嫌い、好き、やっぱり嫌い。

 連れてこられたのは人気のない校舎の裏手であった。

 今生徒たちの多くは食事をしているため、確かに校舎裏ならほとんど人は来ないだろう。

 つまりだ。これから話すことは人に聞かれたくないことだということ。

 この間の件を詰問でもされるのかと身構えていると、シグルドが振り返り深々と頭を下げてきた。


「女生徒との件、申し訳なかった。確かにあなたの言うとおり、私は彼女たちを不要なまでに責めていた。あなたにも不快な思いをさせた。改めて申し訳ない」


「…………」


 まさかの謝罪になにも言うことができなかった。

 パトリシアの中での彼は傲慢であり、人を顧みないのだと思い込んでいた。

 だからこそ謝罪をしてくるなんて、とても意外なことだと驚いてしまう。

 そしてそこで気がついた。

 パトリシアもまた、傲慢であったのだと。

 勝手に彼にアレックスを重ねて、彼と同じなのだと決めつけて。


「……こちらこそ申し訳ございません。エヴァンス様は私のためにとおっしゃってくださったのに」


「いや、……あなたが謝ることではない。むしろ己の無知さを理解できて感謝する」


「…………それは私もです」


「どういう意味だ?」


 その質問に答えることはせずに、ただ困ったように笑った。

 離れられたと思っていたのに、気がついたらアレックスの姿がチラつく。

 幼い頃からパトリシアという存在の大多数を占めていたのだから、致し方ないのかもしれない。

 けれども同時に早く解放されたいとも思う。


「もし許されるのなら一つ質問よろしいでしょうか?」


「ああ。構わない」


「エヴァンス様はなぜあそこまで女生徒のことを責められたのですか?」


 彼の問い詰めかたにはあまりにも棘があった。

 ただ気に入らないというわけではないのだろうと聞けば、すっと眉間に皺が寄った。


「…………マリーもああやって女生徒たちに問い詰められることが多い。彼女と君が重なったんだ」


「……そうですか」


 パトリシアの中で残念ながらマリーの印象は悪い。

 こちらもまたあの奴隷の娘が脳内にチラつくからである。

 だからこそ彼の言葉はあまり素直に受け取ることができず、少しそっけない返事をしてしまう。


「マリーは私の乳母の娘で幼い頃から一緒だった。確かにわがままなところはあるが、根はいい子……なのだと思う」


「断言なさらないんですね」


「――……、そう、だな」


 なんだ、と肩の力を抜いた。

 彼はどうやら薄々気づいてはいるらしい。

 彼らに見せる彼女のあの姿が、全てでないことを。

 もちろんパトリシアも彼女の本質を知っているわけではない。

 そこは後々に知っていけるかもしれない。

 ただ表面を見ているだけだから一概にはいえないが……ミーアという存在を見てきたからこそわかるのだ。

 同類だ、と。


「今は……少し、わからない」


「……なにかあったのですか?」


「…………シェリー・ロックスとは友人関係なのか?」


「ええ。同じクラスで隣の席なんです。お勉強がお好きなので一緒にやろうと」


「………………そうか」


 流石にこんな反応をされれば気づく。

 シェリーの態度もそうだ。

 彼女はひどくマリーとシグルドを嫌っていた。

 この三人に、なにかあったのだ。


「シェリーとなにかあったのですか?」


「……シェリー・ロックスはマリーが大切にしていたブローチを盗んだんだ」


「ブローチ?」


「私があげたものだ。マリーの誕生日に……」


 なぜそれをシェリーが盗んだという話になるのだろうか。

 パトリシアはにわかには信じられず、シグルドに疑いの目を向けてしまう。


「……なぜシェリーが盗んだということになったのですか?」


「二人は昔仲がよくて。マリーに紹介されて私も何度も話したことがあった。この学園では珍しく勉学に励む生徒だったこともあり、親しくさせてもらっていた」


 驚いた。

 シェリーの性格的に、マリーのような女性は苦手だと思っていた。

 それなのに昔は仲がよかったということは、変わったといういうことだ。


「だがある日、シェリー・ロックスはマリーの部屋に無断で入りブローチを盗んだ。ブローチがなくなったことに気づいたマリーに相談されて、生徒の部屋を一斉に探すことになったんだ」


「……それはいつの時間のことです?」


「時間? 夕方ごろだ。生徒たちが部屋へと戻ってはいたが、我々はレッドクローバーの仕事をしていた」


 そういえば以前もレッドクローバーという名前を使っていたなと思い出す。

 彼の言い方的に生徒たちを代表して、なにか学園に関わる仕事をしているのだろう。

 聞いたことがある。学生の頃から人をまとめ、指導する力をつけさせることもあると。

 話の腰を折るのはよろしくないと感じたため、あとで真相を誰かに聞こうと思う。


「普段ならそこにマリーもいたのだが、少し調子が悪いと先に帰り……そこでブローチがなくなっていることに気がついた。そしてシェリー・ロックスの部屋で見つかったというわけだ」


