ラストダンスを君と
「ひとまずその話は置いといて……置いときたくないけど! ……パティはカーティス宰相を覚えてる?」
「もちろんです。カーティス宰相とは……その、……なかなかに口論を重ねましたので…………」
なにやら小さくぶつぶつと言っていたクライヴだったが、最後の方の言葉だけ聞こえたので答えることにした。
女であるパトリシアが政治に口を出すのを嫌がった最たる存在が件のカーティス宰相だった。
彼とはさまざまな議論を繰り広げたものだ。
そんな人を忘れるわけがないと伝えれば、彼は納得したように頷いた。
「彼も堅物だからねぇ……。けど宰相としての実力はお墨付きだ。パティもそう思うでしょ?」
「はい」
その言葉には素直に頷けるほど、カーティス宰相は優秀な人だった。
頭がよく博識であり、なによりも場を読む力に長けていたと思う。
パトリシアにはない才能だ。
「ならパティの夢のために彼に弟子入りしてみない?」
「――え?」
「実はもう話をつけてあるんだ。カーティス宰相からも許可は得てる。あとはパティが頷くだけだ」
「…………なぜ? カーティス宰相は私を毛嫌いしていて」
クライヴはパトリシアの手をとると、庭園から離れていく。
徐々に聞こえ始める音楽に、パーティーが終わりかけなのがわかった。
会場に向かっているのだろう彼の後ろを、手を繋いだまま歩く。
「パティを嫌ってる云々は正直なところわからないけど……たぶん彼も焦ってるんだと思うよ」
「焦る? なににですか?」
クライヴは立ち止まると周りをキョロキョロと見回す。
あたりに誰もおらず、人影すらないことを確認し、それでもなお顔を近づけ耳元で囁いた。
「機密事項だから、聞いても反応をしないでね。父上はあと五年持たない。カーティス宰相は父上の下にしかつかないと決めてるから、あちらもいろいろ急いでいるんだ」
「――!」
びくり、と体を震わせたけれど、なんとか力を込めて飛び出そうになる声を止めた。
どういうことだと彼へ視線を向ければ、一瞬だけ悲しげな瞳が垣間見えた。
「病気だって。治ることはないらしい。皇位継承権で急いだのにはそういう理由があるんだ。父上はパティのことを娘のように思ってたから……君にも覚悟が必要だろ? だから伝えておく」
それだけいうと彼は離れ、また手をとって歩き出す。
その間もパトリシアはどきどきとうるさい心臓をぎゅっと押さえる。
そこでやっとこの急展開の理由を理解できた。
アレックスが皇太子の座を降ろされる理由も、クライヴがその座に着くための試練があまりにも曖昧な理由も、全てがわかった。
なぜ元奴隷の村が経済的に安定したと証明される、三年後まで待たないのか疑問だったのだが、待たないのではない、待てないのだ。
五年は目安であり、必ず前後するはず。
あと約五年でクライヴは、彼に皇位を与えるのを否定する家臣たちを黙らせその座に着かなくてはならない。
それはきっと、想像するよりも大変なことだろう。
わかっているからこそ、皇帝も焦っているのだ。
少しでも彼に力を与えたくて。
「……クライヴ様は、私になにを望んでいらっしゃるのですか?」
そんな中でもパトリシアの夢のために動こうとする彼に、気が付いたらそんなことを問うていた。
クライヴは足を止めると、こちらを振り返る。
耳に届く音楽が変わる。
それは、宴の終わりを告げてきた。
「そばにいてほしい。どんな形でも構わない。君がそばにいて、がんばってくれているだけで、俺もがんばれるから。これから先の未来が輝かしいなんてそんな甘えたことは言わない。きっと辛くて苦しくて、投げ出してしまいたくなると思う。……だからそれを、君に止めて欲しい」
結局甘ったれだよね、なんて笑う彼にパトリシアはなにも言わない。
これから先の未来、彼は想像を超える苦しみを味わうだろう。
頭を抱え、眠れぬ夜を過ごすこともあるだろう。
きっとクライヴならパトリシアがそばにいなくても、自分の責務を全うするはずだ。
そういう人なのを、パトリシアが一番わかっている。
だからこそ思う。
この人のために、なにができるだろうかと。
「会場、戻れなかったね。ラストダンスには戻ろうと思ったんだけど……」
ラストダンスの音楽が耳に届き、パトリシアは会場の方へと視線を送る。
煌びやかな会場では、最後のダンスを皆が楽しんでいるのだろう。
共にきてくれたハイネには申し訳ないことをしてしまった。
あとで謝ろうと心に決めつつ、今一度先ほどの彼の言葉を思い出す。
「……クライヴ様。一つ、いいですか?」
三つの願い。
それを使って彼は、この国を変えようとしている。
正直それはあまりにもパトリシアにとって都合がよく、反感を買ってしまうだろう。
だからこそ、努力をしなくてはならないのだ。
少しでも『その時』に味方をしてくれる人を増やすためにも。
やりがいはある。
あのカーティス宰相の元で学べるのだから。
けれどこれではあまりにもフェアじゃない。
だから伝える。
これはある意味、等価交換だ。
「もしクライヴ様がよろしければ、残りの願いをこうしてはいただけませんか? 一つは――」
まるで天が味方しているように、風が吹き木々が揺れ動く。
がさがさとした葉同士が触れ合う音があたりに響いて、パトリシアの声をかき消してくれる。
この言葉はきっと、世界でこの二人にしか聞こえていないはずだ。
やがて風も止み、二人の元にラストダンスの音楽が届く。
そしてその二つを告げ終わったパトリシアは、口を閉ざした後に少しだけ恥ずかしくなり赤くなった頰を両手で隠した。
「……すいません。わがままです、よね?」
「…………ははっ! そんなことない! 最高だよ!」
クライヴはぽかんとした数秒後、嬉しそうに笑うとパトリシアを強く抱きしめた。
そのまま抱き上げると、まるで音楽に乗るかのようにくるくると回る。
「それ、俺にとって得しかないよ? 本当にいいの?」
「いえむしろ……束縛しているように聞こえませんか? その、わがまますぎるというか……」
「当事者の俺が喜んでるから問題ないよ」
回るのをやめたクライヴは、ゆっくりとパトリシアを下ろす。
そのついでと言わんばかりに手をとると、音楽に合わせて踊り始める。
パトリシアはされるがまま、それを受け入れた。
誰に見られるでもないダンスは、心のままに動くことができる。
触れ合う手に緊張しつつも、どこか居心地のよさも感じた。
「けど逆にいいの? たぶん相当大変だと思うけど……」
「そうと決まればいろいろ準備もできます。私の方は問題ないですが……クライヴ様は」
「大丈夫大丈夫。俺はもうなんでも頑張れるよ。絶好調!」
ずいぶん機嫌がいいらしい。
まあ当人である彼がよしとしてくれているならばいいかと、音楽に合わせてくるりと回る。
「まあまだあと五年はあるはずだからね。二人でちゃんと決めていこう」
「……はい」
やがて音楽が終わる。
二人は手を離し小さく頭を下げた。
あっという間のダンスだったなと、パトリシアは少しだけ物足りなさを感じてしまう。
残念だなと思うけれど、またいつか一緒に踊れる日がくるのだから今日はいいかと、前向きに納得することにした。
「さて、ハイネのところに戻ろうか」
「はい」
差し出された手に応えれば優しく握られる。
そんな小さなことが今は嬉しいなと、上がる口角を抑えられないでいた。
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