ある皇子と王子の話

 アカデミーとは、勉学に励む者たちの学びの場所である。

 そう伝えられたのは間違いだったのかとため息をつく。


「……あの! クライヴ様……よろしければ、こちらをっ」


 そういって手渡されたのは彼女が刺繍したのであろうハンカチだ。

 確かに貴族ともなれば刺繍などが淑女の嗜みとして好まれるが、クライヴからしてみれば別にどうだっていいことだった。

 できないならできないで、どうせ令嬢たちも自分の家の器用な侍女にやらせているのだから。

 いつもならいらないと断りを入れるところだが、学園内ではあまり問題を起こしたくない。

 しかも今は特に。


「…………ありがとうございます」


「――っ!」


 顔を真っ赤にして去っていった少女の後ろ姿を見つめながらクライヴは、はっとため息をつく。

 めんどくさげに手にあるハンカチを見つめていると、その肩を気軽に叩いてくる存在がいた。


「クライヴはモテるねぇ。でももう少し嬉しそうな顔をしなよ。人気があるのは素晴らしいことだぞ。特に、女性からはね」


 そう口にするのは隣国アヴァロンの王太子、ハイネ・アヴァロンだ。

 はちみつ色に輝く美しい瞳に同色の髪を持ち、柔和に微笑む様はまさに少女が求める王子様というものなのだろう。

 目元のほくろが色っぽくて好き、なんて口にしてる女子たちもいたくらいだ。

 だがしかし、そんな理想の存在であろうとも同じ男からすると胡散臭さが勝っていると思ってしまう。

 関わりたくはないけれど、この学園で数少ない【本当】のクライヴを知る人物であるため、あまり無碍にもできない。

 仮にも隣の国の王族でもあるし。

 というわけで勤めて冷静に、そして冷たくつけ離した。


「そんなのどうでもいい。お前にやる」


「いやいや! 自分でもらうのがいいんだろ。恋に恋するのもいいけれど、恋に恋されるのも素敵なものだから親友にも経験してほしいんだよ」


「心底どうでもいい」


 ハンカチは受け取ってくれないようなので、あとでゴミ箱にでも捨てることにした。

 ひとまずポケットにしまいつつ、ちらりと大時計を視界に入れる。

 ――まだ、少し早い。


「おっとっと。親友クライヴは今日は俺に構う時間はないようだな」


「ない。微塵もない。俺はこれからずっと忙しい」


「噂には聞いてたんだよなぁ。フレンティア公爵令嬢、俺の姉様とも仲がいいから。あんなのと仲良くなれるなんて凄い人だよ、ほんと」


「……会ったことないのか? 何度かアヴァロンに行ってるはずだが」


「ない。なーぜか彼女がくる時俺には用事が入るんだ」


 ああ、と思わず納得して鼻を鳴らしてしまう。

 その時彼女は皇太子の婚約者だった。そんな人に自国の王子が言い寄りでもしたら、せっかく平和になった国同士がまた戦争しかねない。

 この男を知る自分から見ても、その選択は正しかったと思う。


「しかし御令嬢がアカデミーなんて通って……婚期逃してもいいのかねぇ? もしかして婚約破棄になって自暴自棄になってるとか?」


「彼女を馬鹿にするつもりならお前とは二度と口きかないが?」


「違う違う! 純粋な疑問!」


「………………」


 まあ、普通の令嬢ならこんなところに通ったりはしない。

 蝶よ花よと育てられて、年頃になればパーティーに出始め、家の決めた相手と婚約をし、花嫁修行をして結婚したらその家を守る。

 ある程度の勉強は必要だが、学校に通うほどのものでもない。

 それにここに通っていては、確かに婚期を逃すことになるかもしれない。

 この国の男たちは頭のいい女性を好まない傾向があるからだ。


「公爵家令嬢なら、たとえ皇太子に捨てられてももらい手はあるんじゃないか?」


「……………………捨てられてない」


「ん?」


「彼女から捨てたんだ。地位も名誉も、くだらない男も、な」


 本当にくだらなくて愚かな男だ、と我兄ながら笑ってしまう。

 自尊心が高いことは知っていた。側室の息子というだけで嫡男であるのに常に下に見られ、その母親は息子を皇太子にするためにありとあらゆる手段をとる。

 その様子は目も当てられないほどで、幼いころのクライヴは恐怖を感じたほどだ。

 そんな幼少期を過ごしたからこそ、自分よりも優れた存在であるパトリシアがどこかで許せないのだろう。

 だからこそ己よりも弱い存在に依存し始めた。

 その結果が今だ。泣いて、叫いて、暴れて。

 気づいた時には全て失ってる。


「……ざまあみろ、だな」


「わっるい顔してる」


「わっるいこと考えてるからな」


「ふーん。……うちも大変だけどそっちも大変そうだよなぁ」


「どこも似たようなものだろ」


 腹違いの兄弟というのはなかなかに厄介だ。

 感覚的には近いものを持っている二人は、やはり気が合うのだろう。

 だからこそ思う。


「パティに近づいたらお前とは二度と口をきかないからな」


「近づくな、ってのは無理だし好きになるなってのも無理なんじゃない? 己の感情を制御できたら、こんな世界になってないよ。俺もお前も困ってないだろうし」


「…………正論ぶちかますのやめろ」


「あっはは」


 ちらりと、もう一度時計を見る。

 もうそろそろだ。

「俺は行く」


「俺も行く。はじめて会えるんだ、白百合の乙女」

「――なんだそれ」


「あれ、知らない? フレンティア嬢のこと、白百合の乙女って呼んでるんだよ。うちの姉様が」


「…………お前も苦労してるんだな」


「やっとわかったか、うちの姉様の自由奔放さ加減」


 なんとなく同情はしつつも、どうでもいいやと足を進める。

 今日、このアカデミーに彼女がやってくる。

 あの日の事件を乗り越えた彼女と会うのは、これがはじめてだ。

 笑っているだろうか。不安に怯えていないだろうか。


「――、いや」


 それはない。彼女のことだからきっと、どんな困難も乗り越えていくのだろう。

 今はあの、花のような笑顔を浮かべていることだろう。


「とりあえず俺のことは紹介してくれよ?」


「要注意人物としてならな」


「えー」


 学園の入り口まで向かい、これから彼女をお出迎えしなくては。


「やっと会える、パティ」


 あの日の約束を、忘れてはいないから。

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