「…………」


 なるほど話の顛末はわかった。

 だがしかし、そもそもパトリシアはシェリーが盗んでいないと思ってこの話を聞いている。

 まだ出会ったばかりの子であるけれど、頭のいい彼女がそんなことをするだろうかと疑問に思う。

 それにこの事件、関わっているのはマリーなのだ。


「その時シェリーはどこにいたのですか?」


「……我々と共にいた」


「では彼女はいつ盗んだと言っていたのですか?」


「……いや。最後まで否定していた。だが物的証拠もあったし、昼休憩などに寮に戻って盗むことは可能だ」


「なるほど……」


 物的証拠があるのは確かに痛い。

 けれどそれにしてはなんだかお粗末な話である。

 物的証拠はあれど、証言などの証拠がないのだから。


「シェリーがマリーさんの部屋に入ったところを見た人は?」


「……いない」


「では、シェリーが休み時間に校舎を抜け出したところを見たものは?」


「…………それもいない」


 なんだそれはとため息をついてしまう。

 この様子では、シェリーにきちんとした証言の機会があったかも疑わしい。


「シェリーに話を聞きましたか?」


「聞いたがやっていないの一点張りだった」


「……その証言をエヴァンス様はどうなさいましたか?」


「どうもこうもない。物的証拠がある以上彼女の有罪は逃れられない。マリーが泣いて大ごとにしたくないというから、教師たちへの報告はしなかったが……」


 ああ、とパトリシアは己の中の熱が下がるのがわかった。

 瞼はすっと落ち、今の自分は鋭い視線をしていることだろう。

 彼は違うと思った。

 人の意見を聞き入れてくれる寛大さがあるのだと思ったのに、なのに結局はこれか。


「そうですか。わかりました」


「……君にはつらい話かもしれないが、彼女からは距離をおいた方がいいだろう」


 はた、と動きを止めてしまう。

 その一瞬はもしかしたら呼吸すらしていなかったかもしれない。

 この人はいったいなにを言っているのだろうか。

 頭の中で小さくぷちっという音がした。


「ご忠告感謝いたします。ええ、距離を置かせていただきます」


「そうか、よかった。私は君が傷つくのは……見たくないと思う」


「ありがとうございます。私も私が傷つかないために、距離を置かせていただきます。【あなた】と」


「……………………え?」


 驚いたようにこちらを見てくる彼に、パトリシアはただ微笑むだけだ。

 仮面をつけるのは慣れているため、きっと完璧な笑顔だったことだろう。


「前言撤回してください。己の無知さをもっと恥じてください」


「なにを……」


「私も前言を撤回いたします。あなたと話していて、とても、不愉快になりました」


 片方の意見しか聞かないなんて。

 シェリーを信じていないのだとしても、第三者として公平な判断をくださなくてはならないのに。

 上に立つものとは、そういうものだ。

 なのに彼はそれを怠った。


「こういう時、いつも私についてくれていた侍女が言っていた言葉をお伝えします」


 実はパトリシアの侍女であるエマはモテる。

 公爵家の侍女であり仕事もできて信頼も厚い。

 さらには可愛らしい顔をしているとあって、言い寄られることがしばしばあった。

 そんなエマはパトリシアが嫁ぐまではと、縁談全てをお断りをし続けていたが、その中には強引に迫るものたちもいた。

 自分なら君を幸せにできる。

 そう言ってくる人たちに彼女が向けたのはただ一言。


「二度とその顔を私に見せないでください勘違い野郎」


「――」


 ポカンとした顔のシグルドを放って、パトリシアは優雅に礼を一つ。


「では、ごきげんよう」


 さっさとみんなの元に帰ろうと瞬時に踵を返した。

 今度こそもう二度と話すこともないだろうと思うと、なんだか胸がスッキリした。

 いつもいつもああ言っては男の人たちを叩き返していたエマの気持ちが少しだけわかった気がする。

 だがしかし、流石に少し乱暴な言葉すぎたなと反省すると共に、今更になって恥ずかしくなってきた。


「今後あのような言葉は口にしないことにしましょう」


 ちょっとだけ憧れていたのだ。

 思いをそのまま言葉にすることに。

 しかし流石にパトリシアの性格的にあまりいいものではなかったらしい。

 一回だけ。それも知っているのはシグルドだけ。

 そんな彼とはもう顔を合わさないだろうから、実質あれはなかったことになるはずだ。

 そう恥ずかしさに頬を赤らめながら、心の中で言い訳を繰り返すのだった。

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