はじめの一歩

「なるほど……めんどくさいな」


「……お恥ずかしながら私もそう思ってしまいました」


 カフェテリアの二階。

 そこでパトリシアとクライヴは話をしていた。

 ハイネとシェリーは用事があると別行動をしている。

 なので今日は久しぶりの二人きりだ。

 どこかウキウキしている様子のクライヴには悪いなと思いつつも、ここ最近あった出来事を話す。

 それを聞いた彼はテーブルに肘をついて眉を寄せた。


「エヴァンスとマクベスは知らなかったけど、ルージュに関しては一応言っといたから……考えてる、と思う。…………でもそれが原因であの女が釣れたならごめん……僕のせいかも」


「クライヴ様のせいではありません。むしろありがとうございます」


 彼がクロウ・ルージュに苦言を呈したのは、パトリシアのためなのだろう。

 その優しさは嬉しかったので素直にお礼を口にした。


「彼女が私の元にやってきたのは彼女の意思ですから」


「……あの集団がどうなろうと知ったこっちゃないけど、パティに迷惑をかけるなら僕の持てる全てを使って潰すから気軽に言ってね」


「…………気軽には言えないかと……はい」


 彼の持てる全てということは、すなわち国の力が動くということ。

 そんな恐ろしいことできるわけがないと、丁寧にお断りすることにした。


「まあもう関わることはないと思いますので」


「…………だといいけど。パティってなんだかんだ面倒見がいいというか……変なのに好かれるというか」


「……褒めてます?」


「まあ僕もその変なのの一員だからなにも言えないけど」


「――……」


 突然やってきたなとそっと視線を逸らす。

 ここ最近思い出さないようにしていたのに。


「…………私はまだ」


「わかってる。だから待つよ。でもただ待つのは性に合わないから、こうやって軽く突いてるんだよ」


 あの日。

 パトリシアの世界が変わった日。

 彼から伝えられた言葉はずっと心の中に残っている。

 ……正直嬉しかった。

 彼からの心のこもったあの告白は、新しい世界を生きようとする背中を押してくれた。

 だから感謝している。

 だがしかし、パトリシアの方はまだ恋愛をできる気がしない。

 消した想いは傷となって、未だ胸に残り続けている。


「……クライヴ様はなぜ私なのですか?」


「……それ聞くの?」


 すごく意外そうな顔をされて、パトリシアのほうが驚いてしまう。

 そんなに自分を選んでくれた理由を聞くのはおかしいだろうか?

 クライヴは考えるように視線を彷徨わせると、その後すぐ嬉しそうに笑う。


「そっか。パティはそういうの気にしないと思ってたから……なるほど。ちょっとは進めてるのかな。うんうん、嬉しいなぁ」


「……なんの話ですか?」


「こっちの話」


 にこにこのクライヴは、鼻歌交じりに紅茶を飲む。

 ずいぶんと機嫌がよさそうな彼の姿に疑問を持ちつつも、まあ悪いことではないだろうと同じように紅茶を口に含んだ。


「僕がパティを好きなのはパティだからだよ」


「……哲学ですか?」


「パティは子供の頃からパティだったから」


「……私、成長してませんか?」


「違う違う。そのままでいいんだ。そのままでいてくれれば僕は……」


 ゆっくりと閉じられた瞳は、同じくらいのゆったりとした速度で開く。

 そこに映るのはパトリシアだけで、クライヴは穏やかに笑う。


「パティを好きな気持ちに嘘偽りないよ」


「……そこは、……疑っておりません」


 あんなところであんな発言をしたのだ。

 あれが嘘だった場合、パトリシアはもう二度と彼の顔を見ることができないだろう。


「……皇后陛下、乗り気でしたね」


「ああ。母上はパティのこと気に入ってるし、僕の気持ちも知ってたから。だから僕の気持ちの整理がつくまで縁談の話は止めててくれたんだけど……今となっては本当に感謝しかないよ」


 そういえば確かに、クライヴの縁談の話を聞いたことがなかった。

 いや、ありはしたのだ。

 あそこの家の御令嬢は歳が近いからどうだろうか、とか、皇后陛下の遠縁などはいかがか、とか。

 けれどどれもまとまりはしなかった。


「……ねぇパティ。僕が皇帝になるって言ったら、どうする?」


「――」


 思わず息を呑んでしまう。

 考えたことがないわけではない。

 彼もまた、皇位継承権を持った人なのだから。

 けれどそれは。


「……クライヴ様は、皇帝になりたいのですか?」


 一度は己の意志ではないとはいえ捨てた道を、彼が望むのか。

 その疑問に、彼は困ったように笑う。


「わからない。でももし、もし……そうなることで僕が望むものが手に入れられるなら……」


 笑顔は消える。

 真っ直ぐに射抜くようなその瞳は、力強く気圧されるほどのものだった。

 そんな瞳で彼は言うのだ。

 傲慢で不遜で、しかし彼になら叶えられるかもしれないその願いを。


「皇帝になるよ」

 

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