面倒ごとに片足を突っ込む
「ようこそ、アカデミーへ」
大きな学園は、広々としていて自然も豊かで……。
そこは、理想としていた場所だった。
赤煉瓦の建物は古くも厳かな雰囲気があり、苔のついた部分ですらアートのように美しい。
地面は綺麗に整頓され、左右には青く生い茂る芝生がある。
自然と人の手、古さと新しさが混在するその場所を、パトリシアは一目見て気に入った。
「本当は学園長自ら出迎えにって話だったんだけど、騒がしくされるの嫌だろう? だから代わりに僕が迎えにきたんだ。無事に着いてよかった、パティ」
「ありがとうございます。クライヴ様」
アカデミーについてはじめて会ったのは、クライヴであった。
彼は一人の男性と共に出迎えてくれたようだが、どうもこの男性見覚えがある気がする。
「……そちらの男性は?」
「はじめまして、白百合の乙女。ハイネ・アヴァロンです。姉がお世話になってます」
「――これは、王太子殿下にご挨拶を」
「そんなにかしこまらないでください。美しい人とは親しくなりたいと思っておりますので」
「あら、そういうことでしたらご遠慮いたします。私はそういった親しみを望んでおりませんので」
「おっとお強い」
百合の乙女、自分をそう呼ぶ人を知っている。
アヴァロン王国の王女、クロエ・アヴァロンだ。彼はその弟にして王位継承権第一位、ハイネ王太子。
会ったことはないが噂は耳にしていたため、すぐにその為人を理解することができた。
彼は人たらしで女たらしの、クロエとは別の意味での困った人物だ。
そんな彼がどうやらクライヴと友人らしい。
ちょっといろいろ大丈夫なのかと心配してしまいそうになる。
特に女性関係とか。
「パティにお前の顔面は効かないし、胡散臭いやつには近づかないようにしてるから仲良くなんてできないよ」
「…………違和感バリバリだけどあえて突っ込まないでいてやってるからな? 俺って優しいし」
「…………チッ」
クライヴの舌打ちなんて久しぶりに聞いたなと、ちょっとだけ驚いた顔で彼のことを見れば、それに気づいたのか慌てた様子で手を振って誤魔化そうとしてきた。
「パティ! 学園を案内するよ。ついてきて」
「はい。お願いします」
どうも彼は隠しているつもりらしいが、幼い頃からの様子を知っている身からすれば、今こちらに見せている顔のほうがおかしいことなんてすぐに気づけた。
けれどそこを指摘するような無粋な真似はもちろんしない。
彼ももう、子供ではないのだから。
「まずは学園長に挨拶に行こう。今日は校内と寮の案内で終わるだろうから」
「今ちょうど授業中だから静かでいいよなぁ……。なあ、やっぱり先に案内しないか? 休み時間はうるさくてかなわない」
「……まあ、それは確かに」
「私はクライヴ様のご決断に従います」
「そう? ……なら、先に案内しよう」
自然に差し伸べられた手に、自分も自然と手を差し出した。
前までなら少しだけ躊躇したけれど、今はもうその心配もない。
「あっちに庭園があるんだ。パティが好きそうな花がたくさん咲いているよ」
「お、さすがは白百合の乙女と呼ばれる人だ。しかしあなたの前では花も霞んでしまうのでしょうね」
「……その、白百合の乙女とはクロエ王女殿下が勝手に呼んでいるだけでして。私には似合わないかと」
「そんなことはないと思いますが……まあ、あなたには白百合よりも華やかな薔薇が似合いそうですが」
「パティは薔薇であり白百合であり、その他全ての花のように綺麗でかわいいよ」
「おやめください。お願いします、本当に……」
アカデミーでもそんなことをいわれると、今後どのような対応をすればいいかわからない。
ただでさえ先の一件でいろいろな噂されているというのに、ここでも燃料を入れるのは避けたいところである。
「はいはい、お前が夢中なのはわかったから。それよりどうせなら庭園に行ってみよう。授業終わったら騒がしいし」
「パティが迷ったらどうするんだ。先に校内を案内したほうがいいだろ」
「どうせ明日も俺たちがついてるんだし、なら今は少し息抜きしてもいいんじゃないか?」
「…………珍しくまともな意見だな」
「はいはいお褒めいただきありがとうございます」
どうやらこの二人、本当に仲がいいらしい。
クライヴがこんなに砕けた様子で接しているのは久しぶりに見える。
皇宮ではいつどこで誰がみているかわからないからか、常に気を張っていた。
だからこそ、気楽そうなクライヴの姿を見れてとても嬉しく思える。
同年代の友人というのは羨ましいなと、二人の姿を見つめていると前から制服姿の男女が歩いてきた。
「――…………どうも」
「…………どうも」
男性の方は背が高く、すらりとした容姿の人だ。
すっきりとした目元は清潔な印象を持つが、同時に少しだけ冷たさも感じる。
そんな人がクライヴとハイネを見て軽く眉を顰めつつも、軽く挨拶を交わしてきた。
今の一瞬でもこの二人が良好な関係を築いていないことはわかる。
「授業中になにをしている?」
「その言葉そのまま返しますが?」
「……私はレッドクローバーのトップとして仕事をしていただけだが」
「こっちも学園長からの依頼で新入生の案内してただけですが?」
「――新入生?」
そこで初めて視線が逸れて、パトリシアへと向けられ目と目があう。
流石にこの状況でなにもしないわけにはいかないと一歩前に出ると、簡単に自己紹介をした。
