婚約破棄

 それから一週間後、ハイネは帰ってきた。

 ものすごく疲れた顔をして。

 

「…………大丈夫?」

 

「………………わっかんない」

 

 いつものようにカフェテリアで食事をとり、その後人気のない場所まできていた。

 近くにあった花壇の煉瓦に腰を下ろすと、ハイネは己の後頭部を無造作に引っ掻く。

 

「なんつーか……こう、なんて言ったらいいのか……あー」

 

「別に無理に言わなくてもいいんだぞ? お前が大丈夫なら俺たちはそれでいい」

 

「…………クライヴ。やさしっ! 今きゅんってした!」

 

「ぶん殴って吐かせてやろうか」

 

「嘘です嘘。いやむしろ聞いてほしい。……うまい言葉が見つからないだけで」

 

 懐かしのハイネとクライヴのやりとりにほっこりしつつも、彼がうんうんと唸っている様子は気になってしまう。

 あれほど口のうまい彼が言い淀むなんてなにがあったのだろうかと身構えていると、言葉を決めたのかハイネが真剣な眼差しでこちらを見てきた。

 

「――婚約破棄されそう」

 

「「「………………はぁ!?」」」

 

「いやぁ、本当に困ったモンだよ。こちとらアカデミーや王位継承やらの問題でバタバタしてるのに、さらにそこに婚約破棄よ? 俺王妃いない状態で国王になれるもんなのかなー?」

 

 一度話し始めたらいろいろどうでもよくなったのか、堰を切ったように話し始めるハイネを、三人はあんぐりと口を開けたまま見ることしかできない。

 パトリシアがいうのもなんだけれど、王族の婚約破棄はそんなに簡単なものではないはずだ。

 それが一番わかっているであろうクライヴは、己の額を抑えるとふるふると頭を振った。

 

「ヤバい。頭痛くなってきた」

 

「わかる俺も」

 

「お前が原因だろうがっ!」

 

 先ほどまでは二人のやりとりを微笑ましく見ていたのに、婚約破棄の話題を聞いた後ではそんなことはいいから早く説明してくれと思ってしまう。

 クライヴと同じように額を抑えつつ、パトリシアも口を開いた。

 

「いったいなにがあったというのですか?」

 

「いやぁ……。俺も驚いてるんですよ? 確かに俺も向こうも恋だの愛だのなんて甘い感情が微塵もないのには気づいてましたけど、でもお互い己の責務は果たさなくちゃいけないって。だから結婚するもんだと思ってたんですが……」

 

 婚約破棄寸前になっているらしい。

 いったいなぜそんなことが起きているのか、不思議でならない。

 しかもハイネの言い方的に、婚約破棄を申し込んだのは女性側ということにならないだろうか?

 

「……ちなみになのですが、婚約破棄を申し込んだのは」

 

「向こうですね。さすがに教皇が待ったをかけてるみたいなんですけど……。本人の意思は固いようで」

 

 そういえばハイネの婚約者はアヴァロンの聖女と呼ばれているとても立場ある人だったなと思い出す。

 アヴァロンでは信仰心により教皇の権力が強く、その娘である聖女と王太子であるハイネの結婚には、政治的な物が絡んでいるように感じる。

 それを本人の意思だけで婚約破棄するということは、よほどのことがあったのではないだろうか?

 同じことを思ったのか、クライヴがじとっとした瞳をハイネに向けた。

 

「……お前何した?」

 

「してない! 俺本当に何もしてない!」

 

「してないのがむしろ悪いとかじゃなくて? ほら、創立祭の時お姉さんが手紙も送らず〜って怒ってたじゃん」

 

「いやぁ? そんなこと気にするような人じゃないと思うんだけどなぁ?」

 

 そこらへんは本人しかわからないことだろうけれど、可能性はゼロではない。

 同じ女子として気持ちがわかるのか、シェリーが苦言を呈する。

 

「本当に? そう見せといて実は……ってこと、あると思うわよ」

 

「えぇ……。そんなの男はもうわっかんないわ。なぁクライヴ?」

 

「好きなら好き、愛してるなら愛してるって伝えればいいだけだろ。連絡をこまめにすることになんのデメリットがあるんだ?」

 

「お前に聞いた俺が馬鹿だった」

 

 クライヴは確かに他の男性とは少し違う気がするなと、パトリシアは困ったように笑う。

 連絡云々は確かに可能性はあるが、実際にどうなのかはわからない。

 ハイネになにも落ち度がないというのなら、向こう側の問題なのだろう。

 

「原因をお聞きになってはいないのですか?」

 

「それが帰った時に会えなくて。姉様もなにか知ってそうだったんだけど教えてくれなくて困ってるんですよ。教皇次第だけど、このままじゃマジで婚約破棄になりそう」

 

 王族には王族の責務というものがある。

 その一つに血筋を残すこと、が重要視されているのだが、ただ血を残せばいいというわけではない。

 王族にふさわしい血筋と教養があり、国民が認める存在でなければ王太子妃にはなれないだろう。

 彼女は教皇の娘でありアヴァロンでは名前が知れているとなれば、きっと適任だったに違いない。

 

「そうなった場合新しい人探して……すぐ結婚ってことになりそう」

 

「二度同じ轍を踏みたくはないだろうからな。決まったら即王太子妃じゃないか?」

 

「……んー、アカデミー卒業までは自由な身でいたかったんだけどなぁ」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」

 

 唇を尖らせているハイネは、まだ納得していない様子だった。

 理由もわからず婚約破棄されるかも、と不確定な情報に踊らされるのは嫌なものだ。

 気持ちもわからなくはないので、パトリシアは彼へ労いの言葉をかけることにした。

 

「まあ、まだ決まったわけではないのですし、そこまで気にしなくてもいいのでは?」

 

「…………そうですね。今からいろいろ心配してもしょうがないし! それより旅の話を聞かせてくださいよ。ずっと気になってたんです」

 

 切り替えの早いところは流石だなと、パトリシアたちは落ち込んでいるであろう彼のためにもたくさんのことを話した。

 ワインや鉱山、移民の話。

 あーだこーだと意見を言い合うのはやはり楽しく、四人でいつも通りの日常を送ることができていた。

 その三週間後、まさかあんな形で婚約破棄事件に終止符が打たれるなんて、この時のパトリシアたちは気づいてもいなかった。

 

 

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