第15話

「……喧嘩? アレックス様とクライヴ様が?」


「はい……」


 あの件から二日後。パトリシアの耳になにやら物騒な話題が入ってきた。

 それは昨日、皇宮内で起こった出来事だ。

 たくさんの使用人や騎士たちが見ていたらしく、噂は瞬く間に広がっていった。

 それは二人が言い合いをし、あわや殴り合いにまで発展しかけたというものだ。


「なぜそんなことを……」


「話を聞いていたものによると、どうやら例の奴隷の件らしいです」


「……ミーアさんのこと? それって」


「ことのはじまりはわからないらしいのですが、どうも彼女の処遇についてみたいで……」


「…………そう」


 それはつまり、この間の話に関係しているのだろう。

 パトリシアが彼女に話したあれこれをアレックスが聞いたのか、はたまたクライヴから聞いたのか。

 どちらにしろアレックスがあのことで怒りを露わにし、二人は喧嘩になったのだろう。


「必ず問題が起こるのね……」


「……そうですね。特に今回はお二人が喧嘩をなさったということで、皇宮内でも少し不穏な空気になっているらしいです」


「不穏? ……なにがあったの」


「じつは……」


 ことの次第はこうらしい。

 皇宮の廊下にて対面した際、クライヴからこの間の話をしたらしい。

 ざっくりとした内容ではあったけれど、アレックスにとっては寝耳に水だったのだろう。

 それになにより、よりにもよってその話をしてくる相手が相手だ。

 相当頭にきたに違いない。

 殴り合いの喧嘩になりそうなところを、お互いの補佐や騎士たちが止めに入ったことでことなきを得たようだ。

 だが皇子同士の喧嘩が、皇帝の耳に入らないわけがない。

 今回のことでミーアとアレックスのことが明るみに出たはずだ。

 奴隷の娘と皇太子の愛。それは瞬く間に広まるだろう。禁断のスキャンダルとして。

 問題はどっちの意味でとられるか、だ。

 未来の決まった相手がいる皇太子の不義ととるか、はたまた身分差を超えた愛のストーリーとなるか。

 それ次第で皇族の見え方は大きく変わってくるだろう。

 皇帝の気にするところはそこであり、どちらになるかで今後の動きも大きく変わるはずだ。

 そしてそれはパトリシアも、だ。

 どちらに動こうとも、被害を受けることは間違いない。

 前者ならば捨てられたかわいそうな女性。後者ならば二人を邪魔する悪女。

 どうなろうともパトリシアの評価は下がるだろう。


「…………最悪ね」


 とくに最悪なのは、どうすることもできないということだ。

 この後の展開は全て他人任せになってしまう。

 人々がどう思うかで、己の今後が左右されてしまうなんて。


「怖いわね」


「お嬢様?」


「……なんでもないわ。それよりそろそろ皇帝陛下の生誕祭があるはずだけれど、ドレスをお願いしたいの」


「かしこまりました。シャルモンに流行のものをお願いする形でよろしいですか?」


「そうね……」


 今の流行は淡く薄めのパステルカラーの生地を何枚も重ね、下にボリュームを持たせるタイプだったはずだ。

 だがそれは、目や鼻といったパーツがはっきりとしているパトリシアにはあまり似合うものではない。

 しかし流行をまるっと無視するというのは、流石によろしくはない。

 一応これでも皇太子妃候補として、その行動や服装、メイクに至るまで人々の視線が向けられているのだから。

 ドレイク夫人ほどではないとはいえ、流行を作ることもあるのだ。

 だからこそ、取り入れつつ己を魅せていかなくては。


「あえて淡い色ではなく、濃い色で生地を重ねて作らせて。下にボリュームを出させる作りはそのままで、あとはお任せするわ。シャルモンなら、私に似合うものを作ってくれるだろうから」


「かしこまりました。シャルモンにはそう話を伝えておきます」


「よろしくね」


 エマが今のことを伝えるべく下がり、部屋にはパトリシア一人になった。

 紅茶を飲んで一息つきつつも、手元にはたくさんの書類が置かれている。

 それらは全て、奴隷解放の件についてのものだ。

 奴隷たちの数を把握し、衣食住を揃えた場合の金額を提示。さらには国境付近の村への送迎費や、その間にかかるであろうお金諸々。

 少なくとも、これを簡単に飲み込めるほどこの国は豊かではない。

 ここから割けるところは割いて、少しでも金額を安くしなければ国の財政が滞ってしまう。

 このことで国民たちに増税などさせられるわけもなく、とにかく目安としていた金額にまで落とさなくては。


「と、なると削るところは……」


 最近夢見が悪いか、どうも眠りにつくのが遅くなっている。

 こういった仕事もあるからありがたいのだが、だが睡眠不足はいただけない。

 パフォーマンスが下がってしまうのは重々理解してはいるが、だからといって簡単に解決できる問題でもない。

 本来ならこれは、奴隷解放の提案者であるアレックスがやることだ。

 側近に任せるなりしてもいいものだが、それをパトリシアがやっている。

 そこに不満は一切ない。己の知恵を発揮できる機会は、多ければ多いだけ嬉しい。

 現在の物価に合わせた人件費を換算し、提示。そこでの交渉術も必要になる。

 知らない人と話すことは知恵の開拓であり、新たな発見をすることは生きる喜びであると思っている。

 だからこそ、そこに文句はないのだが……。


「…………文句、か」


 そんなものを言ったことはない。物心ついた時から決まっていた運命に逆らうようなことを、したこともないししようと思ったこともない。

 そうすることが己のすべきことなのだと理解してきたから。

 けれど今さらになって思う。

 もし己のしたいことをできる世界だったら。

 己の心を優先できる世界だったら……。

 パトリシアはどうするのだろうか。


「……私は、どうしたいのかしら」


 自由とはなんなのだろうか。

 己とは一体、なんなのだろうか。

 それはいくら考えても、この頭は答えを出してはくれなかった。

 

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