第3話

 ローレラン帝国皇宮。限られた者しか訪れることができない場所を、パトリシアは勝手知ったる様子で歩く。

 幼い頃から慣れ親しんだ場所なため、誰かの案内すら不要なのである。

 とはいえ皇宮内を一人で歩き回ることはできず、仕方なく護衛を連れてとある部屋へと向かっていた。

 そこは国の重鎮たちが集まり、未来のことを話し合う場所。

 皇帝や宰相、果ては皇太子までいるその場に皇太子の婚約者であるパトリシアがいるのは本来ならおかしいのだろう。

 だがそんなことを口にするものはここにはいない。これはいつもの風景であり、彼らにとっては当たり前のことなのだ。


「帝国の太陽、皇帝陛下。若き太陽、皇太子殿下にご挨拶申し上げます」


「パトリシア、よくきた。座りなさい」


「ありがとうございます」


 他よりも装飾が多く一眼見ても高価だとわかる椅子に座るのは、この国の皇帝だ。

 髪はチラホラと白髪が目立ち始めているとはいえ、かえってそのことが大人の男性としての色香を醸し出しているように思えてしまうような素敵な人である。

 彼は優しい眼差しでパトリシアに己のそばに座るよう諭してきたため、礼をしたあと指定の椅子へと腰を下ろした。


「――」


 長方形のテーブルを囲うように座っており、ドアとは反対側の位置に皇帝が、そしてその斜め前にパトリシアと皇太子であるアレックス・エル・ローレランが腰を据えている。

 彼は蒼く美しい瞳でこちらを一瞥すると、黄金の髪を靡かせ一瞬で顔を皇帝の方へと向けた。


「父上。今日こそは奴隷解放の件、話をまとめてしまいましょう」


「その件についてはまだ、進めるにはお前の理解が甘いと言っているだろう」


「奴隷たちは今傷ついているのです。彼らもこの国の国民たちです。なぜ助けてあげないのですか」


 どうやらちょうどよく一番聞きたいと思っていた議題だったらしい。

 己が進める改革の話に熱を上げるアレックスは、周りの空気を気にすることもなく話を続けた。


「彼らがかわいそうではないのですか。毎日毎日重労働をさせられ……、給金はなく食事も質素。水仕事の冷たさに手先が凍傷寸前になっているのです」


「奴隷たちを解放しようにも、その後の暮らしはどうするつもりだ?」


「国が養ってあげればよいではないですか。そのようなこともできないほど、我が国は貧困ではないでしょう」


「……それでは意味がないのだと、何度も言っているだろう」


 大きなため息と共に、皇帝が首を振る。彼らの様子を見るからに、パトリシアが来る前から同じやりとりを繰り返していたのだろう。

 疲弊している皇帝の顔をこれ以上見ていられなくて、静まり返った部屋の中で声を上げた。


「その件について、お許しいただけるのならば私の考えをお聞きいただきたいのですが」


「……ああ、パトリシア。そのように畏まらずともよい。そなたの意見を述べるがいい」


 思えば皇太子の婚約者に決まった時から、皇帝はパトリシアにどこか甘いところがあった。

 今もまた優しげな面差しで意見を聞こうとしてくれていて、この人が未来の義父でよかったと思える。

 そんな優しい人のため、そして自らの夫となる人のためにも椅子から立ち上がり、他の者たちにも聞こえるように告げた。


「奴隷廃止制度ですが、その法案は可決致しましょう」


 その言葉に部屋の中が一瞬にして騒がしくなった。

 先ほどまで皇帝があんなに止めていたのに、それを聞いていなかったのかと。

 パトリシアという存在を認めてはいるが、女の身で意見することをよしとしていない者も多い。

 それだけこの国では女性の地位は低いのだ。

 小さくも、しかし聞こえる声で馬鹿にするようなことを言われているのはわかってる。

 しかし当の皇帝がパトリシアの言葉を黙って待っていたため話を続けることにした。


「一つ、奴隷廃止制度の懸念点である彼らの暮らしについてですが、二年前までの戦争で荒地となってしまっている土地を貸し与え、その地での永住を約束させるのです」


「…………確かに。あの地は作物がよく育つ。鉱山もある。しかし隣国と近いこともあり、真っ先に戦地になることを懸念し人が住んでいない」


「彼の地での労働を確約させ、代わりに衣食住が整うまでの三年間納税義務をなくします」


「……なるほど」


「彼の地での食糧、さらには宝石は我が国の財政源のひとつです。手放しておくくらいならば三年は目を瞑り、その後の利益を取るべきです」


 おおっ……と周りから感嘆の声が上がる。

 ここにいるものたちはあの地の価値がわかっているものばかりなので、パトリシアの意見には好意的なようだ。

 あーだこーだと話をしている議員たちを尻目に、今一度皇帝へと視線を送る。


「奴隷の多くは親のいない子供だと聞いております。彼らは孤児院を新たに建て、教育を施すのがよろしいかと」


「……それはいいが、費用などはどうするつもりだ?」


「貴族たちに寄付してもらいます」


 あれだけ騒がしかった室内が、一瞬で静まり返った。皆わかっているのだ。貴族たちがそんなことをするはずがないと。この国で奴隷を使っている者の多くのは、彼らなのだから。

 でもだからこそ、彼らの認知を変える必要があるのだ。


「ドレイク夫人にお願いしてあります。孤児院ができた時には、彼女が寄付をしてくださると」


「……なるほど。彼女を尊敬する女性は多い」


 社交界に出ているものたちなら、ドレイク夫人の名前がどれほどの影響力を与えるかは知っているだろう。

 彼女が買い、身につけるものは瞬く間に流行となり、皆が同じものを求めるのだ。

 その中には貴族たちが毛嫌いする平民出のデザイナーが作ったドレスもあったが、そんなことには目もくれなかった。


「彼女が善意で寄付をすれば、真似をする令嬢は必ず現れます。そうするとどうなるか。やがてそうすることが、貴族の間で流行り出します。その時すかさずこう言うのです」


 貴族たちが重んじるのは誇りや名誉だ。

 それがわかっているからこそ、たった一つの言葉でも彼らの思考を変えることができる。


「これこそまさに、貴族のあり方だ、と」


「……流石だパトリシア。そなたの意見を前向きに検討してみよう」


「――、ありがとうございます!」


 自分の意見が受け入れられるのは嬉しいことだ。パッと顔が明るくなったパトリシアは、そのままアレックスへと視線を向けた。

 彼がずっと気にし進めていた政策がやっと身を結ぶのだ。

 きっと喜んでいることだろうと振り向いたのに、こちらを見る彼の瞳はとても冷たかった。

 法案の件であれこれと話をする貴族たちを尻目に、二人はじっと見つめ合う。

 どうしてそんな目を向けてくるのか、理解ができなかった。

 彼はその後の会議はなに一つ発言をせず、会議が終わると真っ先に出て行ってしまう。

 パトリシアを一度と見ることはせずに。

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