第21話   九頭竜君夜の裏の顔

 夜一にとって異性とのデートはこれで二度目だった。

 

 一度目は絵に描いたような街中デート。


 相手は同じパーソナリティである奈津美だ。


 デートの最中は緊張のためにろくな会話もできなかった。


 だが、綾園中央公園で互いに得意な芸を披露し合ったことで、帰り道では話が盛り上がったことは今でも鮮明に思い出せる。


 しかし記念すべき二度目のデートはどうだろう。


 夜一はゆったりとした革製のソファに寝かされたまま視線を彷徨わせた。


 二十畳を超える広い部屋。


 床には高級そうな真っ赤な絨毯が敷き詰められ、天井に吊るされたシャンデリアからは部屋の隅々まで照らすほどの光が放たれている。


 ドラマの撮影現場ではない。


 正真正銘、一個人が有していた豪華な私室だ。


「どうしたの? 夜一君。豆が鳩鉄砲を食らったような顔をして」


「それを言うなら鳩が豆鉄砲を食らうですよ」


「ふふふ、安心したわ。それだけ言えるならまともな話ができそうね」


 ベッドに腰を下ろしていた君夜が妖艶に笑う。


 すでに学生服から私服である黒のワンピースに着替えており、ぞくりとするほど艶かしい生足が露出されていた。


 まるで下着が見えても構わないという態度である。


 一方、夜一は未だ学生服のままだった。


 当然である。


 ガムテープこそ外されたものの、夜一の両足首には細縄が巻かれていた。


 それだけではない。


 ソファに寝かされていた今の夜一は、両手を後ろに回されて同じ細縄でしっかりと拘束されていたのだ。


 ソファから一歩も逃げられないように。


「まともな話ですか……確か先輩は俺とのデートを望んでいたんじゃありませんか?」


「部屋で二人っきりで過ごすのも立派なデートじゃない」


 君夜は大げさな動きで足を組み替えた。


「それに私の部屋は離れにあるからどんな大声を出しても大丈夫。絶対に家の人間に聞かれることはないわ」


 ただし、と君夜はベッドに取りつけられていた円形のボタンを指差した。


「この警報機を鳴らすと別の部屋で待機している怖いお兄さんたちが飛んでくるけどね」


 怖いお兄さんの部分を強調させた君夜に対し、ソファから一歩も動けなかった夜一は恐る恐る訊いた。


「やっぱり先輩の家って……」


「ヤクザよ」


 あっけらかんと君夜は肯定した。


「他にも世間では暴力団や任侠団体とも言われているわね。でも素人さんに一番効き目のある言葉はヤクザかな。ちなみに夜一君はヤクザの語源って知ってる? 花札を使ったおいちょかぶという博打で最低の数が八・九・三という数字の語呂だから役に立たない者をヤクザと呼んだという説や、歌舞伎役者の派手な格好を真似した無法者――傾き者のことを役者と言っていたからヤクシャが訛ってヤクザとなったという説。そうそう、喧嘩の仲裁を行う者を役座と呼んだことからヤクザとなったという説もあったわ」


 饒舌にヤクザの由来を語る君夜は大人以上の風格があった。


 服の上からでも見て取れる引き締まったボディライン。


 耳にかかった前髪を後ろにやるとき、どうしても見えてしまう白いうなじは思わず生唾を飲み込んでしまうほどの色香が漂っている。


「ヤクザのことは後日ゆっくり聞きます。ですから今はこの縄を解いてくれませんか?」


「縄を解いたらどうするつもり?」


「すぐに警察へ電話します。ヤクザに拉致監禁されたって」


「財布やスマホ、学生証の類は私が預かっているわよ」


「じゃあ家の電話から警察に通報します」


「君の拉致を計画した私がそんな真似を許すと思う?」


「ですよね。すいません、半分冗談で言ってみただけです」


「よかった。私って物分りのいい子って好きなの。余計な手間をかけなくてもいいから」


「高校生一人を拉致するのも余計な手間だと思いますよ」


「そうねえ。男手を貸してくれた叔父様には後でお礼を言わないと」


 夜一は叔父という言葉に反応した。


「待ってください。先輩の叔父さんって学園の理事の一人でヤクザじゃないでしょう?」


「いいえ、ちゃんと両立しているわよ。高校の理事とヤクザをね」


 そんな馬鹿な、と夜一は心中で頭を振った。


 どこの世界に教育のプロである高校の理事と、暴力のプロであるヤクザの二足の草鞋を履いている人間がいるのだ。


「その顔は信じていないって顔ね。でも事実なのよ。八天春学園は六年前に大きな負債を抱えて経営が破綻しかけたことがあるの。負債の原因は当時の理事長が行った学費の使い込みと、年々悪化の一途を辿っている少子化の荒波。結果、都道府県知事が管理している学校法人の私立高校――八天春学園は債権を処分するかどうかまで追い詰められた」


