悪意のない悪意

「なんなんですかあの女!」


「「………………」」


 パトリシアとシェリーは二人で図書室へときていた。

 二人だけで勉強会でもしようと、テーブルを挟んであーだこーだとやりとりをしていたところ、突如としてやってきたマリーが眉間に皺を寄せながらやってきた。


「……あの女、とは?」


「セシリー・フローレンですよ」


 シェリーの隣にどしっと音を立てながら腰を下ろした彼女は腕を組んだ。

 明らかに不機嫌そうな様子に、話が長くなりそうだとペンを手放す。


「セシリー様がどうかされたんですか?」


「あの女、いろんな男に色目つかってるんです!」


「…………色目?」


「知らないんですか!?」


 バンっと勢いよくテーブルを叩いたマリーに、図書室にいる人たちの視線が集まる。

 怪訝そうな視線を一心に受け、パトリシアは慌てて彼女を宥めた。


「マリーさん、落ち着いてください。ここは図書室ですよ」


「そうよ、うるさい。あとあんたが言うな」


 シェリーの言葉にべっと舌を出したマリーは、先ほどよりは声を小さくしつつも怒りのままに話を続けた。


「あの人クライヴ様にアタックしてるんじゃないんですか?」


「一応そうだと思うけど、なにがあったの?」


「この間たまたまみんなでいるところに来たんですよ」


 みんな、とはシグルド、ロイド、クロウの三人のことだろう。

 彼らといるところにセシリーがやってきて、どうやらなにかあったらしい。

 彼女はその時のことを思い出したのか、先ほどよりもさらに眉間の皺を深くした。


「あの人ってアヴァロンでも有名なんですよね? 聖女だがなんだかって……。それで三人とも気を遣ってたんですけど、どんどん調子にのって…………」


 確かにあの三人ならセシリーのことを知っていてもおかしくはない。

 国同士のことを考えたら、気を使うのも理解できる。

 だがそこから調子に乗った、という意味が理解できなかった。

 一体何があったのだろうか。


「調子にのるってなにしたのよ?」


「なんかどんどん距離感縮めてきて、嫌な予感するなって思ってたら急に、『マリーさんは男性がお好きなんですね』って」


「…………間違ってないじゃない?」


「そうだとしても普通本人に言う? 初対面ですよ?」


「……それは、まぁ」


 なんとなくわかった気がした。

 彼女の身になにが起こったのか。

 きっと一瞬空気が凍ったことだろう。

 全く同じことを体験した身としては、他人事とは思えなかった。


「しかも『誰かお一人を想うほうがとっても素敵ですわよ?』とか『男性方はマリーさんのことをお好きなのですか?』とか! 空気読めないにも程がないですかね!?」


「あー……うん」


 なんともいえない顔で頷いたシェリーに、パトリシアも心の中で同調した。

 彼女自身は決して悪くはないのだが、どうしても発言に刺を感じてしまう時がある。

 こちらの反応に違和感を覚えたのか、マリーが怪訝そうな顔をした。


「……なんかそっちもあったんですか?」


「まあ、あった。割と爆弾落としてくるわよ、あの人」


「なんで一緒にいるんですか? 突き放した方がいいですよ」


「んー……ハイネが気にしてるから」


「ああ。元婚約者でしたっけ?」


 考えるように顎に手を当てたマリーは、しかしすぐにわからないと言いたげに肩を上げる。


「でも元、でしょう? 気にしてあげる必要なんてないと思うんですけど……。男の人ってああいう女好きですよねぇ。純真無垢っていうかなんていうか」


「……ねぇ、さっきからどういう反応したらいいかわからないんだけど」


「なにが?」


「……いいけどさ」


 確かにどういう反応を返したらいいかわからないと、パトリシアはただ黙っていることを決めた。

 シェリーの言いたいことに気がついたのか、マリーは呆れたようにため息をつく。


「あのねぇ、私はわかってやってるんですよ。だからまだマシなんです。いいですか? 一番厄介なのは、ああいう本当にわかってないやつなんですよ」


「……どういう意味?」


「良かれと思ってやってる悪意ある行為が一番痛いってこと」


 なんとなくだが、マリーの言いたいことがわかる気がした。

 彼女の行動はいわば作戦だ。

 策を練り、行動している。

 けれどセシリーのは違う。

 彼女のはただ純粋に、一つも悪びれることなく行われる行動だ。

 だからこそ、こちらも無碍にできない。


「シグルドたちにあの女はヤバいって言っても『純粋なんだろう』って。馬鹿じゃないの!? 純粋であんなことされてたらこっちがやられちゃうじゃない!」


「それはそう。私もさすがに聞いたもの、わざとかどうか」


「なんで返ってきたの?」


「わざとってなに? みたいな返事。これはやばいって思ってその場は解散させたわ」


 あの時はシェリーのおかげでなんとかなったが、確かにあんな空気が続くのは正直困る。

 精神的にもきついためどうにかしたいとは思っているが、どうすることもできないのが現状である。


「まあそっちも被害被ってるってことだから言うけど、あんまり深入りしない方がいいですよ」

 

「そうね。痛い目見そうだし……。あんたも気をつけなさい。いくら三人に本性バレてるからって、これ以上失態犯さないようにね」


「ご忠告どうも!」


 用は終わったと立ち上がったマリーは、なかなかの勢いで図書室のドアを開け閉めして出ていった。

 まあ彼女とあの三人の関係性は今どうなっているのかわからないが、上手くやってくれるといいなと思う。

 正直今の問題はセシリーだ。

 同じことを思っていたのか、シェリーが腕を組む。


「セシリーさん、あんまり近づかない方がいいかもよ? クライヴ殿下との関係もあるし、深入りして被害被るのは嫌だし」


「……そう、ですね」


 パトリシアに憧れているといった少女。

 純粋に誰かを愛する心を持つ、素敵な人だと思う。

 友人になれたと思ったのだが、どうやら上手くはいかないようだ。


「難しいですね」


 彼女との今後を考えると、少しだけ頭が痛かった。

 

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