私の騎士

 耳に入った言葉に、パトリシアもまた纏う空気が変わる。

 彼は今、なんと言った?


『セシル卿を捨てた女』


 そう、言わなかったか?

 すっと瞳が細まったのに気づいていたが、それをやめることはできそうにない。

 彼は今、パトリシアにとっての地雷を踏んだのだから。


「おい! ルージュお前なにをっ」


「セシル卿は俺の憧れだった。この学園の生徒で、彼のことを知らないやつはいない。最年少で専属騎士に決まった人。俺もそうなりたいと頑張ってた。なのに、あんたは……」


 セシル卿は皇室の騎士である。

 彼はアカデミーを勉学も騎士選択もどちらも主席で卒業し、その一年後に最年少で専属騎士の資格を得た。

 そんな彼が主人にと望んだのは皇太子の婚約者であったパトリシアだった。

 皇族ではなかったため皇太子妃になるまでは専属の騎士を持つことは許されず、彼はその時まで皇室付きの騎士として過ごしていた。

 結局はパトリシアが皇太子妃になることはなかったため、彼が専属騎士になることはない。

 それは確かに捨てたと言われてもおかしくはないのかもしれない。

 ――けれど。


「あんたが自分勝手な行動をしたせいで、どれだけの人が迷惑してるかわかってるのか? どれだけの人が傷ついたと思ってる?」


「…………」


 脳裏に浮かぶのは彼の顔。

 パトリシアが皇太子の婚約者を辞めたと報告した時、彼は穏やかに笑ったのだ。

 何度も謝った。彼の努力も願いも踏み躙ったと。

 けれど彼は優しい微笑みのまま、静かに首を振った。


『あなたが辛そうな顔をされ続ける方が、私には耐えられません』


 彼は騎士だった。最後のその時まで誇り高い【私の騎士】だったのだ。

 クロウ・ルージュの言いたいこともわかる。

 自分の選択がたくさんの人に迷惑をかけたこと。悲しみを与えたこと。

 全てわかっている。

 朗らかに微笑みながらも最後、別れ際の一瞬に見せた泣きそうな笑顔。

 セシルのその顔を、パトリシアは忘れていない。


「……」


「――っ、お、いっ、おい! びっくりした。お前何も言わずに殴ろうとするな!」


「離せ。なにも知らないやつが、ぐだぐだ言ってんじゃねぇよ」


「ちょっと! クライヴ、ブチ切れてるんですけど!」


「クライヴ殿下落ち着いてください! ルージュ! フレンティア様に謝罪しなさい!」


「……っ、でも」


「不要です」


 謝罪なんて必要ない。

 そんなものなんの意味もない。


「謝っていただく必要はありません」


「……自分が悪いと自覚あるのか」


「ええ。とても……」


 ふんっと大きく鼻を鳴らしたクロウは、どこか満足げだ。

 自分が悪いことなんて、パトリシアが一番よくわかっている。

 セシルだけじゃない。

 他にもたくさんの人が悲しんでいた。

 今でも皇帝の涙を夢に見る時がある。

 だから彼の言いたいこともわかる。

 ――わかる、が。


「私が悪いことは理解していますが、無関係のあなたに責められる謂れはございません」


「――、あんた、反省してないのか?」


「してます。ですがそれはセシル卿にであって、あなたにではありません」


「……謝ればいいと思ってるのか? 謝ったらそれで済むと本気で思ってるのか? 人の人生狂わしといて……っ」


 言われた時は怒りが体を震わしたけれど、徐々に冷静を取り戻していく。

 さらには目の前にいるクロウが熱を上げていくため、どんどん落ちつくことができた。

 冷静になれたのならやることは一つ。


「――あなたは騎士に向いていません」


「……、なん、だと?」


 クロウの顔が怒りに変わる。

 だがそんなこと知ったことではないと、パトリシアは彼をまっすぐ見つめた。


「少なくとも今のあなたは騎士としての力はあれど、それ以外はふさわしくないと私は思います」


「…………」


「なぜだかわかりますか?」


「知るか。お前に言われたくない」


「そういうところです」


 ピシッと、二人の間に明確な亀裂が入ったのがわかる。

 お互いがお互いを敵だと明確に認識できたことだろう。

 ならば次にやることは、徹底抗戦である。


「あなたが騎士になった時、最初は皇宮の警護をするでしょう。そんな時に、あなたはあなたにとって利益のあるないで人を判断するのですか?」


「そんなことはしていないっ」


「先ほどの様子を見て、ここにいる全員が思いましたよ。あなたは利益で動いていると」


「――っ、」


 騎士団に入ったのなら、皇宮の警護から始まる。

 そんな時にあの人にはいい顔をして、あの人には不親切にするなんてそんなことをすれば、騎士団自体の問題になりかねない。

 あそこにいる人たちは、騎士であることに誇りを持っているのだ。


「私は皇宮で多くの騎士を見てきましたが、私情で動いている人とお会いしたことはございません。あなたにそれができますが?」


「――できる。騎士とはそういう存在だと理解している」


「ならお前は向いてない。ルージュ、少し頭を冷やせ」


「……教官」


 言い合いを止めるようにラーシュが一歩前に出てきた。

 彼はパトリシアの前で膝を折ると、深く頭を下げる。


「ご無礼をお許しください。どうぞ罰は私に」


「教官!?」


「不要です。今は公的な場ではありませんから」


「……寛大なお心に感謝を」


「どうして教官が謝られるのですか! 悪いのは……」


 どうやら本当に気づいていないらしい。

 ラーシュに立ち上がるよう諭しつつ、パトリシアはクロウをその瞳に映した。


「それがあなたが目指す世界だからです。部下の失態の責任を取るのは上官の務めです。あなたのその正義感によって、罪なき人が何人罰せられるか考えたことがありますか?」


「っ、」


「あなたは騎士に向いていません。……あなたの憧れるセシル卿は最後の時まで【私の誇り高い騎士】でした。そんな彼を、あなたの物差しで測り、侮辱したことを私は忘れません」


「侮辱なんてしていない! 俺は――」


「それがわからないのなら、騎士は諦めなさい」


 パトリシアはそれだけ告げ、ラーシュに挨拶をしてその場を去る。

 シグルドもロイドもクロウも、なぜこうも人の怒りの部分に触れてくるのか。

 面倒ごとは懲り懲りだと、二度と関わるものかと心に誓った。

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