第29話   声優としての才能

「さて、お手並み拝見」


 君夜はマイク前で表情を引きつらせていた夜一を見て満足していた。


 ここで夜一が失敗すれば自分の計画は成功。


 ゲストに招いた円清抜きで番組を録り直さなければならず、それは即ち綾園動画コンテスト受賞から大きく遠ざかることを意味する。


(夜一君、見事に失敗してちょうだいね)


 君夜は眼前にいる秋彦に悟られないよう必死に笑いを噛み殺す。


 二日前、夜一は自分の私室で威勢のいいことを発言した。


 夢は見るものではなく叶えるもの、と。


 だが九頭竜君夜は小学生の頃から夢を見ることに興味を見出せない子供だった。


 ヤクザ家業に生まれたからではない。


 サラリーマンの家に生まれようと、外交官の家に生まれようと、自分の本質は変わらなかっただろうと君夜は確信している。


 おそらく、生まれたときから頭のネジが一本足りなかったに違いない。


 美少年が勢揃いしている芸能グループのタレントにも興味が湧かず、秋彦や奈津美が好きなアニメやBLにも興味や関心が湧いたことなど一度もない。


 最低限の知識は身につけたものの、それは秋彦たちに話を合わせるためだ。


 そう、すべては秋彦たちと話を合わせるため。


 君夜はカメラに向かって喋り始めた夜一をほくそ笑みながら見据えた。


『どうも朝霧夜一です。なにぶん若輩の身なので至らぬ点やお聞き苦しい場所があるかもしれませんが、どうか最後まで聞いてください』


 どうやら夜一は覚悟を決めたらしい。


 声優について多少の知識を持っていた君夜は、一人で十分間のアドリブをこなす人間の大変さはよく分かっていた。


 十中八九、夜一は失敗する。


 もしくは途中で話すネタが無くなって喋れなくなり、放送事故として番組を中断する羽目になるだろう。


 そうなれば円清の拘束時間が解かれてしまい、夜一と君夜の二人だけで番組を録り直す事態に発展する。


 すべては計画通りだった。


 実家で雇っている使用人に偽の電話を学校にかけさせ、夜一を部室から出て行くよう仕向けたのが昨日。


 そして夜一の気配が完全に消え去った頃、君夜は満を持して秋彦たちに提案した。


 予定していたフリーコーナーを取り消して、声優志望である夜一のアドリブ力をためすコーナーに変更する旨を。


 もちろん秋彦たちは無理だと反対した。


 せめて夜一に前もって話を通しておき、あくまでも本番はドッキリだったという体で番組を進めようと逆に提案された。


 けれども君夜は引かなかった。


 それでは夜一の本当の実力を見極められない、と。


 君夜は子供の頃から習得していた演技で三人を説得した。


 表情を作り、声を作り、心情を作り、自分がいかに朝霧夜一という人物に期待しているかを最大限の演技を使って三人の意見を一蹴したのである。


 すると秋彦たちは悩んだ末に君夜の提案を呑んだ。


 温和な君夜がそれほど推すならば夜一に懸けてみようと三人は説得に応じたのである。


 このとき、君夜は得も言われぬ高揚を感じた。


 やはり秋彦たちは〝自分と同じ頭のネジが一本足りない〟者たちだと。


 何せ自分の実家が有名なヤクザ一家と知っても態度が変わらなかったのだ。


 これは一年前の君夜にとっては驚天動地の出来事だった。


 小学生のときからそうだった。


 どんな人間でも実家がヤクザと知った時点で離れていってしまう。


 中には自ら近づいて来た人間もいたが、そういった手合いはヤクザの一人娘である君夜と親しくしたいという裏の目的を持った人間がほとんど。


 お陰で中学のときは幾つもの不良グループから仲間にならないかと誘われた。


 正直、うんざりだった。


 まともな人間はどんどん離れていき、馬鹿な人間だけが我先にと集まって来る。


 叔父が理事を務める八天春学園に入学しても同じだろうか。


 そんな不安に苛まれながら一年前に八天春学園に入学したときのことだ。


 入学して数日後に一人の男子生徒が目の前に現れた。


 白のネクタイですぐに自分と同じ新入生だと分かった。


 また裏の勧誘か、と君夜は無視して男子生徒の横を通り過ぎようとしたときだ。


「なあ、ラジオ放送部に入らないか?」


 予想の斜め上の発言をした男子生徒の言葉を聞いて君夜は足を止めた。


「言っとくが放送部じゃないぞ。ラジオ放送部だ。あ、でも部員が揃ってないから同好会から始めるのが筋か……まあ、いい。部員ならすぐに揃うさ」


「ラジオ放送部?」


 男子生徒は「ああ、ラジオ放送部だ」と親指一本だけを突き立てた。


 それが美形の部類に入る円能寺秋彦との邂逅だった。


 あれから一年。


 紆余曲折あったが、今やラジオ放送同好会は学校に活動を認められた正式なラジオ放送部として機能している。


 ラジオ放送に最低限必要な五人のメンバーが集まり、東京から有名な人気声優をゲストに招けるほどに。


 君夜は無意識のうちに親指の爪を噛んだ。


 朝霧夜一。すべてはこの男が入部して来たことから始まった。


 資産家であり綾園市を中心に名を馳せているヤクザ一家の一人娘と知りつつも、他の人間と同様に分け隔てない扱いをしてくれた三人を自分から掠め取った憎い後輩――朝霧夜一さえ入部しなければ三人は余計な希望など持たず自分の平穏も保たれていたはずだ。


