第6話

 奴隷解放の件は正式に法案として通すらしい。

 これから忙しくなるのだろうなと、パトリシアは皇宮へと向かう馬車の中で思う。

 法案が通るならばまずは話し合いを重ね経費を割き、法律として奴隷売買及び奴隷所持の禁止をし、取締りにて現在奴隷となっている人たちを見つけ出し、彼らの衣食住を確保しなくては。

 さらには孤児院の設立。そして現在奴隷商人をしている者たちへの補償。

 やることは山のようにある。パトリシアもできる限りアレックスの手伝いをしようと向かっている最中だ。

 実際奴隷はこの町のどこにでもいる。皇宮でも働いているくらいだ。

 そんな人の生活に密着している存在をなくすとなれば、一朝一夕では無理だろう。

 長い時間をかけて改善していくしかない。


「お嬢様。そろそろつきます」


「わかりました。ありがとうございます」


 とにかく最初は話し合いにて解像度を高めなくてはと意気込んでいると、しばらくして馬車が止まり扉が開く。

 この時間にパトリシアが来ることは周知の事実であるが、きっとこの先に彼がいることはないのだろう。

 頬に優しく温かな風を感じながらも、心はすっと冷たくなる。

 扉のそばには従者が控え、出迎えの侍女や騎士たちがいた。


「……」


 その人たちしか、いなかった。

 わかっていたことだ。数年前からずっとそうなのだから。

 落ち込みそうになる心を叱咤して、従者の手を借りて馬車から降りた。


「ようこそお越しくださいました。レディ・フレンティア。皇帝陛下がお待ちです」


 出迎えを受け護衛とともに皇宮内を歩く。今日は会議の時間よりも早くついたため、パトリシアとアレックス、二人が好きな薔薇の庭園で少しだけ休ませてもらおう。

 そんな思いで向かった場所で、己が目を疑う光景を見ることとなった。


「――」


 そこには、太陽の光で煌めく噴水があった。

 周りをぐるりと花が囲うようにできていて、煉瓦の道を進んだ先にそれは存在する。

 そこに、いたのだ。


「大丈夫。これを塗っておけばすぐに良くなる。もう痛い思いをしなくてすむから」


「はぃ……。ありがとうございます、皇太子殿下」

「そんな他人行儀に呼ばなくていい。私のことはアレックスと」


「…………アレックス、殿下」


 青みがかった美しい銀色の長い髪は、陽の光を浴びてキラキラと輝いている。薄らと涙の膜が張られた緑色の瞳は、ただ一心にアレックスを見つめていた。

 真っ白な肌に赤く染まった頬。

 なんて可愛らしい女性なのだろうかと、同性であるパトリシアですら見惚れるほどだ。

 目の前でそんな表情を見せられたアレックスは、どんな思いなのだろうか。


「……」


 それは、優しげな彼の面差しで理解した。

 パトリシアはくるりと踵を返してきた道を戻る。

 このまま帰ることは許されず、あと数十分もしたら彼の前に姿を現さなくてはならない。

 その時に少しでもいつもの調子に戻れるように、心を強く持たなくては。

 そばを歩いていた護衛に適当な部屋を用意してもらい、彼らには扉の前で待機するよう託けて部屋へと入った。

 急ぎ用意してくれたのだろう、テーブルの上に置いてある紅茶を尻目に早足で窓の方へと向かう。


「――っ」


 愛らしい女性だった。歳はパトリシアとそう変わらないだろう。

 守ってあげたくなるような、ふわふわとした人だった。

 パトリシアと違って。


「……だから、急いでいたのね」


 そんな可愛らしい女性だったけれど、服装はドレスではなかった。

 この王宮で働く使用人。それも一番身分の低い、奴隷である。

 まさかあんな人目のつくところで皇太子が奴隷の娘と二人っきりでいるなんて。

 パトリシアが口止めしていなければ、後ろをついてきていた者たちにどんなことを言われていたかわかったものではない。

 周りすら気にできないほど、彼女のことを気に入っているのだろう。


「奴隷解放の件は、彼女のためのようね……」


 彼に冷たくされるたびに小さく痛んだ心が、今は鋭い痛みとなって襲ってくる。

 幼いころからずっと一緒だった。

 両親は愛し合い結婚し、パトリシアを大切に育ててくれた。そんな二人のように、お互いを支えあえる存在になれるようにと、彼の足手まといにならないようにと必死に勤めたのに。


「…………これが、現実なのね」


 ――だとしても。

 もしこの先彼に愛されないのだとしても、パトリシアは皇后となる運命だ。

 それは皇太子の気持ちとは関係なく向かうはずの未来。

 それがどれほど、不幸なことだろうとも。


「……大丈夫」


 濡れた目元を拭う。

 深呼吸を繰り返し荒れた息を整えていると、扉がたたかれる音がした。


「お時間でございます」


「……わかりました」


 顔に力を入れる。

 泣いている暇なんてパトリシアにはないのだから。

 ただ真っ直ぐ前を見て、突き進んでいかなくては。

 大丈夫。

 我慢は、慣れているから……。

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