牽制は大切な防衛手段

 朝は遠くから聞こえる鐘の音で目が覚めた。

 普段ならカーテンを開けにエマがきてくれるのだが、今日からはそんな存在はいない。

 ゆったりと起き上がり、寝ぼけ眼の目を擦る。

 昨日は疲れていたからかすぐに睡魔に襲われてしまい、慌てて下にいた女性の管理人さんに声をかけて、お風呂に入らせてもらえた。

 大浴場なんて初めてだったけれどまだ授業中だったからか貸切で、ありがたく旅の疲れを癒した。

 そしてそのまま倒れるように寝てしまい今に至る。

 朝はクライヴが迎えに来てくれるから、早く用意をしなくては。

 さっさと立ち上がるとまずは鏡の前で髪を解かしていく。

 寝癖を整えつつ、顔はどこで洗うのだろうかと小首を傾げていると不意にドアが叩かれた。


「おはよう! 明日からは黙って水をここに置いておくからね。使い終わったら学校に行く時にまたここに置いといてちょうだい」


「おはようございます。ありがとうございます」


 いつも使用人がしてくれるように、管理人が水の張った入れ物を持ってきてくれた。

 それに礼を言ってもらい、ドアを閉めて顔を洗う。

 顔を拭いつつ、こういったこともクライヴの言う特別扱いというやつなのだろうなと思った。

 水を汲みにいくことも、部屋の清掃だってするつもりできていたのだが。

 まあ慣れるまではしばらく甘えてもいいかもしれないと制服に着替えて、授業に必要なものを鞄に入れているとまたしてもドアが叩かれた。


「おはようパティ。制服、すごく似合ってる。パティはなんでも着こなすね。可愛い」


「おはようございます、フレンティア嬢。この学園の誰よりも、その制服がお似合いです。お美しい人」


「お、おはようございます。クライヴ様、ハイネ様。ありがとうございます」


 気恥ずかしくなる言葉をたくさん耳にした気がするが、そこにはあえて触れないことにした。


「準備どう? 手伝おうか?」


「今鞄に詰めているところですので、もう少しだけお待ちいただけますか?」


「うん」


 慌てて部屋に戻って荷物を詰めていると、背後から二人の会話が聞こえてきた。


「令嬢の部屋に入ろうとするなんて、クライヴ君のすけべ」


「朝から殴られたいらしいな」


「朝じゃなくても嫌でーす。お前そうやってすぐ拳出そうとするのやめろ。野蛮だぞ」


「安心しろ。殴るのはお前だけだ」


「俺が特別ってこと?」


「お前…………朝から疲れさせるのやめろ」


「元気がないよ青年。ファイト」


「…………」


 軽快なテンポでされる会話が耳に入り、笑いながら鞄を持ち部屋を出る。


「お二人は本当に仲がよろしいですね」


「でしょー?」


「よくない……遊ばれてるだけだ」


 だとしてもそんなふうに気軽にやりとりができる存在というのは羨ましいものがある。

 この二人は特に似た境遇でもあるからなのだろうけれど、素敵な友人関係だと思う。

 パトリシアにもなんでも話せる友人ができたらいいのだけれど……。

 二人に連れられて階段を降りると、昨日とは打って変わってたくさんの学生がいた。

 一番下まで降りると、各々待ち合わせでもしているのか一段と人が多い。

 そんな中やってきたクライヴとハイネには、女子生徒からの視線が集まっている。


「ちなみに明日からはここで待ち合わせにしよう。右側は女子寮で左側は男子寮って決まってて、行き来できるのは一階のこの廊下でだけなんだ。まあ基本異性の寮に行くのは禁止されてるけど」


「年頃の男女ですから」


「なるほど。ですが今……」


「それも特別。でも今日の朝だけ」


 特別だから部屋まで迎えにきてくれたらしい。そしてそれは今日だけだと。

 なるほどと納得しつつ、三人で寮を出る。

 その時だ。


「――なにあの女」


 耳に届く声に一瞬そちらへと視線を向ければ、声を発したであろう女性と目が合う。

 気まずげに逸らされることもなく向けられるのは、拒絶の瞳。


「……」


 ここでパトリシアはセシル卿が言っていたことを思い出した。

 この学園の女性とは平民の出が多く、アカデミーに通う男子生徒と関係を持ちたいと。

 まあ確かにそんな人たちなら、クライヴとハイネは素晴らしい逸材となるだろう。

 どちらと逢瀬を重ねても、待っているのは側室という輝かしい未来。

 そんな存在に近づく見知らぬ女は、敵だと思われてもおかしくはない。

 しばらく愛だの恋だのは避けたいところではあるが、たぶん放っておいてはくれないはずだ。

 そう思ったからこその昨日の行動であり、そして今日これから取るべき手段も瞬時に脳内で作り上げた。


「クライヴ様。食事というのは決められているのでしょうか?」


「毎日違うメインの選択肢が三つあって、そこから好きなものを選ぶって感じ。副菜とかは自由だよ。スイーツもある」


「スイーツですか。それは嬉しいです」


「おや、フレンティア嬢は甘いものがお好きで?」


「はい。薔薇の紅茶が好きでして、それに合うスイーツをよく食べています」


「おや、いいですね。俺も紅茶が好きでして、よかったらアヴァロンから取り寄せた薔薇の紅茶など今度一緒にいかがでしょうか?」


「よろしいのですか?」


「もちろん。美しいあなたと飲むお茶は、きっと格別なものでしょうね」


「それはもちろん俺も呼んでくれるんだよな?」


「どうせ誘ってなくてもくるでしょお前は」


 やはり二人の会話は面白いなと思いながらも今一度あちらを見れば、先ほどよりも強い敵対心剥き出しの視線が送られてくる。

 それに朗らかに微笑み返す。


「みなさまごきげんよう」


「――、」


「お食事が楽しみです。お二人とも、参りましょう」


「うん」


「お腹すきましたねぇ」


 くるならこい、そんな思いを込めてした挨拶は果たして彼女たちに伝わったのか。

 それがわかるのは後日のことであった――。

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