第20話   プロの拉致

 先ほどまで茜色に染まっていた空に夜の帳が下りた。


 午後六時過ぎ。


 部活を終えた夜一は学生鞄を片手に自宅への道を急いでいた。


 淡紅色の八重桜が植えられていた通学路を歩いていく。


「ここ最近コンビニ弁当が続いていたからな。今日はスーパーで買い物して自炊するか」


 今夜の献立を考えながら人気のない道を歩いていくと、夜一は十数メートル先の十字路の中心に佇んでいる一人の男を見つけた。


 眼鏡をかけた長身痩躯の黒スーツを着た男である。


 だが道でスーツを着た人間と会うなど珍しくない。


 それでも夜一は目を合わさないよう眼鏡の男の横を通り過ぎようとした。


「ちょっとすいません」


 眼鏡の男が柔らかな声で話しかけてきた。


 夜一は歩みを止めて眼鏡の男と目を合わせる。


「道をお尋ねしたいんですけど時間よろしいですか?」


「はあ……別に構いませんが」


「よかった。誰に尋ねても分からないと言うので困っていたんです。場所はこの紙に書いてあるんですけど」


 破顔させた眼鏡の男は懐に右手を差し入れた。


「危ない。後ろから車が来ますよ」


 懐に右手を差し入れたまま眼鏡の男が言う。


 夜一は身体ごと振り向いた。


 眼鏡の男が忠告したように、黒のワゴンが夜一たちに向かって徐行してくる。


 元より横幅が狭い道だ。


 なので夜一は進行の邪魔にならないよう壁際に寄った。


 そして黒のワゴンが夜一たちを追い越すと思われたときだ。


 徐行していたワゴンは測ったように夜一の真横で停車し、滑らかな音を立ててドアが開いた。


 夜一は何の反応もできなかった。


 ワゴンからサングラスをかけた一人の男が降りてくる姿に目を奪われた瞬間、真後ろから誰かに激しく突き飛ばされたのだ。


「急げ。誰かに見られる前に拘束するんだ」


 小さく声を荒げたのは今ほど道を尋ねてきた眼鏡の男である。


 同時に背中を押したのも眼鏡の男だということに夜一は気づく。


 逃げないとマズい。


 全身から血の気が引いた感覚を味わったとき、夜一は誰かに助けを呼ぼうと息を吸い込んだ。


 喉を枯らすほどの大声で叫ぼうとしたのである。


 しかし、夜一の行動は無為に終わった。


「まずは口を塞げ。次は足。最後に外から見られないようにガキを横倒しにするんだ」


 あっという間の出来事だった。


 ワゴンの後部座席に押し込まれた夜一は、悲鳴を上げる前にガムテープで口を塞がれた。


 続いて両足首を細縄で巻かれ、最後に恐ろしい力で身体を倒される。


 外からワゴンの中を見られても夜一の姿だけは見られないように。


 人間はあまりの恐怖を感じると逆に冷静になってしまう。


 だからこそ、夜一は自分を拉致した人間たちの正体を見抜くことができた。


 間違いなくプロの仕業だ。


 指示の的確さや行動の速さが尋常ではない。


 肩で風を切って歩くチンピラにはとても真似できないだろう。


 夜一は瞳だけを動かして車内を見渡す。


 今の夜一はサングラスの男の太股に頭を預け、眼鏡の男の太股に膝を折り曲げた両足を乗せている珍妙な格好をさせられていた。


「おい、ガキ。暴れるんじゃねえぞ」


 膝枕をしていたサングラスの男はおもむろにスーツをはだけて見せる。


 夜一は顔面を蒼白に染めて息を呑んだ。


 サングラスの男はズボンに白鞘の匕首を忍ばせていた。


 明らかに銃刀法に違反する、三十センチ以上の強力な殺傷能力を持つ武器である。


 暴力とは無縁な生活を送ってきた夜一も現状を正確に理解できた。


 暴力のプロと思しきサングラスの男と眼鏡の男に歯向かえば、東から昇った太陽が西へ沈むほど確実に自分の命が危険に晒されるということを。


 やがてワゴンがゆっくりと走り出したときだ。


「お嬢さん、本当にこんな真似をしてよかったんですか? こいつがサツにチクったら組長にも迷惑がかかりますよ」


 サングラスの男でも眼鏡の男でもない。


 ワゴンを運転していたバリトン声の男が助手席に座っていた人間に問う。


 それは声の反響音や感覚で知ることができた。


(お嬢さんだって?)


 夜一は何とか顔だけを動かして助手席を見上げる。


 嫌な予感が背中を走り抜けたが、真相を知りたいという好奇心が夜一の行動を促した。


「こんばんは、夜一君」


 嫌な予感と好奇心。結果は嫌な予感の圧勝だった。


「ごめんね。色々と聞きたいこともあるんだろうけど、それよりも今は私のお願いを聞いてくれないかな?」


 九頭竜君夜はガムテープで口を塞がれていた夜一に向かって微笑する。


「これから私とデートしてくれない?」

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