第4話

 少しだけ雲行きが怪しい日。パトリシアは婚約者であるアレックスに呼ばれ、皇宮へときていた。

 そこは二人のお気に入りの薔薇園だった。

 春夏秋冬さまざまな色、形、香りを楽しませてくれるそこで、二人は何度もこうしてお茶会をした。

 飲むのは決まってローズヒップティーで、パトリシアお気に入りのお店から買い付けてくれていた。

 置かれるお菓子も薔薇のジャムをのせたクッキーや、小さなタルトの生地に生クリームで薔薇の花をあしらったものなど、思考を凝らしたものをたくさん用意してくれていたのだ。

 ――昔は。

 今はなんてことのない普通のお茶を、普通のお菓子と共にいただく。どことなく肌寒さを感じながら。


「……」


「……」


 本当に、お茶をしているだけだった。

 彼から呼び出してきたはずなのに、あちらから話を一向にしてこない。

 一体なぜ呼ばれたのかと頭を傾げそうになっていると、痺れを切らしたかのようにアレックスが口を開いた。


「私に、何か言うことはないのか?」


「……言うこと、ですか?」


 呼び出したのはそちらなのに、なぜそんなことを聞いてくるのだろうか。

 そこに疑問を抱きながらも、彼からの問いには心当たりがあったため答えることにした。


「奴隷解放の件でしょうか? おめでとうございます。可決に至ったのも、アレックス様が努力なされたからですね」


「――本当に、そう思うのか?」


 一瞬にして周りの空気が重くなった。少し離れて控えている侍女や騎士たちまで顔を青くしている。

 どうやらなにかが彼の気に触れたようだ。


「なぜそのようなことを聞かれるのですか?」


「……君は聡いのに、そういうことはわからないのだな」


 大きなため息をついた彼は、手を軽く振り側仕えたちに合図を送る。彼らはすぐに踵を返しその場からは消え、二人だけの空間ができた。

 どうやら周りには聞かれたくない話らしい。

 周辺に誰もいないことを視線だけで確認した彼は、テーブルに肘をつけ手の甲に顎を乗せる。


「あれが私の力でないことくらいはわかっている。全ては君のおかげだったというわけだ」


「そんなことは……。アレックス様、私は」


「聞きたくない。君はいつもそうだ。私のためと言いながらも、いつだって裏で私の意に反したことをする」


 彼の意に反しているとはどういうことだろうか?

 彼が言ったのだ。なんとしてもこの法案は可決させなくてはならないと。

 だからパトリシアも自らのできることをと、人脈を使いドレイク夫人にお願いしたのだ。

 それのどこが意に反しているというのか。


「私が家臣たちになんと言われているか知っているか? お飾りの皇太子。だが未来は明るい。なぜなら彼の隣にはレディ・フレンティアがいるから、と」


「……そのようなことございません。アレックス様は常に国のために尽力なさっています」


「だがこれが周りから見た私だ。そして先日の件でこの噂話が確定したわけだ」


 そんな噂をされていること自体初耳だった。

 確かに先日の件はパトリシアの一言が可決への一押しをしたかもしれないが、そもそもアレックスがここまで粘っていなければ議題にすら上がってはいなかっただろう。

 皇帝だって息子であるアレックスの頼みだから、時間を割いていたわけで。

 パトリシアだけではあの場で議題に上げることすらできなかったはずだ。


「……申し訳ございません。しかし私一人の力では、あの場で奴隷解放の話すらできなかったはずです。ですからアレックス様のお力あってこそなのです」


「……わかっている。君が私のために動いてくれていることも。しかしそんな噂をされ続けるわけにはいかない。次からはまず私に話を通してくれ」


「…………かしこまりました」


 彼のためにしたことなのに空回りしてしまうなんて。落ち込むパトリシアを一瞥したアレックスは、なにもいうことなく立ち上がるとどこかへと消えてしまった。


「……」


 昔はもっと、仲がよかったのに。

 手を繋いで花畑に行ったのは、パトリシアが十三歳の時で最後だ。それ以降はパーティの時くらいしか肌が触れ合うことはない。

 なにがきっかけなのかもわからないけれど、今二人の間には深い溝があることだけはわかる。

 だと、しても。


「……私は、未来の皇太子妃なのだから」


 ゆったりと瞳を閉じる。瞼に浮かぶのは幼少期の、パトリシアにとって夢のような日々のこと。

 一緒に勉強をして、時折サボってピクニックをして。愛らしい花を見つけたからと持ってきてくれたあの可愛い皇子様を、心の底から愛しているのだ。


「大丈夫。また、昔みたいに……」

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