「はじめまして。パトリシア・ヴァン・フレンティアと申します。本日よりこの学園で学ばせていただきます。よろしくお願いします」
「――……」
軽く頭を下げて礼を執る。
向こうもすぐに返してくるだろうとそのまま待ってみるが、いつまで経っても返事がこない。
おかしいなと顔を上げれば、目の前の男性は少しだけ目を見開きながら固まっていた。
なにかおかしなことをしただろうかと小首をかしげると、男の方はハッとしたのか一度大きく咳払いをする。
「……失礼。私はこの学園で生徒たちをまとめる役割を担う、レッドクローバーに所属しているシグルド・エヴァンスです」
「ちなみにアヴァロン国伯爵家の子息」
ちらりと隣からハイネが助言してくれたおかげで、相手のことをすぐに知ることができた。
なるほど隣国の貴族なら、パトリシアを知らなくてもおかしくはない。
「シグルド。こちらはローレラン帝国の公爵令嬢だ。失礼のないように」
「――、公爵令嬢が、なぜ……?」
やはりそこが気になるのか。
驚いた顔で見てくる彼は、たぶんこの世界で生きる人の普通の感覚なのだろう。
どう説明したものかも困った笑みを浮かべると、そんなパトリシアを庇うようにクライヴが一歩前に出た。
「パティはこの学園に学びにきたんだ。我々以上に」
「…………学び? …………そう、か」
「……今日からよろしくお願いします」
女性が勉学を学ぶということは本当に難しい。
大体の人が一瞬なりとも怪訝そうな顔を見せる。
今思えば、パトリシアが学びたいと言ったとき、無条件に否定しないでくれた両親に感謝しかない。
「なにかわからないことがあったら聞いてください」
「ありがとうございます」
「ご心配なく。パティには僕がついてますから」
「………………」
「………………」
なにやら不穏な空気が流れている気がしたが、あまり関わり合いにならないほうがよさそうだと瞬時に理解し、ただ微笑みだけを浮かべた。
触らぬ神になんとやら、だ。
「……好きにしろ。では私はこれで」
「お疲れ様です」
「じゃーなー」
通り過ぎる一瞬、シグルドと視線が合う。
季節外れの転入生。帝国の公爵令嬢。
確実に面倒ごとの香りがするパトリシアに、どういった印象を持ったのかは定かではないが。
――先手必勝。
「よろしくお願いいたします。なにとぞ」
「――、」
見開かれた大きな瞳は、パトリシアの考えが通じたことを理解した。
それだけでもうじゅうぶんだと視線も前へ戻そうとして、別の色を見つける。
それは拒絶。
パトリシアという存在を否定するようなその色は、なんだか見覚えのあるものに感じた。
「――……クライヴ様」
「なに?」
シグルドがいなくなって気分がよくなったのか、はたまたパトリシアに呼ばれて嬉しいからかはわからないが、向けられた笑みは甘く優しいものであった。
「エヴァンス様の後ろにいた方……どちら様でしょう?」
「後ろ……? なんかいた?」
「いたよ。マリー嬢がいただろ」
呆れたように返したハイネと同じような顔をしてしまう。
どうやらクライヴは一切の興味を持っていないようなので、ハイネへと質問を投げかけた。
「マリー様?」
「マリー・エンバーああ、様なんてつける必要はないですよ。シグルドの乳母の娘なんで。性格は……なんというか…………俺と似てます」
「ハイネ様と? それはどういう……」
そこまで聞いて瞬時に己の頭の中で理解した。
彼は人たらしで女たらし。そして数多の女性を虜にしてきた人だ。
先ほどの視線でおおよその判断はついていたので、彼の言葉で決定づけることができた。
「いえ。わかりましたのでやはり結構です」
「さすがは帝国の社交界に出ていただけはありますね。皇太子殿下の婚約者なんて、そこら辺の話は腐るほどあったでしょう」
そう、その通り。女の陰謀渦巻く社交界で生き抜いてきたパトリシアに、そのことが読み取れないわけがないのだ。
そしてそれは彼らも同じ。
「彼女はエバンス様のことがお好きなのですね」
だからパトリシアに鋭い視線を送ってきたのだ。
あの目には嫌というほど覚えがある。社交界で年若い女性たちから向けられたのは、だいたい同じようなものだったから。
「いえ、シグルドだけじゃないですよ。基本目立つやつは大体彼女の虜でね」
桃色の美しい髪と、同色の瞳を持つ愛らしい女性を思い出す。
見た目はか弱く守ってあげたくなるような容姿だが、見た目と中身は違うのだということを理解していた。
だからこそ思う。あの瞳の意味を。
「……どうやら面倒ごとに足を突っ込んでしまった可能性がありますね」
しばらく色恋はこりごりだと思っていたのだが、どうやらそうはいかないらしい。
年若い男女が一つ屋根の下共にしていれば、さまざまな問題が起こるだろう。
やっと自由な身になれたというのに、ここでもまた似たような経験をするのだろうか。
「……まあ、それならそれで対処しますが」
そう、そういったことに関してならばパトリシアはある意味百戦錬磨の強者なのだ。
下手を打つつもりはない。なぜなら今から彼女はここで、人生を謳歌しなくてはならないのだから。
「邪魔はさせません」
全てを吹っ切った女は強いのだと、大空を羽ばたく鳥を見ながら思う。
口元には、力強い笑みを浮かべて――。
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