未来への一歩

「これはフレンティア嬢の提案、ということでよろしいですかな?」


「……ええ、その通りです」


「なるほどやはり、夢見がちな女の意見だ」


 くっと、明らかに馬鹿にしたような声が、押し殺されることなく部屋に響く。

 一つ二つと増えていけば、まるで部屋の中にいるすべての人に笑われているような感覚に陥る。

 なるほど確かにこれは心にくるなと、パトリシアは深く呼吸を繰り返した。


「いいですかな? 平民にまで知識や知識を与える必要はないのです。だいたい民間の学舎はあるのだからじゅうぶんでしょう。平民が知恵を得てなにになります?」


「国のためになります。数字がわからず詐欺にあう者がいなくなります。言葉を覚えれば本を読め更なる知識を得られます。歴史を知れば過去の愚かな行いを繰り返さないですみます。民間だけでは資金がなく行けないものがほとんどで、国で支援をするべきなのです」


「ほらやはり、夢見がちな乙女の意見だ」


 笑い声は増える。

 明らかに馬鹿にしたような視線が向けられた。

 ここ最近はずっとそうだ。

 カーティスの後継者として会議に出て意見を述べれば、それは全てただの夢だと言われる。

 実現できない絵空事だと笑われる日々に、流石のパトリシアも苛立ちが募った。

 彼らの前に置いている書類は、パトリシアがノアと共に寝ずに用意したものだ。

 『平民にも等しく学びの機会を』と書かれた書類には、かかる費用や時間、それによる国への良い点悪い点。

 可能な限り全て書き記したのに、それに目を通すことなくタイトルだけで批判してくるなんて。

 ちゃんと読んでさえもらえれば、あのカーティスだって納得してくれたのにっ!

 拳をぶるぶる震えさせながらも、一度深呼吸して己を律した。

 ここで書類すら読んでもらえない。

 それが彼らの中でのパトリシアの位置なのだ。

 昔は違った。

 彼らはパトリシアの意見に耳を傾けてくれていた。

 それは全て、未来の皇太子妃という立場によるものだったのだと痛感する。

 今のパトリシアには何もない。

 ――情けない。

 カーティスの後継者と言われているのに、こんなところで躓くなんて。


「…………」


 ちらり、とカーティスとクライヴへと視線を向けた。

 カーティスはなにも反応をせず、ゆったりと瞳を閉じている。

 まるでこうなることが分かっていたかのようだ。

 ただ心配をしているような雰囲気もなく、一応暖かく見守ってくれているのだろう。

 ここで助け舟を出さないあたりがカーティスだなと己の師の行動に納得しつつも、パトリシアの視線はクライヴへと向かった。


「――」


 ただ一度、視線で頷かれた。

 ただそれだけ。

 それだけなのに、心がとても穏やかになった気がした。

 彼の表情が間違ってないと教えてくれたから。

 パトリシアは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

 それから強くテーブルを叩くと、もう片方の手を腰に添える。

 そういえばこの間会った時にシェリーが言っていた。

 虚勢を張るのも大切だと。

 瞳に力を込めると、彼らを上から見下した。


「夢を見ることのなにが悪いのですか。どんな改革も始まりは夢。このローレランが帝国となったのも初代皇帝陛下の夢という名の野望のおかげでしょう。道化で結構。あなたたちのようになにも知らず笑いこける観客にはなりたくありませんから」


「――なっ、なんて失礼なっ!」


「お互い様です。この椅子に座っている以上、私とあなたは対等でしょう。違いますか?」


「――……」


 クライヴやカーティスがいる前で、それを否定することはできないだろう。

 黙り込んだ男たちは、しきりに視線を彷徨わせている。

 まさか反撃されるとは思ってなかったのだろう。

 明らかに分が悪くなった様子の男たちに、カーティスが大きく鼻を鳴らした。


「彼女は私の後継者ですよ。あまり舐めないほうがいい」


「――…………カーティスっ」


「さて、では皆様。書類を読んでください。それくらいはできるでしょう」


「…………」


 悔しそうに下唇を噛みながらも、各々書類へと視線を落とす。

 途中途中質問という名の粗探しが始まったが、パトリシアはそれに全て答えてみせた。

 伊達にカーティスとノアからの質問攻めにあってはいない。

 全てを答えきった時、反論するものは誰一人いなかった。

 その様子を見て、クライヴが初めて口を開く。


「…………問題はなさそうだな。この案、拒否するものは手を上げてくれ」


「「「…………」」」


 悔しそうにはしつつも、誰一人として手を挙げるものはいなかった。

 パトリシアが表情を明るくしつつ、クライヴを見れば彼はこちらを見ることなく口角を軽く上げる。


「……では、この案は可決ということで」


 今日、この晴れやかな日。

 通ったパトリシアの案は、のちのローレランをより大きくより豊かな国にする小さな一歩となったのだが、彼女がそれを知ることはない。

 なぜならそれは、遠い遠い未来のお話だから。

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