学園長は楽しいことが好き

「ようこそ、フレンティア公爵令嬢。まさかお会いすることができるとは思ってもいなかったですよ」


 廊下と同じ木製の作りの部屋の壁には、数えきれないほどの本が飾られていた。

 古いものから新しいものまで言語もさまざまなものが置かれており、これだけで今目の前にいるこの部屋の主がどういう人なのかがわかる。

 彼はきっと知識を得ることに喜びを感じるタイプの人だ。

 白髪の前髪は後ろへと流し、長い髪と共に一つに結っている。

 外見の雰囲気や立ち居振る舞いから、年齢は祖父に近いのだろうと感じた。

 穏やかな笑みを浮かべつつ学園長は手でソファを指し示し、パトリシアに着席を促した。


「お座りください」


「ありがとうございます。失礼いたします」


 対面するように腰を下ろせば、学園長はにっこりと笑う。


「いやはや。我が学園に御令嬢が通う日が来ようとは思ってもいませんでしたよ」


「申し訳ございません。お手数をおかけいたしました」


 中途半端な時期での入学は、他方に迷惑をかけたことだろう。

 深く頭を下げれば、すぐに頭を上げるよう言われた。


「むしろ嬉しいのですよ。知恵は力です。どんな立場の人であろうと、知恵をつけることに無意味なことなどありません。特に女性は」


「……ですが、それは良しとされておりません」


「そうですね。私もそこを変えたいと思っておりました。そんな時にあなた様がいらっしゃったのは、神のお導きなのかもしれませんね。あまり信仰心が高いほうではないのですが」


 茶目っ気たっぷりにウインクされて、つい口端を上げてしまったのは内緒だ。


「あなた様の行動がきっと人に勇気を与え、そして未来を変えていくと私は思います」


「……未来、ですか。私にそんなことができますでしょうか?」


「できるか、ではなくもうできているのです。……奴隷解放の法案可決、そして実行おめでとうございます」


「ありがとうございます。しかしあれは、皇太子殿下のお力によるものです」


「そうですね。その通りです。それが分かった上で我々はするのです。あなたに心からの感謝を」


 パトリシアがこの学園にくるギリギリまでしていたことは、奴隷解放の法案をより具体的にしていくことだった。

 荷造りなどは全てエマに任せっきりで、夜寝る間も惜しんでやったそれは、パトリシアが学園へと向かう一週間前に正式に決議され実行された。

 行く末を見守れないのは少しだけ悲しいが、皇帝陛下や公爵が上手くやってくれるだろうと信じている。


「そのままでいいのです。そのまま突き進まれれば、いつか必ずあなた様の目指す場所が見えてくるでしょう」


「……目指す、場所」


 少し前までならば己の未来は皇后である、と胸を張って言えただろう。

 しかし今は、それができない。

 自由になることを優先していて考えたこともなかった。

 己の将来を。


「……私は、どうなりたいのでしょうか? 未来をどう願うのでしょうか?」


「それを探すためのアカデミーです。人々と交流を重ね、己とは違う思考の人と知識を深め合い、新たな知恵を得ていく場所。ここはきっとあなた様が想像するよりも辛く苦しく、しかしかけがえのない場所となるはずです。私は、そう願います」


 決して楽しいことばかりではないのだろう。

 実際先ほどの件で色々危惧している点もある。

 しかしそんなものが杞憂になってしまうくらい、学園長の言葉は不思議とパトリシアに笑顔をくれた。


「それは……素晴らしい場所ですね。とても楽しみになってきました」


「いいことです。楽しみは人生の娯楽です。人になくてはならないものです。どうぞそれを見つけ、日々を充実させてください」


 キラキラと輝き出した学園長の瞳を見て、クライヴの言っていた言葉を思い出した。


『学園長が好きなのは楽しませてくれる人』


 パトリシアという存在がこの学園に変化をもたらすと思っているのだろう。

 いや、そうしてくれと言っているのだ。


「……」


 なんて面白い人だ。

 文面通りに受け取れば人格者であると思えるのに、その裏に気づくことができれば確かに食えない人である。


「確かに。狭い世界では得られなかった出会いがありそうですね」


「そうですそうです。教師、友人、恋人。未来へと繋がる出会いは必ずここにあります」


「……はい。ありがとうございます」


 楽しもう。これから始まる日々を。

 だってここは、ずっと夢見ていた場所なのだから。


「話が長くなってしまいましたね。こちらをお渡ししておきます。寮のあなた様のお部屋の鍵です。中は公爵家の方が整えられているので大丈夫かと思いますが、なにか至らぬ点があったらおっしゃってください」


