陰にあるもの

「パトリシア。次これ頼む」


「かしこまりました」


 通称書類の墓場(あの書類の溜まり場のことをノアはそう呼んでいるらしい)からカーティスのいる執務室へと向かおうとして、その道中でノアと会った。

 彼は急ぎの書類を持ってきていたらしく、手渡しで受け取る。


「……橋の件、やはり早く進むみたいですね」


「カーティス様の一言でな。パトリシアと同じことをおっしゃっていた」


 やはり時期を危惧したのか。

 元より人が多くなる祭典で、混雑を避けたい気持ちはわかる。

 人が集まれば集まるほど問題が多くなるからだ。

 やはりそうかと頷くパトリシアを見て、ノアはニコッと笑う。


「パトリシアはすごいな! カーティス様と見ているところが一緒だ!」


「……ノアさんは本当にカーティス様のことを尊敬しているんですね」


「もちろん! あんなにすごい方なかなかいないぞ。最高の塊というか……もう尊敬というより崇拝だな」


 うんうんと力強く頷く姿を見て、確かにその通りだなと同じく頷いた。

 自己分析がうまくできているな、と感心しているとそんなパトリシアを見てノアがぐっと親指を立てた。


「パトリシアのことも尊敬してるぞ。最初は女で公爵令嬢がくるなんてぜっっったいカーティス様の迷惑になることをするじゃんかって思ってた。でもパトリシアはちゃんと仕事と向き合ってて、学んだりすることに手を抜かない。今では尊敬する人の一人だ」


「…………ありがとうございます」


 まさかこんなふうに言われるとは思わなかった。

 なるほど彼が最初にパトリシアを目の敵にしていたのには、そんな理由があったのか。

 確かに公爵令嬢が突然仕事に加わって、変に思わないわけがない。

 それでも一応受け入れてくれる体制をとってくれたのは、彼の優しさかはたまたカーティスの独断を許したのか。

 どちらにしろ、こうして少しでも人の認識が変わってくれるのは嬉しい。


「これからも頑張っていこう」


「そうですね」


 仕事をちゃんと学んでできることをやっていく。

 真摯に向き合ってやっていれば、認めてくれる人はいるのだ。

 ノアや、カーティスのように。

 これからも頑張ろう。

 自分にできることをやっていこう。

 そんなふうに思っていたその時どこかからくすりと、小さな笑い声がした。


「――?」


 声がしたと思わしきほうへ顔を向ければ、遠くの方に侍女が二人いた。

 彼女たちはこちらを見ながらなにやらこそこそと話しており、口元は三日月のように歪んでいる。


「…………」


「パトリシア? どうかしたか?」


「…………いいえ」


 なんだろうか。

 なんだか嫌な感じがする。

 今までもこうして変に噂されたり、陰口を言われることは多かった。

 しょせんパトリシアは皇太子に捨てられた女である。

 本当はこちらから捨てたのだが、知らない人からすればパトリシアは愚かで哀れな女だ。

 だからこそこの皇宮にきてからというもの、そういったことをこそこそ話しているのは何度も目撃していた。

 いろいろ言われているのは知っていたが、実際どうでもよかったので放置していたわけだが……。


「……なんだか、少し変で」


「変? なにがだ?」


「……なに、とは言えないんですが」


 今までのものとは、少し違う気がしたのだ。

 もっと陰でコソコソと話していたのが、表立ってきたというか。

 目が合えば止め、慌てて頭を下げていた時とは明らかに違う。

 目が合えばむしろもっと楽しそうに話をしている今の状況は正直よくない。

 どことなく悪意に正義感のような、下手な自信が付いているように感じてパトリシアは顎に手を置いた。


「……私の知らないところで、なにかが変わってるようです」


「…………よくわかんないけど、パトリシアも大変だな」


 素直な感想に思わず笑ってしまいつつ、もう一度侍女たちへと視線を向ける。

 彼女たちは明らかにパトリシアと目が合っているのに、陰口を止めることはしない。

 流石に少しだけ距離があるからか、何の話をしているかまではわからず答えを導き出すことはできなさそうだ。

 どちらにしろ、少し探らなくてはなとパトリシアは顔を上げた。


「ひとまずこれを持ってカーティス様のところに向かいましょう」


「……いいのか? あいつらに聞きに行ってもいいんだぞ?」


「素直に言うわけがないですよ。そこまでの自信があるなら、直接言いにきてるはずですから」


 直接いいにくるわけではないのに、あそこまで堂々と話していることに問題があるのだ。

 まるで彼女たちが話していることは正当な理由がある、正義の話なのだと言いたげに。


「……嫌な感じですね」

 

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