第22話   メンバーたちの過去

 校則に違反しない程度に結われた三つ編みに、シルバーフレームの眼鏡。


 場所は八天春学園の中庭だろうか。


 生徒が寛げるように設置されていた木製のベンチに腰かけている。


「今から一年前、ちょうど私たちが八天春学園に入学したときに撮ったものよ」


 撮影していたのは秋彦だろう。


 家庭用ハンディカムで撮られた映像に秋彦の声が吹き込まれていたからだ。


 照れ臭そうにモジモジしていた奈津美に向かって『門前さんはどうしてラジオ放送同好会に入ってくれたのかな? この際だからぶっちゃけてよ』と囁いている。


「ねえ、夜一君。あなたは不思議に思わなかった? どうして私たちラジオ放送部がずっと同好会のままだったことに」


 液晶テレビを見据えながら君夜が尋ねてくる。


「質問の意味が分かりません」


「秋彦君がラジオ放送同好会を作ったのは一年前。当時のメンバーは秋彦君に武琉君。私に奈津美ちゃんとすでに四人揃っていた。そして同好会が正式な部に昇格する条件は最低五人のメンバーがいること。それでも今まで誰一人として入会希望者が現れなかった。さて、それは一体どうしてでしょう?」


 改めて訊かれると不思議だった。


 あれだけ豪華な放送設備が整っていた部室もあり、部長の秋彦は女受けしそうな美形だ。


 また眼前にいる君夜も八天春学園美人コンテストがあろうものなら余裕で三位以内に入りそうな美人。


 ならば秋彦や君夜目当てに入会希望する人間がいても不思議はなかったはずである。


「分からないようだから教えてあげる。一年前、秋彦君はラジオ放送同好会を正式な部にするために一つの提案を打ち出した。それが中庭を使った青空放送よ。当時はまだ部室はおろか放送機材もなかったから、放送部に頼んで最低限の機材を貸してもらったの」


「青空放送って……屋外でラジオ番組をしたんですか?」


「多くの生徒たちを集めてね」


 画面に映っていた一年前の奈津美は『ほんまに何でも話していいんですか?』と一言一言区切るように言葉を吐く。


「あのときは本当に驚いたわ。当時の私たちは互いのことを何も知らなかったからね。誰も奈津美ちゃんの趣味を知らなかった」


(奈津美の趣味……あ!)


 夜一が大きく目を瞠ったとき、画面に映っていた奈津美は途端に目を爛と輝かせて盛大にカミングアウトした。


『うちがラジオ放送同好会に入会したのは円能寺君と名護君のせいです。だって円能寺君と名護君はいつも一緒におるやないですか。もう腐女子のうちには気になって気になって』


 夜一は言葉を無くした。


 アニメ、漫画、ライトノベルのどれかを嗜んでいる人間ならば、腐女子という名称を当然の如く知っているはずだ。


 たまにオタクの女性が腐女子と思っている人間もいるらしいが、腐女子とはボーイズ・ラブ(BL)――男同士の恋愛を好む女性を指す言葉である。


 しかし、一般人にはオタクも腐女子も関係ない。


 いや、そもそも一般人にオタク文化を理解させようと考えることが間違いなのだ。


 しかも体裁にこだわる学園内で強制的に理解させようものなら来る者も引いてしまう。


 夜一は怪訝そうな顔で口を開いた。


「まさか、この映像を学園内に流したわけじゃないですよね?」


「残念だけど流れちゃったのよ。これが」


「流れちゃったのよ、ではすまないでしょう! 部長は本物の馬鹿なんですか? こんなもの流したら入会希望者なんていなくなるに決まっているじゃないですか! 俺だったらショックで引きこもりになりますよ!」


