしたよね」


 楽しそうに笑いながらハンカチで顔を拭う彼女は、化粧すらほとんどしていない。

 軽く服を叩いて粉を落としながら、もらった紅茶に手を伸ばす。


「ちなみにそちらの方は、カーティス宰相ですよね? なぜこちらに?」


「今フレンティア嬢は私の後継者として仕事を共にしています。今日は孤児院がどんなものかを確認したかったので共にきました」


「……カーティス宰相の後継者? パトリシア様が?」


 驚愕に目を見開きながらこちらを見てきたドレイク夫人に頷けば、彼女は数秒の後に口元を隠しながら肩を振るわせた。


「パトリシア様は本当に、想像の遥か上のことをなさいますね。一緒にいて退屈しませんわ」


「それはドレイク夫人もです。……なぜここに?」

 

「……はじまりは一通の手紙です」


 ドレイク夫人の話はこうだ。

 パトリシアから元奴隷の子供を集めた孤児院に支援をしてくれと言われた時、彼女はパトリシアへの貸しが一つできたな、としか思わなかったらしい。

 未来の皇太子妃に貸しが作れるのなら安いものだと投資をし、しかしパトリシアは皇太子妃の座を降りた。

 流石に少し眉を顰めはしたが、その後奴隷解放法案はアレックスの指示のもと無事執り行われた。

 実際は蓋を開けてみれば、法案のほとんどをクライヴがパトリシアが用意していた書類のもとやっていたらしいが。

 社交界でもその話で持ちきりになり、なんだかんだ若い令嬢から熱い視線を向けられたりして、悪いことばかりではなかったらしい。

 実際ドレイク夫人の真似をする令嬢も現れたらしく、パトリシアの作戦はおおむね成功した。

 そんな頃だ。

 一枚の手紙がドレイク夫人の元へと届けられた。

 それは孤児院の子供たちからの手紙だった。

 汚い、ほとんど読めもしない手紙が週に一度送られてくるようになり、最初は困惑したらしい。

 なぜこんな落書きを送ってくるのかと。

 しかしこれが徐々に文字となり読めるようになってくると、その手紙に書かれているのが感謝の言葉だったことに気がついた。

 暖かくて優しいお家をありがとうと。

 今日はお肉の入ったスープを飲めたと。

 初めてケーキを食べたと。

 そんな、当たり前を喜ぶ言葉がたくさん送られてきたのだ。

 そこで本当の意味で初めて、奴隷たちの暮らしを知ったのだという。

 自分が当たり前に思っていた生活が、彼らには喜びの手紙を送るほど信じられない出来事なのだと。

 それから考えが変わった。

 自分が支援している施設というのがどういうものなのか気になり、実際に見にきたらしい。


「そこで子供たちが私のことをレッドママって呼んで、遊ぼうって抱きついてきたんです。もう本当に驚いて。……でも嬉しかったんですの」


 暖かくて優しいこの場所が、居心地がよくて。

 気がついたらちょこちょこと足をむけるようになっていた。

 子供たちと遊ぶからと服をドレスから庶民が着るような動きやすいものに変え、髪は巻くこともなく簡単に結ぶだけ。

 アクセサリーも全て外して、子供たちを傷つけないために爪を短く揃えて。

 昔までの社交界の花とは想像もできない姿に、しかし後悔などは一切なかった。


「パトリシア様には感謝しているんです。まさか自分がこんなに子供が好きで、日々がこんなに楽しくなるなんて。おかげさまで社交界に顔を出す暇すらありませんわ。……昔の私は奴隷は奴隷と、無意識にでも下に見ていたというのに」


「……ドレイク夫人」


「今はあの子たちが可愛くて可愛くて仕方がないんです。わたくしですらこうなんですから、きっとみんないつか理解できる時がきますわ。彼らもわたくしたちも皆同じ、人間なのだと」


 まさかこんなふうに、己のした行動の答えが現れるなんて思わなかった。

 ここにきたら元気な子供たちの姿が見れると思いやってきたのに。

 まさかこんな話が聞けるなんて、驚きと共に喜びが込み上げてくる。


「ありがとうございます、パトリシア様。あなたのおかげです。もしまたなにか困ったことがあったら、必ず頼ってくださいませ。わたくしにできることでしたらお手伝いいたしますわ」


「……はい。こちらこそ、本当にありがとうございます。ドレイク夫人」


 その後ドレイク夫人と子供たちと共にクッキーを焼き、カーティスやノアと共にご馳走になった。

 最後の最後まで笑顔を絶やさないドレイク夫人に、パトリシアもまた心からの笑顔を浮かべたのだった。

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