第二章完 愛を囁く乙女

 暗闇の中、パトリシアはどこに進んでいいかわからずただがむしゃらに足を進めていると、突然目の前に道が現れた。

 周囲は未だ暗闇なのに、その道だけは光っているのかちゃんと見えるのだ。

 しかしそこはまるで細い崖のようで、進めばボロボロと崩れてしまいそうなほど脆い。

 それでもパトリシアはその道を進む。

 この道が正しいと、信じているかのように。

 しばらく進むと道に一本の赤い薔薇が落ちていて、それを拾う。

 どうしてここに?

 と不思議に思っていると突然道の先が二手に別れた。

 一つは豪華な吊り橋。

 ロープなども新品同様で、足元の木も分厚く丈夫そうだ。

 その先は光が溢れ、あちらへ向かえば明るい場所に出れるのだとわかる。

 もう一つはボロボロな吊り橋。

 ロープはほつれ、足元の板も腐っている。

 こちらは吊り橋の先も暗闇で、明かりなんてどこにもないのだと思わせてくる。

 どちらを渡ればいいかなんてわかりきっているのに、なぜかパトリシアの足は動かない。

 光の方へ向かえばいいだけなのに。

 どうしてだろうと呆然としていると、突然薔薇の花がパラパラと散り始める。

 それは地面へと落ちる前に背後から吹く風に乗り、ボロボロの吊り橋の方へと流れていく。

 

「……、」

 

 その様子を見て、パトリシアはなぜかそちらへと足を進めた。

 迷うこともなく、怯むこともなく。

 ぎちぎちと嫌な音を立てて揺れ動く吊り橋を、一歩一歩しっかりと踏み締めて進む。

 顔は前だけを見て、下も後ろも振り返らない。

 恐怖心は微塵もなかった。

 やがて見えてくる終わり。

 そこにはまたしても一輪の薔薇が置いてあり、パトリシアはそれを拾って地面を歩く。

 そこはもう今にも崩れそうな足場ではない。

 緑に輝く草花が美しく咲く大地。

 一瞬で辺りは明るくなり、空には青空が広がっている。

 

「……やっぱり」

 

 こちらで正解だったのだ。

 この道を進むことが、パトリシアにとっての幸せへの道だった。

 それがわかっただけでもよかったと、手元にある薔薇に口づけを送る。

 そしてそれを、そっと目の前の人に差し出した。

 

「ありがとうございます。あなたのおかげです」

 

 目の前の人は笑う。

 差し出された薔薇を受け取って、彼は口を開いた。

 

「こちらこそありがとう」



 

「パティ! 大丈夫? 寝てたみたいだけど」

 

「…………シェリー?」

 

「おはよう。クラスについてすぐ寝ちゃうなんて、寝不足だったの?」

 

「……夢? 今、なにか夢を見ていた気がするのですが」

 

 微睡んでいたことはわかっているのに、肝心の夢の内容が全く思い出せない。

 なにかいい内容だった気がするのだが。

 

「もうそろそろ先生くるよ」

 

「起こしてくださってありがとうございます」

 

「いいよ。でもパティも居眠りとかするのね。意外だった!」

 

 辺りを見回せばそこは教室で、己が居眠りしてしまっていたことを知る。

 顔に跡がついていないか確認していると、シェリーのいう通り鐘の音が鳴る。

 少しだけぼやける頭を振って元に戻し、今日も勉学に励もうと前を向くと、ちょうどいいタイミングで教師が入ってくる。

 

「静かに。本日よりこの学年に留学生が加わります。自己紹介を」

 

 教室のドアが開き、一人の女性が教室に入ってくる。

 その瞬間教室の中が一気にざわついた。

 色素の薄い金色の光り輝く美しい髪に、空を思わせる澄んだ青い瞳。

 あまりの美しさにクラス中の視線が釘付けになる。

 天使がいたらこんな見た目なのだろうなと見惚れてしまうほど美しい人は、ただ穏やかに笑っている。

 

「……あれか」

 

 ぼそりと隣でシェリーがつぶやく。

 パトリシアはなにも言わず、ただ小さく頷いた。

 そう、彼女が噂の人だ。

 人々の視線を集めている中、そんなことものともせず、彼女は朗らかに微笑む。

 

「はじめまして。アヴァロン王国から参りました、セシリー・フローレンと申します。仲良くしていただけると嬉しいですわ」

 

 アヴァロンの聖女にして、元ハイネの婚約者。

 彼があれほどまでに取り乱していたのは、これが原因だった。

 よりにもよって婚約破棄した相手が、同じ学園に通うなんて。

 ちらりと前の方を見れば、彼は机に伏せている。

 さすがに居た堪れないはずだ、とこれが終わったら慰めてあげようと心に決めた。

 四人でまた紅茶とクッキーでも持って、どこか人気のないところにでも行って愚痴を聞いてあげようと思っていると、教師が席へ誘導しようと声をかける。

 

「では君の席は――」

 

「あの、申し訳ございません。もう一言だけよろしいでしょうか?」

 

 教師の言葉を遮って、セシリーが軽く手を挙げる。

 どうやらなにか言いたいらしく、教師は少しだけ怪訝な表情を見せた。

 

「…………好きにするといい」

 

 許可を得たセシリーは一度こほんと咳払いをして、一歩前へと出る。

 生徒たちの視線が彼女一点へと向けられた。

 それは興味なさげにしていたクライヴや、顔を下げていたハイネも例外じゃない。

 パトリシアも同じように彼女を見つめ、やがてふと小さな疑問を感じた。

 彼女の頬がほんのりと赤く染まっているのだ。

 緊張しているのだろうかとも思ったけれど、なんだか違う気がする。

 口元は喜びに微笑み、握り締める両手は少しだけ震えている。

 そして一心に一点を見つめているのだ。

 彼女の視線の先はどこだろうかと探して、気がついてしまう。

 

「――」

 

 なんだろうか。

 なんだか嫌な予感がする。

 パトリシアの心臓がどくどくと大きくなり出したその時、彼女は声高に言った。

 

「クライヴ・ローレラン様。わたくしと、結婚してくださいませ!」


 第二章 完。

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