ある元奴隷と聖女の話

「セシリーさん! このドレスはどうでしょうか?」


「まあ、可愛らしいですわ。ミーアさんはピンクがお似合いですわね。ねぇ、皆さま?」


「本当に。さすがは皇太子妃様でございます」


「皇太子妃様! 宝石はどちらになさいますか?」


「皇太子妃様。髪飾りはこちらでよろしいですか?」


 ちやほやされて有頂天になっているミーアを見て、セシリーはそっと口端をあげた。

 周りの人たちも彼女の扱いに慣れたらしい。

 常に皇太子妃と呼び持ち上げれば、それだけで機嫌がよくなるから簡単だ。

 華やかな香りのする紅茶を口に含みつつ、セシリーは施した化粧を落とさないように気をつけた。

 今のセシリーは脇役だ。

 主役はミーアなので、準備に時間がかかるのも仕方のないこと。

 彼女が身につけるドレスも宝石も、全てセシリーのお下がりなのだが、そんなことは気にしていないらしい。

 そういうところもやはり『元奴隷』なのだなと、にこにこと髪のセットをしている彼女を眺める。


「……とても可愛らしいですわ。きっと皇太子殿下もお喜びになられますわ」


「本当ですか!? アレックス様が喜んでくださるなら私がんばります!」


 がんばるのは侍女なのだが、まあやる気があるのならいいかと微笑みを返した。

 ずっと音沙汰のなかった皇太子から、先日手紙がきたのだ。

 会って話したいことがあると。

 ずっと会うことも許されていなかった恋人との逢瀬。

 それを楽しみにして、毎日のようにドレスや宝石、髪型やメイクを一緒に考える日々。

 死ぬほど辛かったけれど、これも全てはセシリーとクライヴの未来のためだ。

 彼と結婚するためにも、ミーアとの関係は良好なものとしなくては。

 彼女は未来の義姉になるのだから。


「セシリーさん! どうですか?」


 くるりとその場で回ってみせた彼女は、無垢で可愛らしい妖精のようだ。

 それにパチパチと拍手をしながら、セシリーはゆっくりと立ち上がった。


「とっても素敵ですわ。さあ、そろそろ愛しの皇太子殿下の元に参りましょう」


「――はい!」


 にこにこと嬉しそうな彼女と数人の侍女を引き連れて、皇宮内を闊歩する。

 すれ違う侍女たちはミーアを見ると皆が皆端へとより頭を下げた。

 それでいいのだと、セシリーは目を細める。

 彼女が皇太子妃になれさえすれば、あとはその力を借りてクライヴと結婚すればいい。

 彼の周りをうろちょろしている女がいるようだが、悪い噂を流しておいたのですぐにでも彼の耳に入ることだろう。

 そうすればきっと彼から離れてくれるはずだ。

 なのであとは待てばいい。

 しかしあとどれくらいでミーアは皇太子妃になれるのだろうか。

 流石にそろそろちやほやするのも精神的にきついのだが……と考えていると、皇太子が用意した部屋へとたどり着いた。

 

「お客様がお越しです」


「――入りなさい」


 部屋の前で警護をしている騎士が声をかければ、中から声がした。

 その声が明らかに皇太子のものとは違って、セシリーは首を傾げる。

 今のは明らかに女性のものではなかったか?

 なんだか変だ。

 訝しむセシリーがミーアに声をかけようとしたが、それよりも早く、彼女が扉に手をかけている騎士を押し退け部屋へと入った。


「アレックス様!」


 会いたくて会いたくてたまらなかったのだろう。

 だがしかし、相手は恋人とはいえ皇太子だ。

 流石にそれは失礼にあたると、ミーアを止めようとしたが遅かった。

 勢いよく扉を開けた彼女は、そのままの流れで部屋へと入っていく。

 その様子を見て、たまらず頭を押さえた。

 ここ最近は特に王室の礼儀作法について教えてはいるのだが、彼女はそういうことが苦手なのか全く成長しない。

 特にこういう場面では、己の欲望を優先させてしまうようだ。

 こんな人が未来の皇太子妃なんて大丈夫なのだろうか?

