警戒心を解くために

 そして授業は終わり、皆がざわざわとし始めたころ。

 パトリシアは意を決して声をかけてみることにした。

 婚約破棄を宣言したときですら、ここまで緊張はしなかったというのに。

 いやむしろ、あの時は清々しい気持ちでいっぱいだった。

 だからこそ緊張とは無縁だったのに。

 今はこんなにも心臓が激しく動いている。


「…………」


「………………」


「……………………っ、あ、あのっ」


 声をかければ隣の生徒の肩が大きく跳ねた。

 驚かせてしまったことに申し訳なさを感じつつも、勢いを消すわけにはいかないとそのまま話を続けた。


「さ、先ほどのお話なのですが……」


「え、ええ……」


「よろしければお話いたしませんか?」


「……………………いいの?」


 勇気を出して話しかけた言葉にすぐに返事はなく。

 やってしまったかと後悔しかけた時、その言葉をもらえた。

 喜びのあまり何度も頷けば、彼女は緊張が解けたのかふと肩の力を抜く。


「……よかった。あなたも、男性目当てでここに来たのかと思ったから」


「男性目当て?」


「クライヴ殿下とハイネ殿下。仲良さそうだったから……私余計な声かけちゃったかと思って」


「ああ。クライヴ様は昔からの知り合いで……ハイネ様はクライヴ様のご友人だったので」


「……クライヴ殿下と知り合いって、あなた何者なの?」


 どうやらそこかららしい。

 ならばまずはと、自己紹介からすることにした。


「私はフレンティア公爵家のものです」


「公爵って……なんでここに?」


「それは……」


 話すにしてはだいぶ重たいことすぎて、会ったばかりの人に聞かせるのは少し憚られるため、ひとまず簡潔にまとめることにした。


「実は婚約を破棄しまして……。なのでどうせならずっと来たかったアカデミーに通いたいなと」


「…………そう」


 とはいえ婚約破棄の言葉自体重かったかと、彼女の表情を見て気づく。

 年頃の女性にとって、結婚は人生を左右する内容だ。

 それを破棄するというのは、やはり周りから見ても相当なことなのだろう。

 ここでさらに婚約者が皇太子で、皇太子妃を降りたなんて言ったら彼女がどんな反応するか気になったが、それはもう少し交流を深めてからにすることにした。


「そういえばお名前を伺っておりませんでした」


「あ、……そうね。シェリー・ロックスよ。……平民」


「改めまして、パトリシア・ヴァン・フレンティアと申します。……シェリーさん、とお呼びしても?」


「……………………シェリーでいい。私は……」


「親しい人はパトリシアかパティと」


「………………じゃあ、パティ」


 ほんのり頬を赤く染めて、いいにくそうにしているのがなんとも可愛らしいと思った。

 ちょっとだけきゅんとしていると、シェリーがバッと顔を向けてくる。


「それで、歌舞の話聞かせて欲しいんだけど」


「ああ、そうでした。どんなところが聞きたいんですか?」


「歌舞の種類とその意味。私踊りに意味があるだなんて知らなかったから、あなたの話を聞いて驚いたの。自分の知らないことを知れるのって幸せよね」


「とってもわかります! 知らない世界を知れることは喜びですよね」


 うんうんと頷けば、同じようにシェリーも頷く。

 そのまま歌舞の生い立ちや内容、振り付けや歌に込められた思いなどを語っていると、クライヴとハイネがやってくる。


「パティ。お昼ご飯の時間だけどいけそう?」


「あ、はい。大丈夫です」


 このままご飯に行くのだと立ち上がったが、隣のシェリーはパトリシアたちから視線を背けていた。

「シェリー? 一緒に行かないんですか?」


「…………いいの?」


 誘われたことにぽかんとしたシェリーは、嬉しそうに口端を上げたあとクライヴとハイネを見て途端に表情を暗くした。


「…………やっぱりいいわ。私は一人で」


「え、でも」


 誘った時確かに嬉しそうにしてくれていたのに。

 どうしたのだろうかと疑問に思った時、ハイネがそれに答えてくれた。


「シェリー嬢。俺たちは気にしませんので、あなたが大丈夫なら一緒にいきましょう」


「…………でも」


「クライヴならフレンティア嬢がいるだけでいいってやつなので、あとは気にしないので大丈夫ですよ」


「さっさと行くぞ。パティはなに食べたい?」


 クライヴの急変した態度に目を白黒させながらも、シェリーは気まずそうに立ち上がると付いてきてくれる。

 なるほど確かに、シェリーからしてみればクライヴもハイネも普段あまり接することのない人なのだろう。

 そんな人と食事なんて気を使うだけなのに、気軽に誘ってしまったことを少しだけ反省した。

 と同時にやはりハイネの凄さに気づく。

 こんなに人の心境に気づき寄り添える人はそういないだろう。

 アヴァロンは将来も安泰だなと、将来王となる彼の人となりを見て思う。


「……本当に、ハイネ様はすごいですね」


「なんです急に?」


「いえ。そう思っただけです」


「……お褒めいただけたと思っておきますね?」


「もちろんです」


 それだけを伝えると、すぐにシェリーに声をかけた。


「シェリーはなにがお好きですか?」


「食べ物のこと? んー……簡単に食べれるものが好きかな。サンドイッチとか」


「わかります。本を読みながら食べれるものがいいですよね。私はよくクッキーを食べながら本を読んでこぼし、母に叱られました」


「貴族の御令嬢でもそんなことするのね」


 くすくすと笑われて、同じようにパトリシアも笑った。

 先ほどまで緊張していたような顔をしていたので、少しでもほぐせたのならよかったと思う。


「パティくらいだよ、そんなことするの」


「来客時にはしませんでしたよ」


「でも僕と遊んでる時にも本読みながらケーキ食べて怒られてたよ?」


「そ、それは子供の時の話です!」


 幼い頃はクライヴとアレックス、二人と遊んだこともあった。

 基本は双方の母親が禁止していたため、パトリシアがクライヴと会える機会は少なかった。

 しかし皇后に会いにいくと決まってクライヴが一緒だったため、よく一緒にお茶をしたものだ。


「フレンティア嬢にもそんな一面があったんですね」


「意外。子供の頃からしっかりしてるんだと思ってた」


「本読み出すとご飯も食べないからって、大人が心配してとにかく何でも食べさせてたんだよ。そうしたら本読みながらお菓子食べるようになっちゃって……」


「はい……。使用人たちが母に怒られているのを見て止めました」


「偉い」


「私はやめなかったなぁ。今でもサンドイッチ食べながら本読んでるもの」


「こぼさなきゃいい感はある」


「……王族でもそうなのね」


「王族も人間だから〜」



「お前だけだバカ」


 二人の軽快なやりとりにシェリーは笑う。

 どうやらこの短時間でなれた様子にほっと息をついた。

 シェリーとはこれからもっと仲良くしたい。できるなら友達になりたい。

 だからこそこの二人とも警戒せずに話ができたらなと思っていた。

 クライヴは人に合わせるということをする人ではないので、これは間違いなくハイネのおかげでいる。


「やっぱりすごい人」


 彼との出会いも、きっとかけがえのないものになるのだろう。

 そう、思えた。

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