「なにからなにまでありがとうございます」


「いえいえ。私も楽しみにしていましたから」


 ひとまずこれにて話は終わりだと鍵を受け取り、学園長に挨拶をして部屋を出る。

 少しだけ緊張していたからだろう。

 無意識に入っていた体の力を抜き、そっとため息をついた。


「パティ」


「クライヴ様、ハイネ様。お待ちになっていたのですか?」


「寮まで案内しないといけないだろ?」


「あ、……そうですね。忘れておりました」


「二人でいろいろ話してたからあっという間だったよ」


「そうそう。貴重なお話を聞けましたよ、本当に」


 ハイネを睨みつけるクライヴの表情的にも、あまりいい話ではなさそうだったので深くは追求しないことにした。

 学園長からもらった鍵をクライヴに渡し、三人で寮の方へと向かう。


「授業に必要なものは部屋にあるはずだから。風呂は男女別の共同があるけど、先生の許可を得られれば個室も使えるよ。食事は学園側が用意してくれてるから、カフェテリアに行けばいい。今日はどうする?」


「想像よりも長旅で疲れてしまいましたので、可能なら早めに休みたいと思ってます」


「了解。なら明日朝迎えにいくね」


「俺もご一緒しても?」


「もちろんです」


 クライヴの視線が一瞬鋭くハイネに刺さったけれど、それを二人で無視することにした。

 学園の建物から出て左側に、学園と同じくらいの大きさの建物がある。

 見た目は学園にそっくりで、実際入った中もつくりは似ていた。

 木造の廊下があり、廊下は左右に分かれている。

 入ってすぐ真っ正面に受付のようなものがあり、そこにはご年配の女性が座っていた。

 クライヴは真っ直ぐその女性の元へと向かう。


「今日から新しく入ることになったフレンティア嬢です」


「おや、クライヴ殿下、ハイネ王子。おつかいご苦労様。なるほど、そちらがフレンティア公爵令嬢かい」


 クライヴが皇子と知りながらも、こんなに気軽に接する人がいるのかと驚いてしまう。

 少なくとも皇室にいるものは、彼にそんな接しかたはしない。

 しかしクライヴはなれた様子で頷くと、そうだと手元にある鍵を見せた。


「パティの部屋ってどこにあります?」


「公爵家の人がたくさん出入りしてたから鍵見なくてもわかるよ。最上階の部屋だ。殿下と王子と同じ、特別仕様だよ」


「入っても?」


「今は学生ほとんどいないからね。お好きにどうぞ」


「どうも。パティ、行こう」


「あ、はい」


 なにがなにやら。

 全くわからぬままクライヴとハイネに連れられて階段を上がっていけば、あっという間に目的地に着いたらしい。

 長く伸びた廊下はまだ外が明るいからか、窓から差し込む光でよく見えた。

 階段を上がってすぐのところに一つと、もう一つ突き当たりのところに一つ扉がある。

 どうやらパトリシアの部屋は一番奥のようで、三人は最上階の廊下を歩いた。


「本来部屋は二人で一つ。しかももっと狭い。寝る場所と机が二つずつあって、小さめなクローゼットが設置されてるくらい。でも最上階は少し作りが違っててね」


 クライヴから返された鍵でドアを開けて中へと入れば、そこは聞いていたものとはかなり違っていた。


「これは……」


「アカデミーには僕らみたいな地位のあるものも通うからね」


 部屋は広々としており、ここがとても寮の部屋だとは思えなかった。

 天蓋付きのベットは扉から一番離れたところに置かれており、そばには大きなクローゼットと磨き上げられた化粧台がある。

 入り口近くにはカーペットが敷かれ、テーブルとふかふかのソファが置かれている。


「三日に一回、学園が雇ってる使用人が入って掃除をしてくれるから安心して。衣類もその時に出せば大丈夫。普段の風呂や着替えは自分でやることになるけど……」


「そこは覚悟して参りました。といいますか、全て己でやるのだと思っていましたので」


「普通はね。……僕らはこんなところでも普通じゃないと示される。厄介だね」


 クライヴはそれだけ言うと、また明日迎えにくると約束してハイネと共に去っていった。

 一人ぽつんと部屋に残されたパトリシアは、とりあえず鍵を閉めてからベットへと腰を据えた。


「……怒涛の一日」


 いや、怒涛だったのはもっと前からかと腕を上げ伸びをした。

 皇太子の婚約者を辞めて、身近な人にそのことを伝える手紙を出し、アカデミーに入る準備をしつつ奴隷解放の件を進める。

 自分でも驚くくらいの激務であったし、できるならもうやりたくはない。


「……」


 ちらりと窓の方を見て差し込む太陽の明るさに心地よさを覚え、近づいて開ける。

 ふわりと長い髪を浮かす優しい風は、今のパトリシアには神風のように感じた。

 暖かくて心地よい。

 さわさわと木々が揺れる音がする。遠くの方から楽しげな生徒たちの声がする。

 その全てが慣れなくて、けれどだからこそ嬉しかった。

 やっと、来れたのだ。


「――頑張ろう」


 これからの日々を。

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