「実際問題なっちゃったのよね」


「何にですか?」


「引きこもりに。学園内に映像が流れたのが相当ショックだったんでしょうね。それから奈津美ちゃん学校に来なくなっちゃって」


「当たり前じゃないですか! 誰だって自分の趣味を……特にアニメやBLなんて一般人が嫌悪するようなことをバラされたら引きこもりになります!」


 ようやく夜一は得心した。


 なぜ真面目そうな奈津美が留年したのか。


 一年前、精神的に大きなダメージを受けて登校拒否になったからだ。


 そのために単位が足りなくなって留年したのだろう。


「でも正直言って驚きました。あの奈津美が引きもりだったなんて想像できません」


「私たちが何度も彼女の家に通って励ましたのよ。それで彼女どこか吹っ切れちゃったのかしらね。腐女子だっけ? 学校に戻って来てからは自分の趣味を隠すことも無くなったわ。それでも当時は酷かったのよ。リストカット寸前まで行ったんだから」

「奈津美の気持ちもよく分かりますよ。誰でも人に知られなくないことの一つや二つはある。俺だったら勝手に映像を流した奴を殴りに行きます」


「へえ、やっぱりそうなんだ。そう言えば秋彦君もかなり怒っていたわね。何であの映像を勝手に流したんだって」


「は? 映像を流したのは部長だったんでしょう?」


 君夜は顔を左右に振った。


「いいえ、この映像を流したのは放送部の連中よ。秋彦君はどうしても青空放送を映像に残しておきたかったらしくてね。放送部から借りたハンディカムで青空放送を撮影したの。それから秋彦君は青空放送の編集作業を放送部に頼んだ。奈津美ちゃんの隠していた趣味も一緒に録画されていたテープをね」


「やっぱり部長は馬鹿じゃないですか」


「そうね。それでも本当の馬鹿は他人のプライベート映像を本人の承諾も無しに学園内に流した人間じゃない? 私だったら絶対に許さないわ」


「ちなみに映像を流した人は今も放送部にいるんですか?」


「いないわよ。確か武琉君に前歯を三本折られて自主退学した。他にも色々あったわ。この映像を流した人間の友人が不良グループの一人だったの。それからお礼参りだって言って武琉君と不良グループの間で激しい抗争が起こったのよね」


「フィクションですよね?」


「武琉君の右眉に目立った傷跡があるでしょう。あれはそのときの喧嘩で負ったのよ」


 こちらのカミングアウトも相当な威力があった。


 確か武琉は空手の有段者だったはずだ。


 その武琉が不良グループ相手に大立ち回りをしたという。


 ならばラジオ放送同好会のときに入会希望者が来なかった理由も分かる。


 誰でも不良グループと真っ向から喧嘩する人間の元へ近づこうとは思わない。


 たとえ絶世の美男美女がいる同好会だろうと。


 また夜一はクラスメイトの女子たちの会話を脳裏に蘇えらせた。


 彼女たちが話していた去年の一件とは奈津美のプライベート映像が学園内に流出し、そのせいで武琉と不良グループの間で大喧嘩が起こったことを指していたに違いない。


 などと考えを巡らせたときだ。


「あれ? それと先輩のお願いと何の関係が?」


 君夜は「あるわよ」と人差し指で夜一の唇を塞ぐ。


「夜一君、ラジオ放送部を辞めてくれない?」


「いきなり何を……」


 反論しようとした瞬間、今度は人差し指ではなく掌で口を塞がれた。


「聞いたわよ。何でも動画コンテストに応募する作品にゲストを呼べたんですって。上里円清さんだったかしら? 私は声優さんに疎いからよく分からないんだけど、秋彦君に聞いた限りだとかなり有名な声優さんみたいじゃない。そうなると動画コンテストで最優秀賞が取れて私への借金が返済されちゃうかもしれないでしょう」


 君夜の言っている意味が分からなかった。


 借金が返済されれば、君夜も自分を含めた四人も綺麗な身になっていいこと尽くめのはずだ。


「それじゃあ駄目なのよ。だって借金が返済されたら私たちの関係は高校生活だけで終わってしまう。私は高校生活が終わっても三人と一緒にいたいの。そのために私は借金を肩代わりする条件を三人に出した。どう言った内容だと思う?」


