第7話

 話し合いは滞りなく行われた。事前にパトリシアがまとめていた資料を元に、アレックスが上手く進めていったのだ。

 皇帝も満足そうにしていたし、これでよかったのだろうと今では思っている。

 皇帝は後継者であるアレックスのことを気にしていたから。


「よくはありませんっ! それは、お嬢様の力を横から奪っただけで決して皇太子殿下のものではありません!」


「エマ。滅多なことを言うんじゃありません。全ては皇太子殿下のお力なのです」


「でも……」


 乳母の娘でパトリシア付きの侍女であるエマは、アレックスに渡した書類をまとめるのにどれほど時間がかかったか知っているからか、納得していない顔をしている。

 皇帝からも皇太子を支えてくれと言われているし、自分よりも彼が前に立ってくれる方がいいのだ。

 彼が表に出てパトリシアが裏から支える。それが理想的な立ち位置なのだ。


「お嬢様は謙遜しすぎです。今までのことだって……全てお嬢様のお力なのに」


「そんなことはないわ」


 エマが明らかに不機嫌だとわかる表情をしていると、部屋のドアをノックして他の侍女が入ってくる。

 彼女はパトリシアに手紙を渡すとすぐに出ていった。


「どこからですか?」


「アヴァロン国からね」


 隣国アヴァロン。一時は険悪な雰囲気を出していたのだが、現在は良好な関係となっている。

 そんな国から、私的に送られてきた手紙。

 蝋付された封を切り中を確認すれば、そこには懐かしい友の字が綴られていた。


『愛しの白百合、パトリシアへ

 元気だろうか?

 君に会えない日々は退屈で、僕の目には世界が色褪せて見える。

 君に会いたい。

 ただその一心で毎日つまらない勉強を頑張っているよ。

 いい子にしてたら、お父様がローレランに行くことを許してくれるかもしれないだろう?

 君の日々は健やかだろうか?