 君夜は台本を読んでいるかのように淀みなく言葉を続ける。


「そこに現れたのが私の叔父様だったわけ。以前から学校教育に興味があった叔父様は多額の債権を引き受けて見事に学園を建て直した。もちろん学費を使い込んだ当時の理事長を始め、使い込みを知りながらも理事長を野放しにしていた五人の理事たちは一掃したわ」


「だったら普通は先輩の叔父さんが理事長をするんじゃないですか?」


「普通ならね。けれど叔父様はあまり表に出ることが嫌いなの。だから自分はあえて学校法人で決められている五人の理事の一人になった。だけど、これはあくまでも表向きのこと。実際のところ今の理事長は学園の恩人である叔父様には逆らえないわ」

「高校生一人を拉致したという事実があっても?」


「まさか。さすがの叔父様でも自分が経営している学園の生徒を拉致したことが発覚したら言い逃れできないわよ。叩けば埃が幾らでも出る身だし」


「それは俺が警察に通報して洗いざらいブチまけた場合ですよね?」


 不意に君夜はベッドから立ち上がり、一歩一歩絨毯を噛むように夜一が寝かされていたソファに歩み寄っていく。


「そうよ。すべては夜一君次第。叔父様が警察に逮捕されて八天春学園全体がマスコミの餌食になるか。それとも朝霧夜一という人間がこの世から消え去るか。選択は二つに一つ」


 そう言うと君夜はソファの縁に尻を預けた。


 直後、夜一の鼻腔を通して脳天を痺れさすような甘い香りが漂ってくる。


 香水でもつけているのだろうか。


「さあ、賢明な夜一君はどっちを選ぶのかしら。ちなみに現在の日本で行方不明になったらどうなると思う?」


 唐突かつ恐るべき質問に夜一は無言になった。


「知らないんだったらお姉さんが詳しく教えてあげる。もしも一人の人間が行方不明になったら家族が警察に捜索願いを出す。法的に言うと保護願いね。そして警察が捜索願を受理したとしましょう。すると警察は行方不明者の個人情報をデータに登録して所轄警察署の生活安全課という部署に丸投げするの。こういう捜索依頼があったので誰それを探してくださいって。でも残念ながら警察が捜す場所は繁華街でパトロールするのが精々。拉致されて行方不明になった恐れのある特異家出人に登録されてもね。仕方ないと私も思うわ。日本では年間数十万人の人間が何らかの理由で失踪しているんだから」


 さらに、と君夜は吐息がかかるほど顔を近づけてきた。


「行方不明が長引くと住民票が消されちゃうの。それだけじゃない。七年以上行方不明の状態が続くと長期間社会的不在者と見なされてしまう」


「ちょ、長期間社会的不在者?」


「簡単に言えば〝死人〟扱いね。だって役所から個人情報が抹消されるのよ。あらゆる情報がデータ管理されている日本では致命的でしょう」


 夜一は半ば放心状態で君夜の端正な顔を見上げた。


「俺、これからどうなるんです?」


「何度も同じことを言わせないの。それは夜一君次第よ。叔父様が警察に逮捕されて八天春学園全体がマスコミの餌食になるか。朝霧夜一という人間がこの世から消え去るか。それとも私のお願いを聞いてくれるか。選択は三つに一つ」


「選択肢が増えたんですけど!」


 夜一の叫びにも動じずに君夜は唇を動かす。


「返答はいかに?」


 しばらく悩んだ末、夜一は一つの結論を導き出した。


「三番目でお願いします。さすがに十五の身空で行方不明者になりたくありません」


「交渉成立ね。それじゃあ本題に入りましょうか」


 君夜はくすりと笑うなり、右手に持っていたリモコンを操作する。


 ベッドに座っていたときから隠し持っていたのだろう。


 部屋の隅に堂々と置かれていた、四十インチを軽く超える大きさの液晶テレビの電源が入る。


 さらに君夜はリモコンを操作。


 テレビに接続されていたHDDレコーダーが起動し、外部入力になっていた暗い画面に映像が流れ始めた。


「奈津美?」


 大画面に映ったのは紛れもない奈津美だった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る