ある諦めきれない聖女と諦めた元奴隷の話

「う、うっ、…………ひどいっ、どうしてこんなことにっ!」


 アレックスはこの状態のミーアとは話にならないと思ったらしい。

 落ち着くまで部屋に戻るようにと、皇宮内にある客間へと戻された彼女は、ベッドに縋り付くようにしながら泣いている。

 それをセシリーは険しい顔で見つめていた。


「アレックス様は、きっと騙されているんですっ! パトリシア様が皇帝陛下に変なことを言って、それで皇太子の座を降ろされたに違いありません!」


「…………」


 正直今はそんなこと関係ないと、セシリーは返事すらしなかった。

 最悪な状態だ。

 ミーアが皇太子妃になると思っていたからここまで頑張ったのに。

 彼女は気づいていないだろうが、先ほどから侍女たちが誰一人としてこの部屋を訪れていないのだ。

 普通なら紅茶の一つでも持ってきて、ミーアをなぐさめるものなのに。

 きっとあそこで話を聞いて、早々に見限ったのだ。

 なんてひどい人たちだろうか。

 所詮はミーアの立場だけを見ていた、薄情な者たちばかりだったのだ。


「…………どうにかしないと」


 かりっと親指の爪を噛む。

 今のこの状況への不安で胸が張り裂けそうだ。

 ミーアは皇太子妃にはなれない。

 なぜならアレックスがその座を退くから。

 代わりにクライヴが皇太子になるらしいが、それではミーアを使って彼の妻になる計画が破綻してしまう。

 どうするべきなのだろうか。

 瞳を閉じて考え込んでいたセシリーは、ふとある考えが頭をよぎる。

 そうだ。

 元々クライヴを皇太子にしようとしていたのだから、順番が少し変わっただけのこと。

 彼には未だ婚約者がいないのだから、その座にセシリーが座ってしまえばいいだけだ。

 なんて簡単なことなのだろうかと、瞬時に表情を明るくして泣き叫ぶミーアの元へと向かう。

 彼女の肩を優しく握り、その耳にゆっくりと語りかける。


「大丈夫。大丈夫ですわ、ミーアさん。わたくしはどこまでもあなたの味方だと言ったではないですか」


「…………セシリーさん」


 希望の光を見出したかのように、涙で濡れる瞳を向けてくるミーア。

 セシリーはそれに、聖女の如く優しく慈愛に満ちた微笑みで返した。


「けれどあなたを救うには、手助けが必要なのです。まだミーアさんを未来の皇太子妃だと信じているものもいるでしょう。そんな侍女を一人連れてきてくださいませ」


「侍女を……? どうなさるのですか?」


「この時間ではクライヴ様は皇宮で寝泊まりするはずですわ。彼の部屋がどこにあるのか聞いてください」


「部屋? それくらいならできますけど……一体なぜ?」


 少し考えればわかることなのに、やはり頭が悪いのだなと小さく鼻を鳴らす。

 そんな彼女にわかりやすく伝えるためにも、セシリーは人差し指を立てて説明をした。


「わたくしがクライヴ様と結婚すれば、この国の皇太子妃になれます。そうなったらミーアさん、あなたをわたくしの友人として、この皇宮でなに不自由なく過ごせるようにして差し上げますわ」


「…………セシリーさんが、皇太子妃に?」


「ええ! そうです。わたくしが皇太子妃になれば、あなたは今の幸せな生活を続けられるんです。こんなにいいことはないと思いませんか?」


 なんで素晴らしい案だと、手を叩いて賛美すると思ったのに、ミーアはなぜか困ったように視線を横へとずらす。

 一体なんなのだと顔を歪めたセシリーに、ミーアはぽつりと呟いた。


「…………その、セシリーさんが皇太子妃にはなれないんじゃ……? 資格がないというか……不釣り合いというか……」


 ぴきり、と額に青筋が立ったのがわかった。

 よりにもよってお前が言うのかと、セシリーは怒りに震える拳をなんとか押さえ込んだ。

 礼儀作法すら知らない女がよく言えたものだと、思わず口から出そうになったのを慌てて止める。

 今はダメだ。

 今はまだ、彼女には利用価値があるのだから。

 二度三度と深く呼吸を繰り返して、なんとか冷静を装った。


「私たち二人が幸せになるには、これしか方法がないのです。助けてくださいますか?」


「………………わかり、ました。けれどどうしてクライヴ殿下の部屋を?」


 なにやら完全に納得しきってはいないようだが、そんなことは関係ない。

 どうせよくわからないまま手を貸すことになるのだからと、セシリーは彼女のそばから離れ鏡台の前へと腰を下ろした。


「クライヴ様はこれから皇太子となられる方です。そんな人が今一番恐れるもの、それはスキャンダルですわ」


「スキャンダル?」


「婚約者でもない女に手を出したともなれば、少しは周りに嫌な印象を与えられるはずですもの」


 おかしな話だ。

 皇帝になれば側室をとり多くの子供を授かれと言われるのに。

 結婚していない、皇太子の立場でそれをすると、色狂いだと蔑まれる。

 王室も皇室も変わらないのだなと己の顔に化粧を施していると、ミーアは訳がわからないと首を傾げた。


「それがスキャンダルですか?」


「いいえ。スキャンダルになる前に、皇室はその事実を消し去ろうとするはずです。――不貞の相手を皇太子妃にしてね」


 相手に血筋さえあれば、その女性を婚約者に仕立て上げればいい。

 婚約者との逢瀬なら、その行為は当たり前のものと見なされるのだから。

 薄く唇紅をさして化粧のノリを確認する。

 いつものとは少し違う、色香のある雰囲気にしなくては。

 髪はおろして香水をもっと振ろうと立ち上がると、不安そうな顔をしたミーアと鏡越しに目があった。

 今はまだ彼女の味方でいなくてはと、にこりと微笑んで安心させてあげる。


「大丈夫ですわ。すべてわたくしにお任せくださいませ。必ず成功しますから」


「………………」


 今宵クライヴの部屋に忍び込んで既成事実を作るのだ。

 そうすればセシリーは未来の皇帝の子を宿したかもしれないと無碍にはされないはずだ。

 うまく騒ぎ立てればそのまま皇太子妃にだってなれるかもしれない。

 きっと大丈夫。

 大丈夫なはずだ。


「必ず上手くいきますわ」


 そうでなくてはならないのだ。

 緊張に震える手を抑えるのに必死で、セシリーはミーアがどんな表情をしていたのか、そこに気づくことはなかった。

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