 口を塞がれていた夜一には答えようがなかった。


 それ以上に一年前に交わされた条件内容など分かるはずもない。


「それは借金が全額返せるまで私の会社で働くことなの。まあ、会社と言っても高校を卒業した後に設立する予定なんだけどね」


 夜一は首を動かして強引に口の拘束を解いた。


「それと俺がラジオ放送部を辞めることに何の関係があるんですか」


「大ありよ。今も言ったけど私はあの三人とずっと一緒にいたい。けれど高校を卒業したら全員離れ離れになる。だって三人には私と違って夢があるんだもの。秋彦君は放送局に入社すること。武琉君は小説家になること。奈津美ちゃんは歌手になること」


「別にいいじゃないですか。先輩は夢に向かって頑張る三人を応援すれば――」


「叶わない夢を見る三人を応援? 悪いけどそんなことはできないわ」


(叶わない夢だって?)


 どうして君夜はそんな薄情なことが言えるのだろう。


 秋彦の放送局に入社してラジオ番組を作るということ、武琉の小説家になるということ、そして奈津美の歌手になるということは人並み以上に努力しなければ果たせない夢である。


 だからこそ、本当の友人ならば暖かく見守るのが筋というものではないだろうか。


「そう言えば夜一君も声優になるのが夢だったわよね?」


 夜一は口ではなく力強い目で肯定した。


「悪いことは言わないわ。声優になるなんて夢は諦めて現実を見なさい。夢は叶えるものではなくて見るものよ。それに声優なんて成れたとしてもたかが知れているのでしょう?」


 直後、夜一の中にあった何かが盛大に切れた。


「違う! 夢は見ると同時に叶えるものだ! それにあんたが声優の何を知っている! 舞台役者と違って声でキャラの動きを演じなければならない声優の凄さを知らないのか!」


「知らないし知りたくもない。大体、声優ってあなたが言うほど凄くないでしょう?」


「凄いさ! 凄いに決まっているだろう!」


「じゃあ証明して見せてよ」


「何だと?」


「あなたが言う声優の凄さを私に見せてと言ったの。それで私が本当に凄いと感じたら今の言葉を取り消してあげる。何だったら借金の件も帳消しにしてあげようかな。どうせ私のポケットマネーから出したお金だしね」


 ラジオ放送部が負っていた借金の帳消し。


 それはすなわち、自分も負うことになった約二十五万円の借金が無くなるということ。


「さあ、どうする?」と君夜は口の端を吊り上げた。


「ああ、見せてやる。見せてやるさ。それで、あんたは声優の何を見たい?」


「う~ん、そうねえ……今日のところは保留でいいわ。伝えたい用件は伝えたし。あなたに声優の凄さを見せてもらうのは後日改めてということで」


 君夜はやおら立ち上がりなり、警報機が取りつけてあったベッドへと向かった。


 何の躊躇もなく警報機のボタンを押す。


「それと今夜は家に帰してあげる。あなたが変な真似をしないと約束してくれるならね」


 約一分後、黒いスーツを着用した三人の男たちが君夜の私室に入ってきた。


「お客様がお帰りです。彼を家まで丁重に送って差し上げてくださいな」


 君夜の命令を聞くと、一人の男が懐から折り畳み用のナイフを取り出した。


 夜一の両手と両足を拘束していた細縄を慣れた手つきで切り解く。


「夜一君、もう一度確認しておくけど今日のことは――」


「言いませんよ。先輩には悪いですけど、俺にも声優になるという夢があるんで」


「それを聞いて安心したわ。気をつけて帰ってね」


「その前に先輩にお願いしていいですか?」


 夜一は険しい表情で右手を突き出した。


「俺の所持品返してください」

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