甘いもの好き同盟

「…………お前、こんな時間までやってたのか?」


「はぇ?」


 突然聞こえてきた声に顔を上げれば、そこには驚愕に顔を歪めたノアが立っている。

 もう帰ってきたのかと声をかけようとして、はたと気がついた。

 そういえばやけに周りが暗い。

 ばっと後ろを振り返れば、窓の外には大きくて鈍く光る満月が姿を表していた。


「…………! も、申し訳ございません! こんな時間になってるなんて思ってもいなくてっ」


「はあ? …………もしかして、飯も食べてないのか?」


 一言書類整理といえど、その仕事自体は奥が深い。

 宰相としてどんな仕事をしているのか、今の政治的中心は誰なのか、地方でどのような問題が起こっているのか、皇都ではどのようなことが主流となっているのか。

 後回しでもいい書類であっても、無駄なものは一つもない。

 カーティスは優秀であり、才能の塊だ。

 現皇帝は自ら政治を行うこともあり、本来ならば宰相の座は必要ないかもしれない。

 しかしそんな皇帝が三つの願いの一つを使い、彼をこの地位に座らせた。

 それほどまでに優秀であり、共にこの国を背負う者として人々からの信頼も厚いのだ。

 そんな人の元へは、本来なら彼の領分ではない案件すら上がってくる。

 なぜなら彼がよしとしたものは、必ず押し進められるからである。

 故にここへやってくるものは最終決定を求めるための書類ばかりで、どれもこれもきちんとまとめられている。

 なるほどこういう風にまとめれば読みやすいのだな、とそんなことですらためになった。

 だから楽しい。

 読んで理解し感じることが楽しすぎて、夢中になって読んでしまった。

 そして昔からパトリシアは、夢中になると色々なことを忘れてしまう。

 喉の渇きを、お腹の空きを。

 それに今日はちょうど満月だったらしく、大きな窓から入り込む光によって書類を読むことに苦労がなかった。

 まあ無意識にも読めるところまで動いていたらしく、自分のではなくノアの机でやっていたのには後々に気づいて驚いたが。

 そんなわけで食事をとれと言われていたのに忘れていたなんて言えなくて、慌てて否定した。

 

「い、いえ! そのようなことは」


 ――ぐぅぅぅ


「…………」


「………………」


 鳴った。

 盛大に、部屋の中にこだました。

 パトリシアのお腹の悲鳴が。

 そこまできて初めて、お腹がかなり空いていたことに気づく。

 思えば朝は緊張していたからかあまり食べられず、昼と夜を忘れていたためお腹の中はなにも入っていない。

 まさか男性、それも今日会ったばかりのノアに聞かれるとは。

 顔を真っ赤にしてお腹を押さえれば、彼は目を何度も瞬かせた。


「…………すいません」


「……いや。…………これ、やる」


「え?」


 ぶっきらぼうに差し出されたのは、小さな袋に入ったキャンディーだった。

 どうやらポケットに入れていつも持ち運んでいるらしく、ありがたく一つもらうことにした。


「……甘いものお好きなんですか?」


「すっ! ――きじゃ、ない」


 絶対好きなのになぜ否定するのだろうかと不思議そうにしていると、恥ずかしそうに顔を背けていたノアがぼそりとつぶやく。


「……甘いもの好きとか、男らしくないだろ」


「男らしい?」


「俺はカーティス様のようになりたいんだ! 強くて頭が良くて頼りになる。そんな最強の男に――!」


 キラキラとした瞳をする彼は、わかっていたけれどカーティスに憧れているらしい。

 確かに彼が甘いものを好むとは思えないが、別にそこまで同じにしなくてもいいのにと思ってしまう。

 だが確かに、男性が甘いものを好むという話はあまり聞かない。

 もちろん食べる人は食べるし、好きな人もいるだろうがあまり表立ってはいないなと手にある飴を見る。

 なるほどこういうところでも認識の弊害が出るのかと、小さな飴を大切にポケットへとしまう。


「……私は甘いものが好きなので、同じように美味しそうに食べる方は素敵だと思います」


「…………そうか?」


「はい。美味しいですよね。私はクッキーが好きなんです。ケーキも好きですが」


「わかる。クッキーは仕事しながら食べれるからありがたい。お茶の時はケーキが好きだ」


「どのようなケーキがお好きですか?」


「チョコレート」


「美味しいですよね! 私も好きです」


 チョコレートケーキのことを想像したらお腹がもっと空いてきた。

 流石に時間も時間だしそろそろお暇しなくてはと、部屋を出ようとすればノアも同じようについてくる。


「ノア……さんとお呼びしても?」


「ああ、構わない…………です」


 今更思い出したのかとってつけたように敬語を口にしたのを聞いて、パトリシアは思わず笑ってしまう。


「私と二人の時は敬語不要ですよ?」


「…………いいのか?」


「そのほうが私も接しやすいので」


 しばらくは公爵家で過ごすことになる。

 仕事が遅くなれば皇宮内にある一室を用意してもらうことも可能だが、今日は家に帰るつもりだ。

 流石に空腹すぎるから帰宅後すぐに食事にしてもらおうと心の中で決めていると、隣を歩くノアが頰を軽くかいた。


「…………よければ飯を奢る」


「え?」


「腹減ってるんだろ? ……これからしばらくは一緒に仕事するわけだし……親睦深める、的な。俺も……頑張るやつは好きだからな」


 そんなお誘いをされるとは思ってなかったので、驚きつつも喜びに顔が綻ぶ。

 実は聞きたいことがたくさんあったのだ。

 仕事の件もそうだし、カーティスのことやノアのことも。

 これは最高の機会だと、パトリシアはすぐに頷いた。


「行きましょう! 私も聞きたいことがたくさんあるんです!」


 ひとまずは腹ごしらえだ。

 なにを食べようかなとわくわくしながら歩くパトリシアの隣で、ノアが小さく口端をあげたのだった。

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