第14話

「ミーアさんを呼んでください」


「かしこまりました」


 侍女長にそう伝えれば、彼女はなにも言わずミーアを探しに行った。

 きっと噂は耳にしていたのだろう。むしろ近しい存在でもあるからこそ、いろいろ見ているのかもしれない。

 パトリシアが呼び出したことはあっという間に広まって、そのうちアレックスも知ることとなるだろう。

 そうなった時向こうがどう出てくるか。

 頭の痛い話である。


「パティ? こんなところでどうしたの?」


「クライヴ殿下……お久しぶりでございます」


「うん」


 アカデミーに行っているはずのクライヴが皇宮にいるなんて珍しい。

 彼がやってきた方角からして、皇后と話をしたのだろう。


「皇后陛下はお元気でしょうか?」


「少し悩み事があったみたい。愚痴に付き合ったんだけど……来てよかった。パティに会えたから」


「またそのようなことを」


「だって本当だから。……大丈夫?」


 なにがだ、なんてそんな馬鹿なことを聞いたりしない。

 皇后の元に行ったのなら、今起こっていることも聞いたのだろう。

 そうでなくともこんなに噂されているのだから、遅かれ早かれ聞かれてはいたはずだ。


「……大丈夫、なのでしょうか? 上手く言葉にできなくて……申し訳ございません」


 自分自身でももうよくわかっていないのだ。

 大丈夫かと問われれば大丈夫だと笑顔で返したいのに。

 それがうまくできていないことには気づいている。

 気づいている上でどうすることもできないのだ。


「私は、どうするのが正解なのでしょうか?」


 実は今からすることにも、自信があるわけではないのだ。

 本当ならミーアとも、会いたくはない。自分の嫌な部分が見えてしまうようで、いい気分にはならないからだ。

 だがそうもいってられないからこの場にいる。

 それは、パトリシアにとっては苦痛だった。

 だからもし叶うならば、これで最後にしたい。彼女にとって、今のこの状況はよくないことなのだと理解してほしいのだ。

 思わず大きくついてしまったため息を聞いて、クライヴはパトリシアの手を握った。


「大丈夫。たとえパティが答えを間違えたとしても、それでいいんだ。君が出した答えだということに意味があるんだから」


「…………私が人を傷つけても、ですか?」


「人は誰しも人を傷つけるよ。でもまあ……そうだね。たとえ君が誰かを傷つけたとしても、だよ。なにがあってもパティの味方だ」


「――ありがとう、ございます」


 こんなに勇気づけられる言葉をもらえるなんて思ってもいなかった。

 なにがあっても味方だなんて、そんなの耳障りのいいだけのものかもしれない。

 だとしても今、それを伝えてくれたという現実が嬉しかった。


「パトリシア様」


「……ありがとう。ご苦労様」


 侍女長の後ろには、困惑した顔のミーアがいる。なぜ呼ばれたのかわかっていないのだろう。


「侍女長はお下がりなさい」


「かしこまりました。失礼いたします、クライヴ殿下、パトリシア様」


 去る侍女長の背中を見送った後、ちらりと隣にいるクライヴへと視線を送った。

 ここからは二人で話す方がいいだろうと思い、そんな気持ちを視線に込める。

 勘のいい彼なら気づくはずだと向けたそれに、なぜか笑みだけを返してきた。


「……お話があるの」


「…………はい。なんでしょうか?」


 どうやら気付いた上で退く気はないらしい。

 彼のことだからパトリシアを気遣ってのことなのだろう。

 まあ実際二人きりもそれはそれでいい気分ではないので、ありがたく甘えることにした。

 とにかく彼女が今後どうしたいのか、それを聞き出さなくてはならない。

 本当にアレックスのいうように、地位を求めてはいないのか。

 そこだけは、確認しなくては。

 たとえこの質問をすることがどれほど失礼に当たろうとも、この認識の齟齬は見過ごすことはできない。

 それはパトリシアやアレックス、そしてミーアのためてもある。

 心を鬼にしなくては。

 ぎゅっと両手を握り締めると、ゆっくりと口を開いた。


「あなたの今後についてです」


「今後……?」


「あなたがアレックス様の側室になることはありません」


「――…………」


 大きく見開かれた瞳が、彼女の心の内を曝け出していた。

 やはりミーアとアレックスでは、考え方が違っていたようだ。

 やはり話しておいてよかったのだと安心したのも束の間、目の前の人は目元に涙を浮かべてこちらを睨みつけてきた。


「なんで……そんなこと……っ」


 あなたに言われなくてはならないのだ。

 表情でわかってしまった。彼女が今なにを思っているか。