 いっそクライヴが皇太子になって、己が皇太子妃になった方がいいのではないかとすら思える。


「――」


 そうだ。

 この国の皇太子はあまり人気はないらしく、後継をクライヴにという声が上がっているらしい。

 特に最近は皇太子としての仕事をしていないらしく、表に出ているのはクライヴがほとんどだ。


「……そうですわ」


 ならばクライヴが皇太子になるほうがこの国のためになるはずだ。

 きっとそのほうが民も喜ぶことだろう。

 今はミーアに頑張ってもらって、彼女が皇太子妃になり自分はクライヴと婚約する。

 その際皇帝に助言すればいいのだ。


『クライヴ様を皇太子にしたほうがよろしいですわ』


 と。

 きっと皇帝はセシリーの言葉に耳を傾け、感謝することだろう。

 先見の明があると褒めてくれるかもしれない。

 よい妻になると、セシリーを皇太子妃、はては皇后にまで推薦してくれるはずだ。

 皆が皆幸せな未来になれるはずだと期待に胸を膨らませていると、部屋の中が嫌に静かなことに気がついた。

 今頃久しぶりの逢瀬に皇太子に甘えているだろうと思っていたのに。

 どうしたのかと不思議に思いつつ、部屋の中へと入った。


「失礼いたします。わたくし、ミーアさんの友人であるセシリー・フローレンと申します」


 入ってすぐ頭を下げつつ自己紹介をする。

 あとは頭を上げるよう言われるのを待つだけだったのだが、いつまで経っても声がかからない。

 流石に痺れを切らしたと視線だけを上げて、その瞳に映った光景に息を呑んだ。

 一体、なにが起こっている?


「…………どうして、」


 そこには皇太子とミーアがいるはずだった。

 彼の腕に寄り添い、甘えている彼女を見るはずだったのに。

 そこにいたのは別の女性だった。


「――こんばんは。セシリー様」


 右手に皇太子。

 左手にクライヴ。

 左手側の一人掛けのソファーにはハイネが座り、彼女のそばで守るように立つ見目麗しい騎士がいる。

 まるで一枚の絵のような光景に、しかしセシリーは地面が揺れるかのような感覚を覚えた。

 なぜ彼女がここにいる。

 どうして皇太子の隣に座っている。

 なぜ、クライヴと共にいるのだ。

 彼女たちの前で膝を折り呆然としているミーア越しに、目があった。


「………………パトリシア様」


「こんばんは。お二人とも、どうかなさいましたか? そのようなところにおらず、お座りください」


 最高級のドレスと、美しい宝石の数々。

 故郷から持ってきた品とは違う、明らかに新品の装い。

 美しく着飾った彼女の立ち居振る舞いはあまりにも様になっていて、前にいるミーアが見窄らしく見えるほどだった。

 なにが起こっている?

 どうしてこんなことになっている?

 席を勧められても動くことをしない二人に、パトリシアは首を傾げた。


「お二人が望まれたのではないのですか? フレンティア公爵令嬢はたくさんの男性を籠絡している、と。だから望まれるがまましたのですが……どうでしょう?」


 パトリシアはそう言いつつクライヴの方へと手を差し出せば、彼はそっとその手に唇を落とす。

 まるでその指先一つまで愛おしいと言いたげに。

 セシリーの愛するクライヴになんてことをさせるのだと、一瞬頭に血が昇ったけれど、ここで大声を上げるわけにはいかないと両手を強く握り締め耐える。

 別に噂を流しているのがバレるのは構わないが、よりにもよってアレックスやクライヴの前で言うなんて。

 なんて性格の悪いことをするものだと、セシリーは顔を歪めた。


「…………なんのことでしょうか? そのような噂話があるだなんて、知りもしませんでしたわ」


「誤魔化すのならそれはそれでいいですが……。ねぇ、クライヴ様、アレックス様」


 二人の視線がミーアとセシリーに向けられる。

 明らかに敵意のある瞳に、たまらず顔を下げた。

 最悪だ。

 この場をどう潜り抜けるべきか。

 必死に頭を回していたその時、もう限界だとミーアが

泣きながら声を荒げた。


「アレックス様から離れてくださいっ!」

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