 また会えることを祈って。

 K』


「ふふ。全く……変わらないわね」


 手紙を元に戻しエマへと渡せば、彼女は慣れた様子で部屋に飾られている美しい箱の中へと入れた。

 中には同じような手紙が何十枚と大切に保存されている。


「クロエ王女殿下も懲りませんね。お嬢様へのお手紙はまるでラブレターです」


「からかっておいでのよ。私がそういったことに疎いから」


 旧知の中とはいえ相手は他国の王女だ。早めに返事を書いておいて損はないだろう。

 エマにお願いしてレターセットを用意してもらおうとした時だ。今度は執事が部屋を訪れた。


「お嬢様。御当主様がお呼びです」


「わかったわ」


 エマを一瞥すれば、すぐに準備に取り掛かってくれる。

 いくら自身の父親といえど、相手はフレンティア公爵だ。

 礼儀を重んじる彼の機嫌を損ねないためにもパトリシアはすぐに、落ち着いた青い薔薇を基調としたドレスへと着替え向かう。


「お父様。パトリシア、ただいま参りました」


「来たか。座りなさい」


 諭されるがままソファへと腰を下ろし、公爵と顔を合わせた。

 パトリシアは父親似であり、目元以外はほとんど彼から受け継いだらしい。

 自分も年齢を重ねたら、父のように少しだけ皺ができるのかな、なんて思う。

 そんなことを考えていると、上の空なことに気づいたのか大きく咳払いをされた。


「呼んだのは他ではない。皇太子殿下のことだ」


 やはりか、と視線を下げた。

 いくら嫡子ではあるとはいえ、皇后の子供ではないアレックスが皇太子となれたのは、公爵の力あってこそだ。

 自らの娘を皇后とするために、側室であったアレックスの母親と手を組んだのである。

 それほどまでにこの国では、公爵の力は強いのだ。彼が後ろ盾になっただけで、皇太子が決まってしまうくらいに。

 現皇后が争いを好まない人であることも関係してはいるのだが。

 とにかくそんな力を持った彼が、後宮内でのあれこれを知らないはずがないのだ。

 パトリシアとアレックスの関係も、アレックスとあの娘との関係も。


「奴隷の娘と懇意にしていると」


「…………そのようで」


「……知っていたのか?」


「この間、皇宮の庭園で」


「………………愚かな」


 大きなため息と共に出された言葉は、パトリシアに向けられたものではないとわかっていても、自分が責められている気がしてしまい思わず肩が揺れてしまう。

 そんな娘の様子に気づく余裕もないほど怒りが込み上げているらしく、公爵は組んでいる腕を人差し指で何度も叩く。


「己の立場を理解していないのか……。万全ではないのだ、まだ。クライブ殿下は優秀だ。皇后の息子という強い後ろ盾すらある。餌を与えたらすぐに喰らい尽くされるとなぜ気づかない」


「私の不徳の致すところでございます」


「………………お前のせいではない」


 礼儀を重んじ冷徹に接する公爵だが、こういうところがあるから娘に甘いと言われるのだ。

 父の優しさに少しだけ心救われながらも、だからこそ心労を与えてしまったことを申し訳なく思う。


「ですが私が皇太子殿下のお心を掴めなかったから、このようなことが起きてしまったのです」


「それこそお前のせいではない。あれの見る目がなさすぎるのだ」


 皇族の、それも皇太子をあれだなんて、誰かが聞いていたら不敬罪になってしまう。

 使用人たちに部屋を出ていってもらったのは正解のようだ。


「昔からお前は勉学に励み、優秀だった。男だったら私の自慢の後継となっていたことだろう。だが女ではそれはできない。だからこそ、せめてお前の力を発揮できる地位をと、皇太子妃に押し進めたと言うのに……」


 幼少の頃から勉強が好きだったパトリシアは、その才能をぐんぐんと伸ばしていった。

 そのことを知った公爵が、せめて我が子の才能を発揮できる場所をと今の地位を与えてくれたのだ。

 パトリシアも満足していた。

 本当は学校に行き知らないことをたくさん学びたかった。

 しかしそれが許される立場でないことはわかっていたし、世間体もある。

 未だこの国では、女性が学び知恵をつけ地位を得ることをよしとしていない。

 それがわかっていたからこそ、少しでもこの知識を役立てられる皇太子妃になろうと努力したのだ。

 だが……。


「それがいけなかったのです。私が愚かにも自分の力を誇示しようとしたから……」


「愚か? お前はただの令嬢ではないのだ。未来の皇后ならば、知恵を持ち力を持つのは当然のこと。知識のない権力者ほど恐ろしいものはないぞ」


 確かにそうだけれど、彼はそんなパトリシアを拒んだのだ。

 だから……と顔を伏せたのを見て、公爵ははっと息を呑む。


「……すまない。熱くなりすぎたな。お前を責めているのではないのだ」


「わかっています。ありがとうございます、お父様」


「……お前が望むのなら、婚約破棄してもいいんだぞ? 皇太子殿下には『例』の件もあるしな」


 パトリシアは今や、次期皇后と名高い令嬢。

 そんな存在が皇太子と婚約破棄したからとて、その後の結婚相手など早々現れないだろう。

 行き遅れた娘ほど、家にとって邪魔な存在はないだろうに。公爵の優しさが胸を温かくしてくれる。


「もう少しだけがんばってみます」


「……そうか。私の方でも少し、動いてはみよう」


 話は終わったようだと軽く挨拶をして部屋を後にした。

 まだあの奴隷の娘がアレックスにとって、どれほど重要な存在なのかはわかっていない。

 現皇帝だって側室を持っていたくらいだ。

 この先そういう存在が現れてもおかしくはなかった。

 どれほど彼の心を射止め惹きつけようとも、しょせんは側室。

 パトリシアとは、そもそもの立場が違いすぎるのだ。


「…………そうよ」


 そう思うことで少しでも心を強く持っておかなくては。

 皇后となり国のために尽力するのだと、幼いころから誓ったのだから。

 だから、この程度のことは耐えなくては。


「大丈夫」


 まだ、心は痛いだけだから。

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