弟の苦労
「…………最悪だぁ」
学園へ向かうため朝待ち合わせをしているため、一階へと降りたパトリシアが見たのは、しおしおに萎れたハイネだった。
「……いかがなさいました?」
「……最悪なんです」
「なにがだよ」
最悪だ最悪だと言う割には、その理由を話そうとはしない。
しばしの沈黙。
その後彼は渋々といった様子で口を開いた。
「……創立祭に来るんです」
「来る? 誰がです?」
「…………姉様」
パトリシアとクライヴだけはああ、と納得してしまう。
麗しの貴公子。
そんな名前が似合うほどズボンを履き馬に跨る姿が様になる彼女は、ある意味で自由奔放な人だった。
身内にいたのならばさぞ苦労したことだろうと思っていたため、ハイネには同情してしまう。
「クロエ王女殿下がいらっしゃるんですか?」
「……そう。手紙で行くと……」
「王女が? 他国のアカデミーの創立祭に?」
まあ確かに破天荒なクロエならそんなこともあるのだろう。
弟が通っている学園ならなおさら、息抜きも兼ねてくるつもりなのかもしれない。
とはいえ流石に一国の王女が来るのに、こちらがなにもしないわけにはいかないだろう。
「……それってこっちに連絡来てるのか?」
「…………俺に来たのすら奇跡だぞ」
クライヴはきっと、学園についたら急ぎ手紙を書くのだろう。
創立祭当日のアカデミー周辺の警備強化のためだ。
元々クライヴがいるため厳戒態勢なのだろうが、それをさらに強固なものにしなくてはいけなくなった。
たぶん騎士団とかも動くのだろうなと、今でも皇宮で鍛錬をしているのだろう彼らを思い出しそっと目を瞑った。
「そんなにすごい人なの? その、ハイネのお姉さんって……」
「ある意味な。ある意味すごい人だよ」
「自由な方なんです。やりたいことはやる。こうと決めたらそれに一直線って感じで……」
「俺は子供の頃そんな姉様に付き合わされて頭を五針縫った」
「なんで」
「馬から落ちた」
やりそうだなと思ってしまった。
嫌がるハイネを無理やり乗せて走り回り、限界のきた彼が転げ落ちる。
そんな姿が容易に想像できた。
「後ろのここらへんな。今はもうよく見ないとわからないけど、子供の頃はここが禿げてて泣きたかった。姉様は爆笑してた」
「私は姉弟がいないからわからないけど、一般的な姉と弟ってこんな感じなの?」
「違うぞ。パティも姉だけど、弟はとても懐いてる」
「弟と遊んでて諭すことはあっても、怪我をさせたことはないです……」
「うちの姉様は怪我をさせて爆笑するタイプだ」
「違いすぎる……」
人それぞれなようだ。
そしてそんな扱いを受けてきてたのなら、ハイネの反応も納得できてしまう。
楽しみにしていた創立祭なのに畏怖な存在がくるというのは、少しかわいそうに思えた。
「嫌なら嫌って言ってみればいいんじゃないか?」
「言って聞くならここまで恐れてない」
「それは……そうだな」
ということは彼女を止めることはできないらしい。
これはきちんとお出迎えして、無事に帰ってもらうしかないようだ。
それにしてもクロエとは手紙のやりとりをしていたのに、そんな話はなかったなと不思議に思う。
パトリシアには秘密にしておきたかったのだろうか?
「クロエ王女殿下はハイネ様に会えるのを楽しみにしているのでしょうね?」
「いやぁ? 俺よりもどちらかといえばパトリシア嬢じゃないですかね? ベタ惚れですし」
「そうなの?」
「そう。もう凄いよ。本人前にしてないのによくあれだけ歯の浮くようなセリフ吐けるなって思う」
「……あんたが言うならそうなんでしょうね」
パトリシアは過去のことを思い出す。
確かにアヴァロンに滞在していた時は、クロエにお世話になった。
彼女はとても親切に、そして親身になってパトリシアに接してくれた。
それは確かに友情と呼ぶには少し重くて、友を持った今なら彼女から向けられている感情が違うのだとわかる。
「……クロエ王女殿下は認めて欲しかったのではないでしょうか? 自由奔放でも、己は己なのだと」
パトリシアは初めて会ったとき、美しい姿勢で馬に乗る彼女を褒め称えた。
自分は乗馬を得意とはしていないため、どうやったらそこまでの腕前になるのかと聞いて、さらには実践しようとした。
流石に向こうの従者やこちらの騎士に止められてできなかったけれど、その様子を見ていたクロエはとても嬉しそうで……。
そこから彼女との関係は始まったのだ。
だからこそ思う。
彼女は自分自身を認めてほしいのだと。
パトリシアがそうしたように、他の人にも。
「クロエ王女殿下は素敵な方ですと、私はお伝えしました。あれほどまでに乗馬や狩りがお上手なのは才能です。伸ばすべきだと」
たとえそれが道から逸れていたのだとしても。
無責任な言葉だっただろう。
けれど自分にはできないことをする彼女が、自由な彼女が羨ましくて。
心の底から出た言葉だった。
「……無責任でしたね。私は」
「…………別に、俺だって姉様には好きに生きてほしいと思いますよ。…………今更しおらしくされても気持ちの悪いだけです」
肩をすくめたハイネは、さっさと歩いていってしまう。
その後ろ姿を見て、クライヴがぽつりとつぶやいた。
「なんだかんだ言っても姉のこと好きなんだよな、あいつ」
「手紙のやりとりしてる時点で大好きでしょ」
「……ふふ」
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