思い通りにはいかないこと

 皇宮の庭園に負けずとも劣らないその場所は、生徒たちの憩いの場となっているのだろう。

 円を書くように花々が咲き誇り、真ん中にはいくつかのテーブルや椅子が置かれている。

 休み時間などはきっと、たくさんの人が訪れるのだろう。

 そんなところに案内されたパトリシアは、礼を言いつつ椅子へと腰を下ろした。


「素敵なところですね」


「一年中花が咲いてますよ。そういったことには疎いので、冬にまで花が咲くとは思わなかったです。姉様あたりがそういったことに興味を持ってくれてたらよかったんですがね」


「クロエ殿下は花々より馬で野をかけるほうがお好きですから」


「ガサツなんです。あれじゃあ嫁のもらい手もないですよ」


 呆れたように肩をすくめ首を振るハイネを、パトリシアは少しだけ悲しげに見つめた。


「……道から外れるのは、とても勇気のいることです」


「道?」


「定められた道、正しい道。それらを踏み外した時、その人の存在価値は否定されます」


「そりゃあ、正しくない道を選んだら不正解なんですから、当たり前では?」


「そうですね。……私が今ここにいることも、不正解ですので」


「――おっと……そういうことか」


 どうやらパトリシアの言いたいことがわかったらしい。

 気まずげに逸らされた瞳は、しかしなにかを思ったのかもう一度こちらへと向けられた。


「フレンティア嬢はなぜ、道を逸れようと思ったのですか? 姉様の話を聞いている限りは、とてもそのような人とは思えなかったのですが」


「おい、変なことを聞くな。パティの気持ちも考えろ」


「大丈夫です、クライヴ様。ありがとうございます」


 心配してくれているのはわかっているので、そこは素直に礼を言った。

 まあ誰もが気になりながらも、なかなか当人に聞くのは憚られるような内容ではあるので仕方がない。

 だが実は、この話をすることにとくに抵抗というものはないのだ。


「ですがなにからお話ししましょうか……?」


「……パティがいいならいいけど。兄上が奴隷の娘に懸想してたのは知ってるな?」


「懸想って……。恋をしたといいなさいよ。じいさんかお前は」


 これは思わず笑ってしまっても致し方ないであろう。


「皇帝陛下の生誕祭でなにがあったんだ?」


「そうですね……。パーティー会場に彼女がきていたんです」


「彼女って……奴隷の? ……おいおい、皇太子はなに考えてんだ」


「ええ、本当に。だから窘めたのですが無意味で。さらには彼女を側室にすると言われたので、ならばと私の方からご縁を切ったんです」


 それはまた……とハイネは眉を寄せる。

 彼もまた王室のあれやこれやを深く理解しているため、いちいち細かいところまで話さなくていいのはとても楽だった。


「そんなに素敵な女性だったのか? なら会ってみたいものだな」


「可愛らしい女性ですよ」


「可愛い? あれが? 自分が弱い立場だとひけらかして庇護を欲し、醜く縋り付く女が?」


「クライヴ、いろいろ剥がれてるから黙ってたほうがいいと思うぞ」


「…………」


 言われた通り黙り込んだので、その自覚はあったらしい。


「じゃあ今はその女が皇太子妃候補ってわけか」


「「…………」」


「……おやぁ?」


 そんな簡単な話だったら、みな苦労せずに済んだだろうに。

 実際のところ詳しくは知らないのだ。その後のことは。

 ただ風の噂で聞いた。

 決して前に進んではいないことを。


「だから馬鹿なんだ、兄上は。自分のことをなに一つわかっちゃいない。どれだけ周りに救われていたかを」


 思い出すのは幼い日のこと。

 皇宮に呼ばれ父と共に皇帝陛下に謁見をしていた時のこと。

 慌てた様子の侍女が入ってきて、いつもの台詞を言う。

 険しい父の顔。考え込む様子の皇帝。

 彼らを置いてパトリシアは走る。向かった先は一つの部屋。

 中は広々とした場所であり、綺麗に整頓されている。

 ぴかぴかと光るほど磨かれた大理石の床。

 壁には部屋の主の肖像画が飾られ、その側には美しい花々が丹精な彫りを施された花瓶に生けられている。

 大人が三人寝転んでもまだ有り余るベッドがふかふかであることも、パトリシアは知っていた。

 ――そう、知っていたのだ。

 それは幼き日々の記憶であり、大人になったパトリシアはさらにその先も知っていた。

 切り刻まれたカーテンやベッド。投げ捨てられたクッションからは真っ白な羽が舞い、ゆっくりと汚れた床へと落ちていく。

 花々は手折られ水と共に流れ、花瓶は見る影もなく粉々になっていた。

 それらは全て、たった一人の男の子がやったことだった。


「忠告はしたんだけどね。あれがどれほど努力をしようとも、皇后にはなれないよ。それは血筋どうこうもあるけれど、それ以前の問題だ」


「なるほど、黙ってられないのね」


「無理」


「どこの国も大変そうだなぁ……」


 ハイネが心底疲れたような顔をして上を向いた時、腹の底を響かせるような大きく低い鐘の音が響き渡った。


「おっと、授業が終わったみたいだ」


「休み時間中に案内は面倒なことになりそうだし、今から学園長に会いにいこうか」


「はい」


 二人に連れられて建物の方へと向かう。

 授業終わりの生徒たちだろう。制服を身に纏ったものたちがずらずらと外へと出てきていた。

 その姿を見て、そういえばと前の二人へと視線を向ける。

 彼らは制服を着ていない。いや、正確には制服をリメイクしているように見える。


「……」


 家で確認したパトリシアの制服は、今近くを通った女生徒と全く同じだったため、そこもまた男女の差なのかもしれないと思う。

 もう一度制服を確認しようと顔を横に向ければ、あちらこちらと視線が合った。

 見られている。


「……クライヴ様。学園長とはどのような方なのでしょうか?」


「んー……。食えない人だけど、悪い人じゃない。でもいい人でもない。たぶん人が好きだと思ってるだろうけど、本当に学園長が好きなのは自分を楽しませてくれる人、だと思うよ」


「…………独創的な方なのはなんとなく想像つきました」


「パティなら大丈夫だよ。曲者揃いの社交界でうまく立ち回ってたし」


「うちの姉様とも友人関係築けてるんですから、絶対大丈夫ですよ」


「ありがとうございます」


 学園長の人となりに若干の不安を感じつつも、それよりも今はともう一度横を見た。


「……」


 少なくとも好意的なものではないらしい。

 二人と話をしてからもっと濃くなった視線は、様々なことを教えてくれる。

 わかってはいたことだが、どうやらこの二人はモテるらしい。

 ……面倒だ。

 と一瞬思ったけれど頭を振ってその考えを消す。

 パトリシアが面倒だからと見て見ないふりをしても、周りは勝手に騒ぎ立て火を大きくするのだ。

 だからここでの正解は一つ。

 ちらりと横を見て、嫉妬の視線を向けてくる人たちに向けてただ微笑む。

 それだけでいい。

 預かり知らぬところで火を大きくされるくらいなら、自ら燃料を注いで管理した方がよほど楽だ。

 案の定彼らを好きな人たちからの視線は濃く深く重くなったけれど、知ったことではない。

 好き勝手生きるのだと決めた時から、我慢はしないと決めたのだから。

 

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