「アレックス様は側室をとることは致しません」


「……」


「あなたがそうなることを望んでいるのなら、早々に諦めてください」


「…………ひどすぎます……こんな、こと……。私はただ、アレックスと共にいたいだけなのにっ」


「一緒にいたいだけなら別に傷つくことじゃないよね?」


 涙を浮かべたミーアに、痺れを切らしたらしいクライヴが声をかけた。

 まさか話に参加してくるだなんて思ってもいなくて、思わずぎょっと彼のことを見てしてまう。


「本当は望んでるんだ。側室に……いや、皇太子妃かな? でも無理だよ。奇跡でも起きない限り、君が皇族に入ることはない」


「……そんなのっ」


「ないよ。たとえ君が側室となって兄上との間に子供ができて、その子供が男の子だったとしても、その子が皇位につくことはない。君の子供より僕の子供の方が皇位継承権が高くなるはずだからね。血筋って、君が思ってるよりこの国ではずっと大切なんだよ」


 確かにその通りだ。たとえもし仮に、パトリシアとアレックスの間に子供ができず、ミーアとの間に子供ができたとしよう。

 たとえそれが男の子であろうとも、その子供は王族という扱いは受けない。

 それこそクライヴにも子供ができなかったら話は違うかもしれないが、しかしそうなった場合でも遠縁の皇族から次代の皇帝が選ばれるはずだ。

 それほどまでに血筋とは大切なのである。


「ま、そもそも兄上は君との間に子供を作ることはしないと思うけどね。僕という存在を恐れているのに、同じ轍を踏むことはしないだろうし」


 そう。彼が側室をとらないのはそこが理由だろう。

 もちろん傷つき壊れていく己の母の姿を見ていたから、そんな人をこれ以上増やしたくないという思いもあるのだろうが。


「いやぁ、矛盾してると思うよ。兄上の考えかた。だってそれじゃ、期待させられた方はどうすればいいの? ってなるじゃん。愛されてるのに、一緒にいられないの? って。……パティは優しいから、だから言ってるんだよ。今ならまだ、心の傷だけで終わるから。わかる? 終わるなら今、だよ」


「…………」


 ひどい言い方だろう。彼女もある意味被害者ではあるのだ。でもだからこそ、これ以上傷つかないためにも身を引くべきなのだ。

 クライヴの言葉は突き放す言葉ではあるが、その中には優しさもあった。

 パトリシアでは上手く伝えられないことを、きちんと言葉にして相手に伝える。厳しくも優しい人。

 そんなところが羨ましくて、尊敬できて、少しだけ、好きな人。


「…………ひどいです」


「え?」


「ひどいです。あなたたちはそうやって、アレックス様のことを決めつけてきたんですね。彼がどんなことを考えて、どんなことを感じているのか、聞きもしないで……っ」


 なんの話だ。パトリシアはむしろ、アレックスの意見を聞いて彼女に忠告をしに来たというのに。


「アレックス様はお優しい方です。たとえそう遠くない未来、お二人がご結婚されても私のことを捨てたりしません。それなのにそんなことを……よりにもよってパトリシア様が言うなんてひどすぎます!」


 彼女は人の話を聞いていないのだろうか。

 彼の意思や意見は、正直今は必要ないのだと伝えたはずだ。この国の皇族は血筋を重んじるのだと。

 アレックスの母親ですら薄くとも皇族の血が入っている。

 今でこそ家の力は弱く落ちぶれてしまってはいるが、それでもそのことがあったから側室という立場になれたのだ。

 だからいくら二人の間に愛情があろうとも、その先に未来はないと伝えたはずなのに。


「……すごいな。呆れてものも言えない。兄上はなぜこんな……」


 呆れ果ててしまったクライヴをよそに、ミーアはさらに声を張り上げた。


「お二人がお幸せなら、私はどれほど辛くとも影からアレックス様をお支えしようと思ったのに。こんな……」


「パティ、もう無駄だ。これはなにを言っても話を聞かないよ。自分が一番可哀想で可愛いんだよ。そういうやつは酔いに身を任せてるから、こちらの話は聞かないよ」


「…………そのようですね」


 クライヴに手を引かれて、パトリシアはその場を後にする。

 ここまできたら、確かになにを言っても無駄なようだ。

 忠告はした。あとどうするかは、彼女自身が決めればいいことだ。パトリシアの責任ではない。


「……諦めません。私は、絶対――」


 彼女が後ろからなにかを叫んでいたけれど、聞かないことにする。

 もうこれで終わりだ。彼女話をするのもこれで最後のはずだ。

 あとはパトリシアが我慢すればいい。そうすればいつかきっと……。

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