 君夜は当然の如く知っている。


 円能寺秋彦が放送局に入社したいこと、名護武琉が小説家になりたいこと、門前奈津美が歌手になりたいこと。


 夢は叶えるものではなく見るもの。


 将来、自分の身が政略結婚されると分かっていた君夜の座右の銘だ。


 だからこそ、君夜は叶うかどうか分からない夢を持つ三人の身を誰よりも案じた。


 夢さえ見なければ起伏の無い健やかな人生を送れる。


 放送局に入社するため偏差値が高い大学を目指すこともない。


 小説家になるために読書と原稿を書くことに勤しむことない。


 歌手になるためにヴォイス・トレーニングに励むこともない。


 少なくとも高校を卒業して自分が会社を設立すれば、三人には満足な給料を与えられると君夜は確信していた。


 どうせ借金を返せなければ自分から離れられないのだ。


 三人が卒業しても利子がついたと言って強引に離れられなくすればいい。


 そうして数年が経った後、君夜は三人にすべてを打ち明けるつもりだった。


 自分が借金を背負わせたのは三人といつまでも離れたくなかったからだと。


 自分がヤクザ一家の一人娘と知っても離れていかなかった三人だ。


 素直に話せば三人はきっと分かってくれる。


 同時に三人は気づくはずだ。


 叶うかどうか分からない夢に時間と労力をつぎ込むよりも、互いの性格や趣味嗜好を理解している人間たちと働くほうが人生は楽だと。


 だから夜一には派手に失敗してもらわなければならない。


 夢は見るものではなく叶えるものだと主張していた夜一が記念すべき一回目のラジオ放送で失敗すれば、綾園動画コンテストの受賞も遠のき三人が自分の夢を諦めるキッカケにもなるだろう。


 そうなればまさに一石二鳥である。


『朝霧夜一のアドリブ朗読――声の海』


 不意に君夜は声優の凄さを見せると言い張った夜一を哀れんだ。


 どうやら夜一は朗読をすることで十分の時間を持たせようと思ったらしい。


 けれど何の本も無しに空で朗読ができるはずもない。


 君夜は勝ち誇った顔で空いていた席に腰を下ろす。


 紅茶が入っていたポッドを手に取り、自分のカップに並々と注いだ。


 打ち合わせのときにお湯を入れていたので、カップに淹れた紅茶からは湯気が出ない。


 それでも君夜は冷えた紅茶を口に含んだ。


 ラジオ放送部の最初で最後になるだろう、番組の途中に飲むには暖かい紅茶より冷めた紅茶のほうが格段に合う。


『澄み切った空はどこまでも高く、目の前には心地よい日差しを反射した海が広がっている。波はそれほど荒れておらず、遠くに見える崖の上には潅木が生い茂っていた』


(へえ、出だしは上々じゃない)


 さすが声優を目指しているという夜一。


 伊達にゲームの公開オーディションで最終審査まで残っていない。


 朗読の滑り出しはそれなりに引き込まれる内容だった。


 沖縄か南国地域を舞台にした内容なのだろうか。


 君夜の脳裏に綺麗な浜辺とコバルトブルーの海の光景が浮かんでくる。


『そんな浜辺に一人の男が現れた。ビキニタイプの水着を穿いた白髪の老人だ。そして老人は海を一望しながら叫ぶ。私はこの地球上で最後の楽園に来ていると。それほど老人の眼前に広がっている風景は壮大で美しかった。カナズチの人間でも思わず服を着たまま泳ぎたくなる衝動に駆られるほど』


 君夜は一口分だけ紅茶を飲み、そっと両の目蓋を閉じて足を組む。


 夜一の実力はすでに把握ずみだ。


 東京で行われた公開オーディションの様子や、秋彦たちが盗撮した公園でのパフォーマンスは頭に焼きついている。


 それ故に設けた時間が〝十分間〟だった。


 声優の大半は台本が無いと喋られないという。


 加えて公園で子供たちに披露していた外郎売りの演目。


 あれもどんなにゆっくり喋っても五分が限界らしい。


 ならば今の夜一に空で十分間も朗読をこなすことは不可能だ。


 快調に始めた朗読もせいぜい持って二分ほどだろう。


『大自然の偉大さを全身で感じた老人は、我慢の限界を迎えたのか右手に持っていた袋から三つの道具を取り出した。一つ目は水中ではっきりと物が見える水中眼鏡。二つ目は水面に上がらずとも水中で息を続かせることが可能なスノーケル。三つ目は訓練次第で水中を魚のように泳げるフィン。この三つの道具は素潜りに欠かせない老人の三種の神器だった。その証拠に老人は水中眼鏡をつけ、両足に滑らかで柔らかいフィンを履き、最後にスノーケルを咥えて海に向かって歩いていく。すべての生命の母である海の中へと』


(老人が誰もいない海に潜る話……ねえ)


 てっきり誰もが一度は聞いた覚えのある日本の昔話かと思ったが、どうやら夜一は日本人か外国人か分からない老人が海へ潜る話をするようだ。


 君夜は両目を閉じたまま頭に思い描いてみた。


 白髪の老人がダイビング道具を装着して海の中に入っていく様を。

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