その後のお話を
「パティ」
「はい。……どうなさいました?」
クライヴの表情が固い。
なにやら思い詰めた様子で呼ばれ、慌てて彼の元へと近づいた。
「なにかあったのですか?」
「ちょっときて」
ぱっと手をつかまれる。
優しく触れてくれるのはいつものことなのに、その手はひどく冷たい。
なにがあったのだ。
二人はクラスから出て、人気のない校舎裏までやってきた。
ちなみに他の生徒たちからはものすごい視線を向けられたし、女生徒からは小さな悲鳴が上がっていた。
さすがに手を握るのはよくなかったらしい。
反省しつつも話の続きをする。
「クライヴ様。……皇宮からですか?」
「……うん」
彼がこんなに慌てるなんて、もしやと思えばやはりそうだったらしい。
彼の手には皇宮からだという証の蝋印がされた手紙が握られている。
「まずはいいニュース。奴隷解放の案が進んで、今次々と元奴隷たちが国境付近の村に向かっているらしい。首都で仕事を得てる者もいる。子供たちも一旦仮の場所に集められてて、孤児院の建設が急ぎで行われているみたい」
「そうですか。無事に進んでいるようでなによりです」
「うん。奴隷商人たちへの保険も出てるから、ある程度の奴隷たちは解放できると思う。……あとは」
法律で決められたとしても、その全てを規制することはできない。
なんとかして逃れ、商売を続ける者もいるだろう。
さらには奴隷売買が禁止されればその存在自体に付加価値がついてしまう。
高値で売られ始めれば商売が金になると手を出すもの現れるだろう。
厄介なことだなとパトリシアは顎に手を置いた。
「今は騎士団が目を光らせてるから少なくとも王都では安全だと思う。でも……」
「地方はそうはいきませんね。今後必ず奴隷の価格高騰が起きます。地方ならば買えるのはせいぜい領主くらいなものでしょう。彼らの行動、特にお金の動きに目を光らせなくては」
「うん、そうだね。今年こそ地方の調査をきちんとやらないと……。父上には僕から連絡しておくから大丈夫」
「……ありがとうございます」
本当ならこれはアレックスがやるべき仕事である。
彼の名の下にこの法案は可決したのだから。
だが。
彼の名前を、この奴隷法案関係で聞いたことがない。
「次からは、悪い話。……あの二人、上手くいってないみたい」
「――」
あの二人、が誰を示すのかはすぐに理解できた。
アレックスとミーア。
皇太子と奴隷の娘。
二人の物語はパトリシアという悪役を排除しても、無事にハッピーエンドとはいかないらしい。
「あの女は奴隷から解放されて、今は皇宮の下働きとしているみたい。本当なら兄上のそばにって思ってたんだろうけど……父上と母上がそれを許すとも思えない。それに……」
一瞬言い淀んだクライヴは眉間に皺を寄せながらも口を開いた。
「それに、兄上の【症状】が悪化してるみたい。今は誰も近づけないって」
「…………そう、ですか」
パトリシアが皇太子妃になれなかった理由。
クライヴが皇位継承権を破棄できなかった理由。
それは全て、アレックスの病気が原因だった。
彼の病気は現代の医術では治すことはできないらしい。
名前すらついていない未知なるそれは、あらゆる書物を読み漁っても出てくることはなかった。
「……心の病ってのは厄介だね……とても」
どことなく悲しげなクライヴを見つつも、思い出すのは子供の頃。
彼の母親がまだ、彼と共にいた時のこと。
仄暗い部屋。
昼間なのにその明るさを拒み、かけられた分厚いカーテン。
しかしその足元はズタボロで、木漏れ日のように室内を照らす。
割れた花瓶で床は濡れ、そこかしこに散った花弁が待っている。
その部屋には二人しかいなかった。
十になる皇太子とその母親。
彼女はその部屋で繰り返し同じ言葉を呟いた。
『お前は皇帝になるの。お前だけはこの母を見捨ててはダメ。お前だけはこの母のために動くのよ』
それは何年も何年も繰り返されて、彼女の異常性がわかり引き離されるまで彼の心を蝕んだ。
「……もしこのままなら、兄上は皇位を継げない」
「はい。存じております」
一度症状を発症してしまえば、しばらくは公務を行うことができない。
いくら公爵家が後ろ盾としていたとしても、仕事の行えない皇帝では意味がない。
ただ、もしかしたら治るかもしれないという一縷の望みをかけて、彼を皇太子に据えていた。
焦る必要はない。
なぜなら彼には腹違いの、それも皇后の実の息子であるクライヴがいるのだから。
アレックスがダメでもクライヴを。
そんな考えがあったのだ。
それを知っていたから、アレックスはクライヴを嫌っていた。
自分の居場所を奪う存在だと。
「……ミーアさんではダメなのですか?」
「…………たぶん。そもそも会えないみたい」
二人は心の底から愛し合っているのだと思っていた。
いや、愛し合っていたはずだ。
だからこそパトリシアは身を引いた。
我慢ならなかったのもあるけれど、彼女ならきっと大丈夫だろうと思ったからだ。
けれど。
「兄上はああなると他の人と会わないようにするから。誰も近づけないよ。……パティ以外は。君がそばにいて、止められていたから兄上は皇太子でいられたのに」
思い出すのは子供のようなあの姿。
泣いて縋る彼を何度抱きしめ慰めただろうか。
大丈夫、大丈夫と声をかけ続けて。
けれど彼はそのことを覚えていない。
覚えているのはパトリシアと周りの人だけ。
だからその役目は、ミーアでも大丈夫だと思ったのに。
「…………まあ、症状が軽いときにでもあの女と会わせるよう医者に言ってみるよ」
「…………はい」
胸がざわつく。
捨てられたらいいのに。
まだ奥底では、彼を心配する心が残っていたなんて。
ぼーっと空を見上げる。
どこまでも広い空は、自由で羨ましい。
「……」
「パティ」
「――、はい」
「兄上の件、急を要するわけじゃない。それにあの女がどうにかするでしょ。あれだけ熱を上げてたんだから」
「………………そうですね」
そう。
きっと大丈夫だ。
壊れかけの彼を救うのは、パトリシアの役目ではない。
真のヒロインが、そばにいるのだから――。
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