みんなの意思

「さて……大変なことになったな」


「……はい、申し訳ございません」


「…………まあ君のせいではない」


 あの事件の次の日、パトリシアは執務室でカーティスと対面していた。

 昨夜のことを知っているらしいカーティスは、腕を組みながら少しだけ難しい顔をしている。


「アヴァロンからは後日、クロエ王女殿下が直々に謝罪に来るらしい」


「クロエ王女殿下が?」


「一応こちらの手の者を使ったことと、彼女――名前はなんと言ったか?」


「セシリー様でしょうか?」


「ああ、そうだ。セシリー嬢の度重なる件で、とのことだ。流石にまだ昨夜のことは知らないだろうが……。王太子殿下より伝えられているらしい」


 まあ学園でもいろいろやってはいたから、ハイネから報告が入っていてもおかしくはない。

 そこに追加して昨夜の事件を聞かされるのかと、きっと今馬に跨り走っているであろうクロエを思う。

 流石に色々あって疲れているだろうから、こちらにきて少しでも気を休められたらいいのだが。


「……皇太子の件、隠せなくなるな」


「…………昨夜聞いたものも多いでしょう」


「人の口に戸は立てられぬ。噂は瞬く間に広がるだろうな。…………急ぐことになりそうだ」


 アレックスの皇太子辞退。

 そしてクライヴが皇太子の座に着くこと。

 それを説明する日が、思ったよりも早くなった。


「早めに動いておいて損はなさそうだ。ノア、準備を進めるよう手配しておいてくれ」


「かしこまりました!」


 本当は一ヶ月くらい先の予定だったが、噂が広まってしまっては仕方がない。

 クライヴが皇太子となる発表を、前倒しでやることになる。

 本当に申し訳ないと頭を下げれば、カーティスは鼻を鳴らした。


「おおかたクライヴ殿下の策だろう。お堅い式を嫌がっていたからな。早めて簡略化してやろうという魂胆な気がする」


 それはどうかはわからないが、まあ確かに重々しい式を望んではいないだろう。

 どちらにしろ発表は早めなくてはなと、机に座り書類を確認しているノアを見る。


「……クライヴ様が皇太子になるんですね」


「…………はじまるな」


 カーティスの言葉にパトリシアもノアも顔を向ける。

 真剣な彼の顔にパトリシアはその場で背筋を伸ばし、ノアも立ち上がり近寄ってきた。


「クライヴ殿下が皇太子となれば、押し進めていかねばならなくなる。時間はあまりないからな」


「はい。わかっております」


 クライヴが皇位を即位をするまでのほんの少しの時間。

 その時間でパトリシアたちは、たくさんのことをしなくてはならない。

 立ち止まっている暇などないのだ。

 それがわかっているからこそ、カーティスは真剣にこちらを見つめてくる。


「いいんだな? 二人とも。立ち止まるなら今だぞ」


「「…………」」


 思わず、パトリシアとノアはお互いを見る。

 もうこのまま突き進むものだと思っていたから、己の中にそんな選択肢はなかった。

 それはノアも同じだったのか、すぐにカーティスへと向き直ると拳をぐっと握り締める。


「俺は自分のことはわかってるつもりです。カーティス様には拾っていただいた恩があるので、本来ならあなたのあとを継ぎたいのですが……俺は、人の上に立つ人間じゃありません」


「…………いいんだな?」


「あなたのあとは継げないけれど、意志は引き継ぎます。必ずこの国を今よりもっとよくしてみせます」


 真剣なノアの眼差しをしばし真正面から見つめたカーティスは、ゆっくりと目を瞑るとほんの少しだけ口端をあげた。


「私のあとを継いでほしくてお前を後継者にしたわけではない。お前がそれでいいのなら、私はかまわない。……楽しめそうか?」


「――もちろん! 俺は、あなたを支えたようにパトリシアを支えます。それが俺のしたいことです」


「……そうか」


 きっぱりと言い切ったノアの顔は晴れやかで、希望に満ち溢れているように見えた。

 そこに後悔は一切見えず、だからこそカーティスも納得したように頷いたのだろう。

 そんな彼は表情を引き締めて、改めてパトリシアを見つめてきた。


「ノアの意志はわかった。次は君だ。……止まるなら今だぞ?」


 これから先のことは、もう何度も考えてきた。

 考えすぎて眠れぬ夜をすごしたこともある。

 不安がないわけでもない。

 きっとこれから先のパトリシアは、茨の道を進むことになる。

 傷つきボロボロになることもあるだろうけれど、それでも止まるという選択肢はない。

 なぜならこれは、己が望んだ未来だからだ。

 そっと心臓の上に手を置く。

 とくとくと脈打つそれは、いつもより少しだけ早く音が大きい気がする。

 未来への期待か、不安か。

 自分でもどちらなのかわからないけれど、どちらでもいいかと笑う。

 未来はもう、決めたのだから。


「止まりません。私も、クライヴ様と共に進みます」


「………………そうか」


 カーティスは立ち上がると、パトリシアたちに背中を見せた。

 彼の大きな背中は今の目標であり、未来の姿でありたいと思う。

 窓の外を見る彼は、青々とした大空を羽ばたく鳥をその瞳に映した。


「……パトリシア・ヴァン・フレンティア」


「――はい」


 獲物を狩る猛禽類のような、鋭く勇ましい金色の瞳が向けられる。

 昔は怖かったそれは、今は背中を押してくれるものになった。

 彼のその瞳に映る自分が、誇らしいとすら思える。

 力強く頷けば、彼もまた頷き返した。


「君を私の後継者とする。発表は先になるが、近しいものには周知していく。――いいな」


「謹んでお受けいたします」

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